根暗な聖女が浮気されるなんて最早あるあるなことなんで。
……悪気はなかった。
王宮の本堂と離堂の中間地点に備わっている礼拝堂……そこに日課で通っていただけなのだ。
それがこの国の『聖女』の御役目――私の仕事だから。
なのにどうしてこうなったんだろう。
「あっ、いゃあ……ロルフさまぁ……」
「マリアナ……愛している」
(うわぁ……)
金髪の美男美女がキスをしている。
……それ以上のことも。
薄暗いこの時間にこういう事に出くわす事は、残念ながら間々ある。
とてもかなり気まずい。
特に堅物の現場に居合わせたときとか、昼間すれ違うとき目合わせられない。
気まずすぎる。
しかもこのロルフという男は自分の婚約者。
気まずいなんてもんではない。
普通に浮気では?
でもまあ自分が見なかったことにして帰ればいいのだ。
どうせ形だけの婚約者だし。
それは良いのだが……。
この場合、目が合っちゃったらどうすれば良い?
「……」
「……」
「ひゃぁ、んんっ……。? ロルフさまぁ?」
「あ、いや、うん、いや、うん、うん? 何でもない……?」
「何で疑問系なんですかぁ? ふふ、変なロルフさま」
「あ、ああ。ははは………」
「……」
「……」
……うん。立ち去っていいですか。
会釈もせずに回れ右。
うん、私は何も見てない。
さあ仕事も終わったし風呂でも入るか、それとも秘蔵のワインを「ま、待ってくれ!!!」飲もうかな。
「無視しないで欲しい! あの、先のは違ってだな、その、」
「ロルフ様。私、何か見ましたか?」
「え? 先程」
「そうですよね。私何も見てませんよね。やだなあロルフ様。少しお友達と話していたくらいで怒りませんよ、私。……と、言う訳で時間外労働はこれまでで宜しいですか」
「あ、ああ……って違う! あれはだな――というか君は私との会話を労働だと思っているのか?!」
「違うんですか? 貴族は結婚が自由にできない分プライベートの時間が多めに確保されていて良いですよね。ではクリスティアンが私を待っているので」
「へ? ああお疲れ……? ――……ってクリスティアンって誰だ――?!」
謎に絶叫している婚約者を置いて、私は悠々と自室へと戻った。
高級葡萄酒、最高に美味しかった。
「き、君とのこんやくをっ、ぐす、はきする! ぐすっ」
「……それは、相手さんに責任を取って妃に迎えるということですか?」
「い、や……それはちが、う」
「では?」
「聖女と第3王子じゃ価値が違うそうだ。だ、か、らっ! きみを蔑ろにしたおれはっ、せきにんを、取らなきゃならない……」
「はあ……」
いい年した王子が、ぐすぐすと号泣しながら説明してくる。
どうしてこうなった。
もういいじゃん。
被害者が良いって言ってんだし。
どうせ政略結婚なんだからビジネスライクで行こうぜ! ほんと。
ふう、と抑えきれなかった呆れが溜め息になって漏れ出してしまった。
ロルフは泣きながら今も、土下座中だ。
生まれたばかりの子鹿の如き振動を起こしながら。
どれだけ脅したんだよ、陛下。
「私は大丈夫ですよ、そもそも私達の間に婚約者だ夫婦だといった営みは一切合切無いじゃないですか。そしてこれからもその予定はあるとでも?」
いや、ない(反語)。
じゃあ良いじゃないですか、と呟く私に王子は土下座&振動は継続したまま地団駄を踏み始めた。器用だ。
「そ、そういう! もんだいじゃ! ないんだあぁぁあ!!!!」
「?」
「ぼく、ぼく、ぼくはぁぁあ!!!」
あ、遂に幼児返りが始まった。
「もうちちうえのおひざもとにいるくらいだったらぁぁあ! いな、かの、こぎたないりょうちでっ、ぐす、あんぜんあんしんにくらすんだぁぁあ……」
陛下。……陛下!
ほんとどんだけ脅したんだよ。
私嫌だよ?
あんたの子供たちの中で一応立場諸々合わせると、この子が一番優良物件なんだからね?
馬鹿だから楽だし。
「ぼくわぁぁあ……」
「――ああ。もう分かりました」
「へ」
「但し貴方はその『小汚い田舎』というところに行かれたあかつきには、餓死して死ぬことになるでしょう」
「え、なん」
「当たり前でしょう。私達が使っているのは民の血税ですよ? 湧いて出てくるわけじゃないの。貴方の食事に使うお金が勿体ないのです。ロルフ様、自給自足はできないでしょう」
「そん」
「その点私の夫は良い。舞踏会とかに供に出れば――しかも最低限のですよ? それに出れば後は何しても良い。倫理観に差し障らない許容範囲でですけれど……それだけの価値が聖女の夫には有る」
え、と零された声に乗せるように笑う。
「私はあなたが良いのです(ビジネス相手的に)。だから楽して生きていくために私の夫の地位をもぎ取って見せなさい」
元々真っ赤だった顔をより急激に赤らめた王子はこくん、と頷いたあと動きを停止し、ぱたりと倒れた。
あー、うん。
確かにさ、もぎ取れとは言ったよ。
うん、言ったさ。
うん、ね?
でも、これは予想してなかったなあ、畜生。
「どうだい? 何か不都合な点は」
「そうですね、居心地がとても悪いです」
無事夜会で私の一番側の席を勝ち取ったロルフが、心配そうに眉を寄せる。
相変わらず王子様然とした白い衣装がとても似合っていた。
それに私は疲れたように言葉を返す。
この国は宗教国家だ。
国教会は国と同等と言っても過言ではない権力を持っているし、ここ百数年はめっきり現れていなかった癒やしの力を持つ聖女ともなれば、その存在と価値は国王、大司教共に軽く凌駕する。
最早人間じゃないように扱われる。鬱陶しいがしょうがない。
人間多かれ少なかれ背負うものがあるというものである。
故に国王より上の席を用意されるというのは違和感はあるが、不思議ではない。
それは良いのだ。良いのだが……。
「? もしかして皆に交ざってダンスでも――」
「いえ、そうでは無く」
「では料理に気になるものが――」
「いえ、そうでも無く」
「……何か体調が悪いというのなら父上に相談して」
「いえ、あの、貴方は居心地、悪くないのですか」
「いや、別に?」
何故だい? ときょとんと此方を見ている王子に唖然とさせられる。
え、ほんとに気にしてないの、この人。
もしかして真性のば……頭が幸せな方なのか。
「だ、だって、皆見ているではありませんか」
「それこそいつも通りではないか?」
「そうでは、なくて! この格好が恥ずかしいと申し上げているのです!! 貴方様こそ、こ、こんなの……」
「皆の視線より僕は君との会話の方が重要なんだ」
なんだ、この人。
もしかして変態なのか。変態なのか!
この、格好で、そんなに嬉しそうに微笑まれても、ちっとも胸に響かない。
睨みつけると、王子は、ん? と小首をかしげた。
角度的に(ということにしておこう)私は彼を見下し、軽蔑しているように見えるだろうに、なんでそんな呑気なの。
もうやだ。こんなの。
はやくおうちにかえりたい。
「聖女猊下、御機嫌よう。御楽しみなされていると良いのですが」
ふんわりと野原に吹く春風のように優しく笑ったのは、王子のお母様――王妃殿下だ。
王子と同じ猫っ毛の金髪がゆるゆると揺れて、一世代下の私でさえ愛らしいと感じてしまう。
「……王妃陛下、御機嫌よう。この通り、楽しませて頂いていますわ」
王子に目配せをし、無駄に豪華な椅子から腰を上げる。
胸に手を当て、ふわりと笑んで歓迎を表した。
自分で言ったのも何だが、どの通りなのか私が聞きたい。
「両陛下のご配慮、感謝いたします」
「いいえ、当然の事をしたまでです。寧ろこの程度で許してくださったその御心の広さに、感服致しました。これからも息子を末永く宜しくお願いしますね」
「このてい……いえ、此方こそ宜しくお願い致しますわ」
朗らかな笑みを向けられ、笑顔が引き釣らないように気をつけながら再度笑みを返した。
え、これ以上って逆に何ですか……?
この王子の処遇を“この程度”て……王家の闇を感じる。
王妃様超怖い。
これ公開処刑じゃないですか、私も巻き込まれてやがるけど。
人によっては自殺とかあり得る系のそれじゃないですか、私も被害にあっているけどな。
再度王子に席に着くよう促され、仕方なくとても不本意ながら席に着く。
王家、大司教並びに聖女はこの会場の皆が順々に挨拶を終えるまで、専用の席に着いていなければならない。
そういう規則なのだ。
だからしょうがないじゃないか――でなければこんなとこ、誰がいるか!
いえ、顔には出してませんよ。これも仕事ですからね、立派な。
自分で言うのも何だけど天使のような祝福授けそうな笑みを常に浮かべていますとも。
だからまあ心の中で叫ぶくらいは許して欲しい。
「御機嫌よう、猊下」
「御機嫌よう、ルマンド伯爵。貴方達に花の精の祝福がありますように」
「ご、ごきげんよう、せーじょさま」
「あら、ごきげんよう。リリシアさん」
この国の女性は基本、可愛らしい花の精のような容姿をしている。
そして、どちらかと言えば男性の方が優位ではあるものの、国教の崇め称える存在が花の精である故に、他の国の者たちよりも男尊女卑思考が薄く、平等思考、そして女性を敬う思考が根付いている。
まあそんなことはどうでも良いのだが。
まだ6歳になったばかりのリリシア伯爵令嬢は、もじもじしながら顔を赤らめて、あの、と言葉を続けた。
「せーじょさまは、じょおうさまになったのですか?」
「――ごふっ」
「――ぷはっ」
耳を澄ませていた数人が一斉に吹いた。
「こ、こら! リリシア! ……すみません、聖女猊下。この子ったらまだ何も分かってなくて……」
「だって、みんなせーじょさまがじょおうさまみたいだーって」
「猊下、申し訳ありません。ほら、リリシア、もう行くぞ」
「えー」
「えー、じゃない」
ぺこぺこと頭を下げていくルマンド夫妻を見ながら、私は思わず遠い目をした。
本当に何故こうなったのか。
「おい、大丈夫か?」
ああ、そうだ。こいつのせいだ。
思わず八つ当たりをしようとしたが、今それをするとリリシアの言ったことがより現実味を帯びてしまうので我慢した。
後で制裁を加えるリストにはしっかり書き込んでおく。
今王子がしている……させられている? 以上の制裁ってなんだろう。
「いっ……」
おっと、しまった。
自重したつもりなのだがつい足に力が。
まあ事故よね事故事故。
別に脳天気な顔がむかついたからとかそんな狭量なことではない。断じて。
だから私は微笑むのだ。
足元に向かって。
「あら、ごめんなさい。つい……。そんなところにいらっしゃるもので」
「いや、寧ろこの位で済ませてもらえるなどなんていたたたたたたた」
「おほほほほ、申しわけないですわ」
「ねー、なんでおーじさまはせーじょさまの足元でよつんばいになってるの、おかーさま」
「さあ……きっと、とてもとても悪いことをしたから、神聖な聖女様の御御脚で清めてもらっているのね」
「えっ、怖っ、狂ってんの?」by隣国の大使
絵面にすると(しなくても)かなりやばい光景。だけど登場人物全員の顔がいいので宗教画にも見えてきて混乱する隣国の大使。
誤字報告ありがとうございます!
特に敬称について教えて下さった方、とても勉強になりました。この場を借りて御礼申し上げたいと思います。