ご・め・ん・な・さ・い!
アオイさんの手を外の井戸水で洗って居ると、そこに人型に翼を生やしたイグニスさんが戻ってきました。何故か憮然とした表情です。
「マリー、我を小間使いにするとはいい度胸だ。が、しっかり手紙は届けたぞ」
私はその言葉ににっこり笑ってイグニスさんに近付きます。手拭いで手を拭いたアオイさんは、まさかという様子でイグニスさんと私を見比べていました。
私は笑ったまま、腕を伸ばして少しジャンプすると、イグニスさんの赤髪を掴んで着地して思い切り頭を下げさせました。
「イグニスさん! はい、ごめんなさいですよ!」
「なんだなんだなんだというのだ! 我が何をした?!」
「したでしょ! 騒音でどれだけの人が迷惑を被ったと思ってるんですか! まずはアオイさんにごめんなさいです!」
ぐっと髪を握る手に力を込めると、わかった、わかったから離せ、とイグニスさんは暴れました。それを抑え込んで、私は低い声で言います。
「ご・め・ん・な・さ・い・ですよ」
「ごめんなさい! 我が悪かった! 何でもするから許してくれ!」
私はパッと手を離してアオイさんに向き直りました。イグニスさんは頭を下げたまま押さえています。
「と、いう事でお使いに行ってきてもらったので、アオイさんは許してくれますか? イグニスさんも態とやっていたわけではないんです、ドラゴンゾンビ状態で死ぬに死ねないまま苦しんでたんです」
アオイさんにイグニスさんの事情を簡単に説明すると、アオイさんは口元に手を当てて考え込み、目を伏せ、きっといろんな感情を飲み込んで。
「……わかった。事情が事情だ。仕方がない」
「暫くしたらクズハさんはきっと遊びにきます。それまでうちに滞在してください、客間を空けますから」
そこでようやく頭の痛みから解放されたイグニスさんががばっと顔を上げました。
「何?! 我と馬以外の男を家に連れ込む気か?! ならば我も暫くここに……」
「貴方の家、すぐそこじゃないですか。通ってくるのは構いませんけど、寝床はありませんよ」
ドラゴンの姿のまま寝てもらう場所はどこにもありません。洗濯部屋なら多少広いですが、そこに窮屈に寝てもらうのもどうかと思いますし。
「だが……」
「アオイさんはフェンリルですし、忘れられない女性がいるんです。間違っても変な事にはなりませんから」
こう説明したら、イグニスさんは分かったとつまらなそうに返事をしました。
でも何故でしょう? 私は自分で言ったことなのに、なぜか胸が苦しくなりました。
そして、あの夜、強く抱きしめられたことを思い出します。あれ? 私、今どんな顔をしているのでしょう。
私の不穏な空気を感じて、イグニスさんがぐっと私を片腕で抱きしめました。きゃーー、人生二度目の抱擁ですよ! でも、すごく安心します。胸の痛みがすっと引くような、不思議な感覚です。どうした事でしょう。
「おい、犬。この女を泣かせたら、レッドドラゴンである我が許さぬぞ」
「魔女は恩人だ。決して泣かせはしないし、手も出さない。約束する」
「フン。……マリー、我は腹が減った」
アオイさんの真摯な言葉に一つ鼻を鳴らすと、イグニスさんは腕の中の私に笑い掛けました。なんだか私は照れ臭くて、どぎまぎして、イグニスさんをぐいーっと押し戻して体を離しました。
「じゃ、じゃあみんなでご飯にしましょう!」
「それは私も混ぜてくれるんですよね?」
「ひゃっ?! か、神様?!」
背後から、ラフな格好の神様がバスケットを持って現れました。きっとバスケットの大きさからは考えられないご馳走がたっぷり入っている事でしょう。
「たくさん作ってきました。さ、晩ご飯にしましょう」
すると、家の裏手からシェルさんもやってきました。少し苦笑いしています。
「私もこうなるのを見越して多めに作って置いたんですが……、まぁトカゲと犬がいるなら残ることも無いでしょう」
相変わらずイグニスさんとは火花を散らしていますが、まさかシェルさんまでアオイさんを犬呼ばわりとは思いませんでした。アニマルルールはよく分かりません。
胸の中のもやもやは……まだ少し残っています。俯いてスカートを握ってしまいました。なんなんでしょう、本当に原因が分からなくて困ります。そんな私の背にクリス神様がそっと手を置きます。
「行きましょう、マリー」
「マリー様」
「マリー、顔を上げろ」
「魔女、しばらく厄介になる」
私は彼らの声にはっきりと励まされて、顔を上げます。こんなよく分からないものに時間を持っていかれるのは、なんだかとっても勿体ない気がして。
そして笑って「はい!」と告げると、暖かいあのリビングで、楽しい晩餐を過ごしました。




