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木の下闇  作者: 皇 凪沙
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6. 厭夜


───嫌な夜だねえ。

 えんが呟く。

 そよ吹く風さえない、蒸し暑い夜だった。

 外はねっとりとした闇に包まれ、月のない空に生気の無い星が瞬きもせず、気怠げにただ光っている。

 閻魔堂の扉は開け放たれ、ぼんやりと灯った蠟燭の火が、扉の外を頼り無く曖昧に照らしていた。

「───こうした夜も、時にあるものでございます。」

 外の闇に目を遣りながら、倶生神さえ珍しく物憂い様子でそう言った。

 嫌な夜だった。

 既に夜も更けていると云うのに、蒸し暑さは少しも和らがない。

 開け放たれた扉の向こうに広がる闇には、じっとりとした湿気ばかりではなく、何やらひどく不快な気配が含まれている気がした。

 落ち着かない気持ちを持て余すえんを見下ろし、閻魔王が云った。

「ひとの世には───嫌なことも起こる。」

 呟く声は、憂いを帯びている。

「───ひとの世で起こる事は、我々にはどうする事も出来ませぬ。こうした夜が少ない様にと、願うばかりにございます。」

 同じく憂いを含んだ声で、倶生神が言った。

 この闇の中でなにやら憂うべき事が起きているのだ───そう気がついて、えんは遣り切れない思いで外の闇を見つめる。手を触れれば押し返して来そうなその闇は、今ははっきりと禍々しい気配を含んで、べったりと戸口を塞いでいた。

 じっと見つめる暗闇に、ふっとこの間見たばかりの無惨に斬られた骸の影が浮かんだ気がして、えんは頭を振って顔を上げた。

 見ると、倶生神がひどく悲しげな顔で同じ闇を見つめている。

「また、誰か死ぬのかい?」

 呟きが口を突いた。

「───さて、な。」

 ぽつりと閻魔王が言う。

 倶生神が気がついたように閻魔王を見上げた。

 えんは、ふっと小さなため息をついて立ち上がる。

「ひとってのは───つくづく馬鹿だね。」

 悔しげな顔でえんがそう云うと、

「そのような事を、申されますな。」

と、倶生神が少し哀しげな笑みを浮かべて、えんにそう言った。

 閻魔王が、ふんと笑う。

「ひととはそんなものであろう。だが───仏も元はひとよ。」

 そう言って、閻魔王はえんの顰め面を見下ろす。

 それを見上げて、倶生神が穏やかに頷いた。

「愚かしく思える事もありますが、ひとが皆愚かなわけではありませぬ。悪事を成すのもひとならば、善業偉業を成すのもまた、ひとにございましょう───」

 そう言って、倶生神は僅かに愛おしむような微笑みをその顔に浮かべた。

「───ですから、私はひとに添うので御座います。」

 倶生神を見上げて、えんは頷く。

「そうだね───」

 ひとの世が捨てたものではない事を、えんは知っている。それでも今夜の遣り切れなさは、どうにもならなかった。

 須弥壇脇をそっと離れ、えんは戸口に立つ。

 不穏な気配を察してか、闇の中には虫の声さえない。

 近づけば、戸口を塞いだ闇は幾分重さが失せたようだったが、外を覗けば目の前には、濃く澱んだ闇が広がっている。見上げると、塗り潰したような夜空がねっとりとえんを見下ろしていた。

 汗ばんだ頸に不意に寒けを感じ、えんはぶるりと身を震わせる。

 今夜は、眠れそうにないね───

 そう呟いて、背後が闇に沈まぬ内にえんは急いで振り返る。

 今夜は、帰る気になれなかった───。



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