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第5話『どしゃぶりリグレット』

すこーしだけ長めです

 眼前に迫った悪魔は、秋葉を掴むように手を伸ばしてくる。鼻を鳴らす荒い息づかい。視界をどんどん奪う大きな掌に、自らの余命を視る。

 死ぬんだ、私。なんて、呆気ない。食いしばっていた顎の力も緩み、全身の力が抜ける。もっと自分は強いものだと思っていた。いざという時はゾンビ映画の主人公のように、鮮やかに危機を脱するものだと思っていた。

 隣人を守り、己を護る。

 武道を訓えてくれた祖父が何度も、何度も何度も繰り返し説いた教えが、昔気質な性格を引き写したような声音で思い出される。心得ていたつもりだった。事実、これまで祖父の教えを大切に生きてきた。だが現実はどうか。現実的な事態に直面して、私は、誰かを守る以前に自分を護ることすら──。


 数字に起こせば、おそらくはコンマ数秒の思考。死期を悟った本能が、刹那の情景をコマ送りにして引き伸ばす。目の前で開かれた悪魔の掌。皴の刻まれた黒い皮膚は、体毛に覆われてこそいないが、硬く分厚いことが見て取れる。

 ゴリラみたいな手だ。どうでも良い思いつきが、ふと脳裏で像を結んだ。瞬間、悪魔の指先がピクリと痙攣したように動き、何かを悟ったのか急に後方に飛び退る。

 今しがた悪魔が踏み切った場所を、どこからか降ってきたオレンジ色の炎の幕が、のたうつ蛇のように舐める。次いでストロボの如く閃いた青白い光が網膜を刺激し、秋葉はただ、ぎゃっと情けない声を上げて目を庇うしかなかった。

 距離を取った悪魔にしても、唐突な閃光を遮る術はなかったらしく、悶えるように空を仰ぎながら苦しみが滲んだ声をあげる。



「そこの! 動かないで、そのままじっとして!」



 真っ白になった頭に、若い男の声が響く。まだ視界がチカチカする不快感を堪えて目を開くと、両腕に炎を走らせた人影が宙を舞っていた。


 翼のように閃かせた炎を両手に集中させる。手のひら大にまとまった火球が強い光を放つや、腕を振り出す動きと連動して、火球が打ち出された。

 緩く弧を描いた火球は、悪魔が無茶苦茶に振るう長剣の太刀筋をすり抜けて上半身を打ち据えた。悪魔はマッチの如くたちまちのうちに燃え上がり、苦悶の雄叫びを響かせる。



「無事か?」



 火柱を上げる化け物が膝をついたのを確認した青年は、背後でへたりこんでいる秋葉を振り返った。燃えるような赤い髪と涼しげな碧い瞳。対照的な二者が混然一体となっているその人は秋葉とそう年齢は変わらないか、少し上といった印象を受ける。

 袖を通している赤いジャケットは砂埃を被っている。青年自身もそこかしこに生傷を拵えていて、今しがた操っていた炎からも、悪魔と一騎討ちをしていた相手だと理解するのに時間はかからなかった。



「へ、平気です。ありがとう」

「どうしてキミみたいな子がここに? ここは普通入ってこれないはずなんだが……」

「家に帰る途中で、気がついたらここにいたから私にはなにがなんだか。それよりあの変なのは? あなたも手から火、出してませんでした?」



 今まで心細かった所に話ができる相手ができたこともあってか、堰を切ったように質問が口をついて出てしまう。思考が散り散りだ。そう思い至ったのは苦笑を浮かべて頭をかく青年の反応を認めてからだった。



「おーけー。こんな状況だけど、とりあえず落ち着いて。まずは先客を片付けるからさ」



 不安に駆られる秋葉の諸々の思考を汲み取ったのだろう。戯けた調子を混ぜて取りなした青年が親指で肩越しに指し示したのは、炭化して膝をついている悪魔だった。一見なんでもないように思われたが、パキ……パキ……と炭化した身体が壊れる音を立てながら、悪魔は赫い眼を見開き、再起動を始めていた。



「そんな、やっつけたんじゃ」

「もうひと押しってところだね。さ、ボクの背後(うしろ)に」

「は、はい!」



 青年の身体の横から顔をチョコンと出して悪魔を覗く。超高温の炎に炙られて炭になったのは皮膚ばかりでなかったらしい。筋肉だった炭がひとかたまり、ボロリと崩れて落ちる。

 崩れる箇所がひとつにとどまることはなく、悪魔が四肢に力を込める度に、炭となった身体が砕けていった。


 よくよく観察してみれば、それが機能不全を起こした部分をパージしていることに勘付いたかもしれない。だが秋葉に残されていたティースプーン程度の理性では、そこまでの状況判断は不可能というもので、なにより秋葉を驚かせたのは、失われた先から生まれてくる鮮やかな桃色をした筋繊維だった。


 バラバラの髪の毛を櫛で梳き、三つ編みにしていくように破断面から生じた筋繊維が寄り合い、筋肉となり、皮膚のフィルターがかかって体毛で覆いをする。


 ついていた膝を地から離し、取り落としていた長剣を握り直した頃にはもう、その姿は炎に巻かれる前と寸分違わないものになっていた。

 すっかり状態が回復したと窺える牛頭の化け物──魔獣の姿に青年は静かに嘆息する傍らで頭をフル回転させる。自分以外の誰かがこの空間にいるとは想定外だった。それも魔術の心得もないと見える人間など、イレギュラー中のイレギュラーといっても差し支えない。

 お陰で、ただでさえカツカツな魔力を、大した効果のない技に割かざるを得なくなった。その上、降りかかる攻撃を退けるにも、この娘のことを気遣うことが強いられる。護りきれるかと焦燥感が立ち昇り、思考が乱れるが、轟いた魔獣の咆哮で青年は現実に立ち返った。


 どうやら炭化するまで焼かれたことへの恨みを持つ程度の知能はあるらしい。冷静に魔獣の挙動を観察しながら、青年は次の一手に備えて魔力を練り始める。

 青年が行使している能力は”発火”だが、本来はここまでの威力もなければ、必要分の魔力も保有していない。それがこうしていられるのは、偏に少年と同化している焔の輝石(ルビー)という、惑星に刻まれた焔の記憶と人が作り出した精緻な魔術式とで編まれた特殊な宝石があるからだ。


 魔力にはオドとマナの二種類が存在する。生物が体内に蓄える魔力をオド。大気や大地、水、草といった世界のあらゆる所に存在している体外の魔力がマナとされる。

 本来オドは、身体が時間をかけてマナを吸収して補充されるが、青年が行なっていたのは周囲のマナを吸収するクリスタルの性質を応用して、全開で消費した端からオドを満タンにするという手段だった。

 強引な魔力放出ではあるが、そうでもしなければ、そもそも戦闘型でもない青年の本来の力では魔獣には勝てない。

 無茶による反動は全身を走る痛みになっている。ジクジクと尾を引く、焼け付くような痛みは、皮膚の下で芋虫が肉を喰らって這いずっているようだ。



「ったく……アーティザンだったら、また違うんだろうけど」



 弱音を零して、多少大きくなってきた諦観を宥めたのを最後に、思考を戦闘にキッパリ切り替える。

 青年が練り終えた魔力を右手に集中させたように、魔獣も力を溜め込んでいたらしく、鼓舞するように雄叫びを上げた魔獣が大上段に構えた剣を振り下ろした。


 熾烈な勢いで放たれた一振りが大気を斬り裂く。ただ 剣が空を切ったように見えたが、斬撃は大気を弾いて衝撃波を生じさせていた。迫る不可視の一刀を、真一文字に抉れて伸びる足元のコンクリートの筋を見て悟るや、右手の魔力を強化の魔術に変換する。


 蒼炎に包まれた手刀を大地に突き立てる。手首まで埋まった手を地中でスコップ状にすると、青年は畳返しよろしく、ひとかたまりの岩盤を掘り返した。

 縦に五メートル、幅は車道二車線分はあるそれは、見えぬ斬撃と激突するや粉々に爆散した。瞬く間にコンクリート片やら、土塊やらに変わった岩盤はギリギリ盾としての用を成してくれた。

 強化の魔術を脚へと流した青年は、倍加した脚力で魔獣との距離を一飛びで詰める。計算外ではあったが、飛散した土塊は目眩しの役割も果たしてくれたようで、少年は魔獣の懐に飛び込むことができた。



「はあああァァァアッ!!!」



 水平に薙いだ剣を身を屈めて躱す。即座に半歩のバックステップで、射程に入った魔獣の腕を蹴り上げる。強化の魔術が残る脚撃は剃刀の如き鋭さをもって、豪腕の伸びきった肘関節を捉えた。

 そのまま切断した右腕が、高温の炎に晒されるのは見ず、踵から炎のカタチを取った魔力を練らないまま噴射。天地逆さになっていた身を、一回転して再び地につける。急激に魔力が抜ける感覚に、ガクンと全身に力が入らなくなる。根を上げ始めた身体にムチ打ち、クリスタルの力にものを言わせてマナを吸い上げて魔力を補充する。


 ──刹那。瞬間的な魔力枯渇と補充の為に、動きが止まらざるを得なかった青年を、片手落ちになった魔獣の左腕が打ち据えた。



「ウグ、グ……ガァァァァア!!」

「……このッ!!」



 咄嗟の防御は間に合ったものの、完全な強化をかけるまではできなかった。

 べしゃべしゃになって、受けた衝撃の大きさを訴える腕を庇いながら、改めて強化の魔術を施す。並行して治癒魔術も流すことで、崩れた腕を辛うじて元の形に戻したが、要は魔力をギブス代わりにして、特に損傷の酷い箇所を集中的に治しているだけだ。


 痛みは、大して引かない。



「このデカブツ……痛い、でしょうがァ!」



 青年の叫び。激痛を少しでも和らげようと喉を震わせる。右腕に這わせた魔力の全てを攻撃に転用し、指先に今できる最大限の強化をする。


 既に目の当たりにしているように、魔獣は全身を焼いても、腕を切り飛ばしても、何事もなかったように回復する超再生の能力がある。変わり映えのない攻撃を繰り返すばかりでは、いくら膝をつかせようと何度でも立ち上がるだろう。

 だが、不死身ではない。ヒトを生み出す錬金術で造られた奴ら魔獣は、高出力化を果たすために魔力を馬鹿喰いする。その必要な燃料を確保する手段として埋め込まれている魔力結晶が奴らの生命線であり、



「弱点ッ!」



 第三関節を掌と水平に伸ばし、第二関節から先は畳んで獣の掌に整えた右手を、ガラ空きになった魔獣の胸部に叩き込む。打ち込まれた掌底は、衝撃波として筋肉の防御を抜け、胸骨を粉砕して胸腔に至る。

 人間であれば間違いなく即死の一撃。全身全霊の掌底は、確殺にはならずとも致命の一手となって魔獣に届いた。


 魔獣の再生力を考えれば大した攻撃ではないかもしれない。だが再生も瞬時に行われるわけではない上に、再生中は動きが止まる──青年の思惑はそこにあった。


 掌底の構えから手刀に再度変えて魔獣を貫く。狙いは肺でも、心臓でもない。身体の中心部ちょうどに位置する魔力結晶を掴まえ、一気に引き抜く。

 ブチッ。ブチッ。と何かが千切れる音が聞こえたが、それが実際の筋繊維や神経が切れた音なのか、魔獣と魔力結晶の間に在った、魔力の(みち)が壊れた音なのか。すぐに判別は付かなかった。


 いずれにせよ、手のひら大の紫色の結晶を体外に摘出した青年は、渾身の力を込めて結晶を握り潰した。手の中で無数の細かい針状に砕けた紫紺の煌めきは、ふわりと中空で滞留してから大気へと溶けていく。

 魔獣の醜悪さとはとても似つかない、格別の美しさを有した煌めきが大気に溶け、薄れていく。熾烈な闘いの呆気ない幕引きだった。

 見送る青年の側で膝をついた魔獣は、全身から蒸気を吹き上げている。肉が。骨が。魔力供給で現界を許されていた身体が、唯一の生命線が断たれたことで消滅を始めていた。

 今度こそ、終わった。大きく息を吐いて気を緩めた身体がバランスを崩した。勢いよく迫るコンクリートに青年は歯を食いしばったが、予想された衝撃は来ず、やんわり受け止められる感触と柔らかな香りが全身を包んだ。


「キ、キミ……」


 顕著になってきた全身の激痛が、感知野をザクザクと痛めつけるのを感じる。歪みそうな顔を根性で矯正しつつ、見上げた先にあったのは安堵の涙で目元を光らせて、照れ臭そうに微笑む少女の姿だった。

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