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第4話『ほぼ地獄』

「……落ちた?」


 立ち昇る土煙を建物越しに見やった時、二度目の衝撃音が鳴る。ちょうど土煙が立つ辺りで鳴ったことから、もう一方、青い炎を出していた人影が追撃に来たと考えるのが妥当だろう。


 ──落ちた人は、どうなった?


 通常なら、遥か上空から落下した人間が生きている保証はないが、降ってきた人影は空を飛んで火まで出していた。常軌を逸した“それ”が果たして人間(ひと)か。生憎とファンタジーは創作の中だけ、という常識しか持ち合わせていない身には、真偽を判断することは不可能だった。


「ドッキリ、だったらなあ」


 無いと思いつつ、捨てきれなかった思いをため息と共に吐く。


 都合三回目の衝撃が響いたのは直後だった。


 さっきまでより近く、秋葉の骨身の芯まで震わせた衝撃は、実際には視界を真っ白に染め上げる閃光に一拍遅れて届いていた。だがそんなことが武道をかじっているだけで、他は並の女子中学生と変わらない秋葉に判るはずがない。続く爆轟で鼓膜を圧され、視覚と聴覚が利かなくなった秋葉は瞬間的に前後不覚に陥った。


 真っ白な暗闇の中で、ぐらりと平衡感覚が揺らいだ秋葉の肌を高温の風が嬲る。次いで、髪が焦げる臭いが鼻を突いたことで本能的に危険を察して、微かに残る足裏の地面の感覚だけを頼りに小さくうずくまる。

 縮こまった背中を、吹き荒ぶ爆風が容赦なく叩く。小石か、砕けたコンクリート片か、バラバラと降り注いでくる石の雨に秋葉は、ただただ身を強張らせて風雨が収まる時機を待つしかなかった。


「いってて……」


 痺れた頭を抑える。ぐらついた平衡感覚に、思わず片足をつきながら、秋葉は重い頭を保持して事態の原因を探ろうとする。

 半壊したビル。抉れたアスファルト。そこかしこに散乱する大小の瓦礫。滞留する粉塵で霞む視界の中、断片的に捉える景色は、どれも破壊の爪痕を引き写している。


 左から右へ。徐々に減衰する破壊の痕を見て、左からなにかが来たことは直感的に理解できたが、だからといってそれ以上の仔細が分かるわけではない。



「もう、わけわかんないよ」



 唐突に知らない道に迷い込んで、歩いても歩いても好転しない事態に焦れている時に、突如として数歩先の景色が破壊されたのだ。こんな非現実的な出来事。軍人ならいざ知らず、普通の女子中学生が耐えられる許容値は既に超えていた。



「ゥグ、ァガァァアアア……」


「ひっ」



 動物よりも荒々しく、聞くだけで肌が本能的に粟立つ唸り声。腹を空かせた獰猛な獣を思わせる”声”が響く。身が強張るのを感じたが、それはまるで他人事のようで、秋葉の視線は半壊したビルの瓦礫を踏みしめてのっそりと姿を現した”それ”に吸い込まれていた。


 漂う粉塵で全体像ははっきりとしないが、二本の脚で立ち、二本の腕をだらりと下げる”それ”は間違いなく人型であると言えた。だが粉塵の切れ目から覗いた青味がかった体躯は、成人男性の一・五倍はあろうかというほどの大きさを誇っている。何かは分からないが、まず”人”ではないことは一目で判る。


 ではなんだ? 思わず自問する。答えが出ることを期待したわけではない。考えて少しでも頭を動かさなくては恐怖で自分が潰れる、そう感じたのだ。


 息を殺して、“それ”を精査する。人のものではない身体。見ると、人外という認識を誇張するように、側頭部から太い角が水平に張り出している。

 そして秋葉を震撼させたのは、風貌が完全に人ではない獣の顔ことだ。横に伸びる角と併せて水牛によく似た相貌だが、その目に温厚な色は見えない。光がなく、全ての感情を削ぎ落とした瞳は、底なしの沼を想起させる。


 便宜上、水牛の悪魔と仮称を付けたところで、秋葉はいつの間にやら指先すら動かすことのできなくなっている我が身に歯噛みする。今すぐ悪魔に背を向けて逃げ出したいのに、全身をセメント漬けにされたようにぴくりとも動けない。



「なんで、ちょっと待ってよ……」



 四肢に力を込めて立ち上がろうとしても、筋肉は力なく震えるばかりで、握る拳にも力が入らず、頼りない。食いしばった歯の隙間から押し殺した息を吐く。このままでは、まずい。なにが、という主語も定まらないままに、焦りばかりが膨らんで正常な判断を鈍らせていく。


 悪魔がスンと鼻を鳴らしたのは、その時だった。

 まるで秋葉が抱いた恐怖、焦りといった感情を()()()()()ように、鳴らした鼻を秋葉へと向ける。


 どうやら悪魔は目標を秋葉に定めたようだった。切っ先の無い、両刃の長剣を掲げて近づいてくる。不自然なまでに長い剣には、見覚えがあった。そう、以前テレビで見た中世の処刑人が斬首刑の為に用いていたあの剣だ。


 じゃあ、私はあの剣で、今から首を斬られる? 恐怖に支配された身体は思うように動いてくれず、じりじりと後ずさることしかできない秋葉との距離は、悪魔の巨体さもあって、十数メートルはあった猶予もあっという間に縮まってしまった。


 間近で見る悪魔は酷く不気味だった。青っぽく見えた身体は、実際には彩度の低い青銅色の体毛に覆われていた。吐く息も荒々しく、感情の無い目で見下ろす悪魔はまるで抜け殻のようで……



 ────いや、違う。




「何が……そんなに可笑しいのよ」


 呟くように。独りごちるように零れた言葉。

 震える声で、頬に一条の線を描いた雫と共に、秋葉は悪魔の貌を見上げる。


 見上げた貌は、今までに見たことがないほどの、




 悪意に。




 狂気に。




 殺意に。





 愉悦に満ちた貌だった。

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