第3話『未確認飛行物体X』
それからの着替えと片付けはあっという間で、挨拶を終えると部員も先輩後輩の区別なく、三々五々に連れ立って下校していく。
「秋葉ちゃんまたねー」
「お疲れ様でしたー!」
「穂積ー、帰りは気をつけんのよー」
同級生に後輩、先輩達から声をかけられながら秋葉はクロスバイクで家路を急いだ。他の部員と一緒にゆっくり帰っても良いのだが、そうすると家が少し離れている秋葉が帰宅するころにはお腹がだいぶ切なくなってしまう。
毬名と帰る時には一緒に買い食いしながら帰るからゆっくり帰っても問題ない。部活終わりにチラと体育館を覗くと、毬名のほうはまだ練習が終わる気配がなかったから今日は潔く諦めることにする。
みんなと楽しくお喋りしながら下校したいと思わないでもない。でも夕暮れに追い立てられるように一人忙しなくペダルを漕ぎながら頭の片隅で組手をイメージトレーニングをするのは、もはや慣れ親しんだ日課だ。それに自転車を漕ぐ間は無心になれるからイメトレも捗るので一人で帰るのは、まあ、結果オーライでもある。
商店が立ち並ぶ交差点で、赤信号にキッと音を立てて自転車を止める。夕暮れ時。人気のない交差点にブレーキ音がこだまする。
人気がないのはいつものことだが、やはり薄暗がりになってくるとどこか不安の色が差してくる。そんな時はとにかく思考を止めないことが得策だ。信号が青に変わるのを待つ傍ら、秋葉は伸びをして固まった身をほぐす。
「そういえば再来週、おじいちゃんに呼ばれてたっけ」
秋葉の祖父は空手の師範代で、今はもう閉めているが数年前までは道場を開いていた。無論、秋葉を武道の道に引き込んだのも祖父だ。
そろそろ良い歳のはずだが、日本一に輝いたこともある足腰は未だ健在で、祖父母の家を訪れた時は必ず指導を受けている。
「んー、その時に攻め重視の型を教えてもらうのもアリかなぁ」
手癖のように突きを出しながらウーンと唸る。秋葉が得意とする防御重視の型は祖父に教わったものだ。一方で祖父自身が得意とするのは真逆の攻撃一辺倒の型。祖父は秋葉の体格や癖、性格を考慮した上で今の型を教えてくれたのだが──
「堅実な型も悪くはないんだけど連戦の時はやっぱりキツいし。あーでも、攻めの型も自分から相手に向かっていかなくちゃならないから、結局キツくなるのは変わらなくなっちゃうか」
悩んでいるうちに信号が青になっていたので取り敢えずこの件は保留。自分なりに考えて、その上で相談してみよう。
一応の着地点を見出してペダルに足を乗せる。
刹那。
下り階段で足を踏み外したような、短い落下の感覚が秋葉を襲う。
「きゃっ!?」
持ち前の体幹の良さで横転こそしなかったが、地に両足をつけて踏ん張った秋葉は、首をすくめたままゆっくりと周囲を窺う。
明度が一段、二段と下がったように明らかに周囲が暗くなっている。自転車のライトがあったのであまりにも暗くて仕方がないということはないが、原因が辺りの街灯や信号が軒並み消えているからだと分かったことで、より一層不安に煽られる。
「地震に、停電……じゃあないよね」
それらしい地鳴りは聞こえなかった。なにより、地震だとして揺れとは別種のあの落下感の理由づけができない。
ひとまず自転車から降りた秋葉は、注意深く辺りに目を走らせながら前に進んでいく。
静まり返ったシャッター街にチチチ、と普段は気にならないラチェット音がやけに大きく響く。
灯りが消えた以外の異常はなく、普段と変わらない景色がある。
観察の目を飛ばす秋葉がそう断じようとした時、唐突に影に覆われる。月に雲でもかかったのだろうか。なんの気もなしに空を見上げた秋葉は、自身の目が映したモノに、まさしく開いた口が塞がらない思いを味わった。
「嘘でしょ……」
夜目が利きだした視線の先にあったのは異様な光景だった。
宙に浮かぶ巨大な岩盤。だがよく見れば岩盤はひとつではなく、複数ある。さらに異常なのは岩盤が浮かぶ向こうに見える空だ。少し前まで夕暮れだった。呆けている間に日が落ちたにしても、こうも早くに星が浮かび上がるものか。
付け加えるなら、昨日満月だった月がどこを探してもない上に、秋葉が知るよりも星の数が多過ぎる。そして、そのひとつひとつが明るすぎるのだ。
なにがどうなっているのか。今自分はどこにいるのか。あまりにも突然の出来事に全ての形が、思考が曖昧になる。自転車のハンドルから手がすっぽ抜け、倒れた自転車がガシャンと大きな音を立てたが、腰の抜けた秋葉は自転車を立て直す間も無いまま、尻餅をついた。
「ほんとに一体なんなの、これ」
返事を期待したものではない呟きだったが、呼応するようなタイミングで、空で二条の煌きが交差した。
青い光と赤い光。初めはサーチライトのような直線的な光線に見えたそれらは何度も閃めき、交錯するごとに近づいてきて、次第に光が揺らめいているのが見て取れるようになる。
「光じゃない。アレは炎……? それにあの影って」
蒼炎と紅炎、それぞれの一端で踊る影はまだ小さくしか見えないが間違いない。人だ。人が空を飛び、炎を操っている。
どうやら紅炎を操る側は劣勢なようで、蒼炎の火線に何度も巻かれそうになるが、お返しとばかりに放つ紅炎の火線はどれも弱々しいばかりか、ことごとくが躱されている。
当たらない自らの攻撃に焦ったのか紅炎の人影が静止した状態で緋弾──火力が足りずぶつ切りの光弾としか映らない火線はもはや、緋い引っ掻き傷を空に遺す弾丸だった──を放つ。
狙いをつけていない、ただばら撒かれるだけの緋弾に避ける素振りも見せない蒼炎側の影はやがてその身に一際眩ゆい炎を宿らせた。
ダメだ。
何が、という主語が欠けたまま直感的に秋葉が察した矢先。一点に凝縮された蒼炎は、とてつもないほどのエネルギーの奔流となって空を真一文字に切り裂いた。空を切り裂いた光軸は耳を弄する轟音と膨大な光で秋葉の知覚を圧する。
思わず手で目をかばいながらも、薄目越しに太い光軸、その一点で赤い光が瞬くのを見る。
「ああ!!」
紅炎の主が攻撃を食らってしまったのだ。意識を失ったのか赤い炎を纏った人影が空から降ってくる。助けなければと思考が叫んだ時には遅く、人影は秋葉のいる交差点から一本ズレた通りにドンと激突音を上げていた。




