(5)
呆然と立ち尽くしている私を、笑顔の先輩が見つめている。
――それにしても、かっこいいなぁ。
それはパッと見のかっこよさということではなく、先輩の優しい人柄が現れているから、いっそう魅力的に映るのだろう。
おまけに長身の先輩が上半身を屈めたことで、顔がよく見えるということもあるかも知れない。
――至近距離で見てもかっこいいってことは、先輩のかっこよさは本物ってことだね。……え?
私がポカンとしてたっぷり三十秒近く経ってから、これまでになく近いところに先輩の顔があることをやっと理解した。
ビクッと肩を跳ね上げ、一歩後ずさる。
そんな私の態度に、先輩が寂しそうに笑った。
「慌てて離れなくてもいいのに」
「い、いえ、先輩がかっこよすぎて、近寄りがたいと言いますか……」
しどろもどろになる私を見て、先輩がソッと首を傾げる。
「春香ちゃんから見て、俺はかっこいい?」
私は即座に頷いた。
「はい! すっごくかっこいいです! 先輩は顔だけじゃなくて、声とか話し方も素敵です!」
勢いよく返した答えを聞いて、先輩は嬉しそうに笑う。
「そっか、好印象は持ってもらえているんだね」
私はふたたびコクコクと頷き返した。
「当然です! 先輩のこと、たくさんの人が素敵だって思っていますよ!」
一部の人たちは魅力溢れる先輩のことを悪く言っているけれど、要するにそれは僻んでいるからだ。
両手で拳を作って力説したけれど、なぜか先輩はため息を吐いた。
「……その他大勢の意見なんて、必要ないんだけどな。んー、まだまだか」
その呟きはあまりに小さな声だったので、まったく聞き取れない。
「今、なにか言いました?」
訊き返したら、先輩はニコッと笑って「なんでもないよ」と返してくる。
――そう言われたら、追及できないよね。
それに、私は友達の妹というだけのポジションだ。
グイグイ詰め寄ることが許される間柄ではない。
私は「分かりました」と、短く返すことしかできなかった。
私たちの間に微妙な空気が流れていると、足元で「みぎゃぁ!」というけたたましい鳴き声がした。
どうやら、ほったからしにされたマルが怒ったらしい。
「あっ、ごめんね。ほら、遊ぼうか」
慌てて機嫌を取ろうとする私の前で、先輩は制服のポケットからなにかを取り出した。
「今日は、おもちゃを持ってきたんだ」
先輩の手には、紐の先に派手な色の羽が何枚も付いているアイテムがある。
紐の端を持った先輩は、マルの前でヒラヒラと羽が揺れるように動かした。
とたんに、マルの目がキランと輝く。
「みゃぅん!」
動く羽根に合わせ、マルが右に左にと大はしゃぎ。
そして、たまにジャンプ。
かなりの食い付きぶりに、私と先輩が笑顔になる。
「わぁ、マルが楽しそう」
「気に入ったようだな。よし、ついてこい」
そう言って、先輩が軽く走り出す。
マルは不規則に揺れる羽根を目がけ、全力疾走だ。
「もうちょっとで届くよー、マル、頑張ってー。先輩も、追いつかれないように頑張ってー」
一人と一匹の様子を、私は離れたところで見守る。
それから十分ほどで、先輩たちが戻ってきた。
マルは先輩に抱っこされて、ちょっとぐったりしている。
それもそのはず。マルはまだ子猫だし、先輩が来るまで私と追いかけっこをしていたため、体力に限界が来たのだろう。
抱っこされて「にぃ……」と力なく鳴いているマルの頭を、私はよしよしと撫でてあげた。
「けっこう頑張ったね。偉い、偉い」
結局、羽飾りを捕まえることができなかったけれど、この小さな体にしてはなかなかのガッツを見せてくれた。
すると、先輩が「俺は?」と言った。
「え?」
きょとんと見上げる私に、先輩がちょっとつまらなそうに口を開く。
「マルだけじゃなくて、俺も頑張ったよ」
「……え?」
それでもキョトンとしていたら、先輩が中腰になって頭を差し出してきた。
「だから、撫でて」
「…………え?」
――撫でる? 先輩の頭を? 私が?
どういうことか理解できずにいると、先輩は右手でマルを抱っこして、空いた左手で私の右手首を掴む。
それから、自分の頭に私の手を乗せた。
「はい」
――いや、「はい」ってなに!?
やっぱり状況が呑み込めずに立ち尽くす私の手を、先輩が優しく動かす。
「マルにしてあげたのと、同じようにしてくれたらいいんだよ。難しくないでしょ」
確かに、撫でることは難しくない。
だけど、どうして私が先輩の頭を撫でるのかを理解するのが難しい。
「えっと、あの……」
手を動かされる私がしどろもどろになっていると、先輩はおもむろに顔を上げた。
「マルだけ頭を撫でてもらうのは、不公平だと思って」
「……はぁ」
要点を得ない説明に、私は間の抜けた声を発する。
――とりあえず、先輩の頭を撫でたらいいってことだよね?
腑に落ちないながらも、私は先輩の頭を撫でた。
見た目通り、先輩の髪はサラッサラのツヤッツヤ。いったい、どんなシャンプーとトリートメントを使っているのだろうか。
素晴らしい手触りを味わいながらも、最後まで私は先輩の頭を撫でる理由が分からなかった。
一分ほど撫で続けたところで、ようやく私の右手が解放された。
「うん、気持ちよかった」
満足そうな先輩の様子に、とりあえず「よかったですね」と返す。
なにがよかったのか自分でも分からないが、他の言葉が見つからなかった。
曖昧な笑みを浮かべる私に、先輩がにっこりと笑う。
「ありがとう」
お礼を言われる意味も分からないので、私はさらに曖昧な笑みを深めた。
そこで、先輩に抱っこされているマルがすやすやと眠っているのに気が付く。
「今日はたくさん遊んだから、疲れちゃったんだね」
マルの寝顔を覗き込んだ私は、そのあどけない様子にフワッと心の奥が温かくなる。
「可愛い寝顔ですね」
「春香ちゃんの笑顔のほうが、もっと可愛いよ」
「……え?」
そんな相槌が返ってくるとは思っていなかったので、思わず先輩を見上げた。
「マルももちろん可愛いけど、俺は春香ちゃんのほうが何倍も可愛いと思うな」
さりげなく告げられたセリフに、ボフッと顔が熱を持つ。
「そ、そ、そんなこと、ありません!」
恥ずかしさのあまり、私は両手で顔を覆ってパッと俯いた。
そんな私の頭を、先輩は左手でソッと撫でる。
「ほら、そういうところが本当に可愛い」
この日、私は生まれて初めて顔から火が出るという経験をしたのだった。