(4)
先輩と顔を合わせるようになって、二週間が過ぎた。
一度だけ雨が降ってマルと遊べなかったけれど、それ以外は必ずあの場所で顔を合わせている。
裏庭にいる間、やたらと頭を撫でられることや、すぐ隣に先輩がいることが増えたように思う。
先輩にはお兄さん、お姉さんがいるけれど、自分より年下の家族はいないそうだ。
だから、私のことを妹として可愛がってくれているのだろう。
実の兄よりも優しく紳士的な態度で接してくれる先輩に、私はいつしかドキドキするようになっていた。
先輩は見た目も中身も素敵だけど、マルと遊んでいる時の先輩がなんだか可愛くて、その笑顔に惹かれたのだ。
いつものように放課後を迎えると、私は猫用のおやつが入った小さめのビニル袋を通学バッグから取り出す。
その時、スカートのポケットに入れているスマートフォンが小刻みに振動した。
画面を見ると、先輩からのメッセージが届いているという表示がある。
受信フォルダを開いたら、『用事ができたので、三十分くらい遅れる』と書いてあった。
私はちょっと考えてから、先輩へ返信する。
『分かりました。でも、無理に来なくても大丈夫ですよ』
マルにおやつをあげるのも遊ぶのも、私一人で十分こなせるのだ。
用事を終えた後でわざわざ裏庭まで来るのは面倒なことだろうと思い、そうメッセージを返したのだが……。
直後に、また先輩からメッセージが届く。
『無理じゃない。必ず会いに行くから』
その内容に、ドキッと私の心臓が跳ねた。
――な、なに、勘違いしてるの!? 先輩は、マルに会いに行くって言ってるんだからね!
先輩と接するようになって、その人柄に惹かれている自覚がある私は、必死に自分に言い聞かせて暴れる心臓を落ち着かせる。
仲のいい友達の妹だから親しくしてもらっているということを、私は十分理解している。
変に期待してしまったら、傷つくのは自分だ。
そして、そのせいで落ち込んでしまったら、先輩に迷惑をかけてしまう。
先輩はすごく優しい人だから、表情を曇らせる私を心配してくれるだろう。
かといって、気まずさを理由に裏庭へ行くのをやめたら、それはそれで心配をかけてしまうに違いない。
――あんなに素敵な人から妹扱いしてもらっているんだから、それで満足しなくちゃ。
改めて自分に言い聞かせ、私は教室を後にした。
裏庭に着くと、それまで木の表面で爪とぎをしていたマルが、勢いよく駆け寄ってきた。
ミィ、ミィと甘えた声を出して足にまとわりつく様子を見ると、だいぶお腹が空いているようだ。
飼い主の沼田さんからしっかり餌をもらっているはずなのに、好奇心旺盛なマルはいつも元気に遊び回っているため、すぐにお腹が空くのだろう。
「待って、すぐにあげるからね」
袋の中から猫用のドライフードを取り出し、手の平に乗せて差し出した。
マルはすぐにガツガツと勢いよく食べ始める。
「見た目はこんなに可愛いのに、食べる姿がちょっと怖いよ。私の手は食べないでね」
夢中になっている様子にクスクスと笑いながら、私はマルを見守った。
あっという間におやつを食べ終えたマルは、『さぁ、次は遊ぶぞ!』とばかりに私の足元でピョンピョン跳ねる。
「はいはい、分かりました。マルは、本当に元気だね」
私は持参したウェットテッシュで手を拭うと、パッと走り出した。
「マル、おいで!」
ミャァッと甲高い声で鳴いたマルが、私の後を追いかけてくる。
あまり速く走ってしまうと遊びにならないので、様子を見ながらスピードをうまく調節する。
元気があり余っているマルは、子猫ながらに頑張って私についてきていた。
そのうち、私のほうがバテてしまう。
十分近く走り続けていたら、完全に息が上がってしまった。
「マル……、もう、終わり……」
よろよろと歩きながら、私はゼイゼイと肩で息をする。
マルは物足りないのか、不満げに「ふにぃ」と低く鳴いた。
そして、催促するように私の靴を前足で引っかく。
「ごめん、ね……。ちょっと……、待って……」
近くにある木に手をつき、呼吸を整える。
その時、忙しない足音が聞えた。
顔を向けると、走ってくる先輩の姿が見える。
「よかった、間に合った」
こちらにやってきた先輩は、はぁと大きく息を吐いた。
でも、私のようにみっともなく息が荒れていない先輩は、ニコッと爽やかな笑みを浮かべる。
「春香ちゃんが帰る前に来られて、本当によかった」
超絶美形の微笑みに、走ったせいでドキドキしていた心臓が、今度は別の意味でうるさく暴れ始める。
「こ、こんにちは」
私は木から手を離し、ペコッと頭を下げた。
「あの、用事はもういいんですか?」
「うん、大丈夫だよ。早く会いたくて、急いで片付けたから」
そう言って、先輩がジッと私を見つめる。
その視線とセリフのせいで、私の心臓はますます大暴れ。
――だ、だから、先輩はマルに会いたかったって言ってるんだってば!
私はすぅはぁと深呼吸を繰り返し、必死になって心臓を落ち着かせる。
「どうかした?」
先輩は笑顔のまま、私に問いかける。
「えっ!? な、なんでもないです!」
私はワタワタと手を振り、誤魔化すようにヘラッと苦笑を浮かべた。
すると先輩は軽く前屈みになり、ちょっとだけ顔を近付けてくる。
「春香ちゃんは、早く会いたくなかった?」
「……へ?」
先輩がなにを言いたいのか分からず、私はポカンとしてしまう。
――どういう、こと?
意図が読めなかったことと、先輩の顔がかっこよすぎたせいで、私はなにも言えなかった。