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 私はなにも言えなくて、静かに先輩を見つめている。

 先輩は私の髪を撫でながら、静かに口を開いた。

「成長期を迎えるまで、俺は女子に間違われるような顔立ちと身長だったんだ。今の俺を見たら、信じられないだろうけど」

 先輩は男子の中でも背が高いし、顔立ちは凛々しいので、女子に間違われるなんて考えられない。

 でも、この綺麗な顔が数年前に遡って幼くなったら、女子のように見えてもおかしくなかったかもしれない。

 私がコクンと頷き返すと、先輩は話を続ける。

「それなのに、成長期が来て一気に男らしくなったら、周りの反応が変わったんだ。特に、女子がね。中身は変わってないのに、見た目が変わっただけで態度を一転させてくる女子に不信感を抱くようになったよ。おまけに、今の俺に言い寄ってくるのは、容姿ばかり見ている人がほとんどだ。それで、ますます不信感が強くなっていった」

 それを聞いて、先輩が寂しそうに笑っていた理由が分かった。

 宮永さんと前沢さんが先輩に言い寄っていた時、特に寂しそうに笑っていた。

 確か二人は、先輩に相応しいのは私たちで、だからどちらかを選べと言っていた。

 読者モデルをするくらい可愛い自分ならかっこいい先輩と釣り合うという発言は、先輩からしたら外見しか見てもらえないという、ある意味残酷な言葉だったのだ。

 それでは、先輩があんな風に笑うのも当然だろう。

 私はその時の先輩の気持ちを考えたら胸が苦しくなって、ペットボトルをギュウッと握り締める。

 先輩はさらに私へと身を寄せ、私の手に自分の手をソッと重ねた。

「高校に入るまでは、ずっと自分が嫌いだったよ。今でも、外見ばかり注目される自分は好きじゃないけどね。でも、夏輝に出会って、気持ちがずいぶんと楽になった。ほら、夏輝は裏表がまったくないから、ちゃんと俺の内面を見て、本気で友達になってくれたのが分かるんだ」

 普段は能天気でおせっかいな兄だけど、私に見せる優しさを、ちゃんと周りの人にも見せていたらしい。

 兄らしいと思っていたら、「でも……」と先輩が続きを口にする。

「夏輝以上に、俺を変えてくれたのは、春香ちゃんだった」

「……え!?」

 私はキョトンではなく、ポカンとなった。

 先輩が兄から私の話を聞かされるようになったのは、高校一年で兄と出会ってすぐのことだったと聞いている。

 そして、兄が連日のように、『俺の妹は、素直で可愛いんだぞ』と話していたことも。

 とはいえ、兄の話とスマートフォン内の画像だけで先輩の心のありようが変わったとは考えられない。

 それに、女子に対して不信感を持っていた先輩が、兄の話をすんなり受け入れるものだろうか。

 そんな疑問に答える感じで、先輩が話し出す。

「裏表のない夏輝が自慢するから、いい子なんだろうなとは思っていた。でも、はじめはそれだけだったな。自分の妹だから贔屓目に見て当たり前だろうし、本当に夏輝が言うようないい子かどうかは、半信半疑だった」

 思った通りの答えに、私は納得する。

 だけど、そうなるとつじつまが合わない。

 兄の話を信じていない先輩が、どうして自分を変えたのが私だと言ったのだろうか。

 私は高校の裏庭で対面するまで、先輩と会ったことはなかったのに。


――どういうこと?


 首を傾げる私の手を握り直し、先輩はなおも話を続ける。

「俺の気持ちが変わったのは、今から一年半前かな」

 私の中で、疑問が大きく膨れ上がった。

 記憶を辿るけれど、やっぱり先輩と話したどころか、会ったことさえない。

 それなのに、私が先輩を変えたというのは、どういうことだろうか。

 ますます首を傾げる私を見て、先輩が笑った。

「俺は、遠くから春香ちゃんを見かけたんだ。その日は夏輝の家の方面で用事があって、一緒に歩いていたんだよ。その時、玄関先で泣いている春香ちゃんを見た」

 

――えっと……一年半前の、玄関先?


 それを聞いて、あることを思い出す。

 中学校から帰ると、長く飼っていた猫のシロが老衰で亡くなっていた日のことだ。

 物心ついた時には既にシロは我が家の一員で、私にとって友達であり、姉でもあった。

 大好きなシロが亡くなったことが悲しくて、私は動かなくなってしまったシロを抱き締め、玄関先に座り込んで泣いていた。

 その時のことを、先輩は言っているのだろう。

 思い当たったものの、だからといって疑問が解消された訳ではない。

「泣いている私を見て、女子に対する不信感がなくなるものですか?」

 素直に尋ねたら、先輩がクスっと笑った。

「正しく言うと、春香ちゃんなら信じられるってこと。女性への不信感は、いまだにあるかな」

 微笑みながら穏やかな声で告げられたことに、ちょっと照れくさくなってしまう。

 自分が先輩にとって特別と言われ、恥かしさと誇らしさが同時にこみあげた。

 先輩に握られている手を閉じたり開いたりしていたら、いっそう強く握られる。

「俺も家で猫を何匹も飼っていて、看取った経験もあったけど、あんなに穏やかな死に顔を見せる猫は初めてだった。こんなにも猫に慕われている春香ちゃんなら、きっと信じられるって思ったんだ」

 あの時の私は、シロの死がとにかく悲しかった。シロの顔を、ちゃんと見る余裕もなかった。

 私の中では冷たく硬くなったシロの記憶しかなくて、いまだにシロを思い出すたびに、胸の奥がキュウッと苦しくなっていた。

 だけど、先輩の言葉を聞いて、私も救われた気がする。

 小さく笑いかけたら、先輩は私の手の中からペットボトルをやんわりと引き抜いた。

 そのペットボトルをベンチに置くと、両手で私の右手を包み込む。

 まるで壊れやすいガラス細工のように優しく包み込まれたら、どうしたって恥ずかしくなる。

 ソッと手を引き抜こうとしたら、ギュッと握られた。

 もう一度引き抜こうとしたら、先輩が左手で私の手首を掴む。

 そして、右手の指を絡めてきて、あっという間に恋人繋ぎにしてしまった。

 その状態で手を握り込まれると、私の力では引き抜けない。

 照れくささで頭の天辺から湯気が出そうになるけれど、ベンチに座る私たちの周りには人がいなかったから、どうにか耐える。

 ジッと大人しくしていたら、先輩が思い出したように「そうだ」と言った。

「俺がどうしてあの子猫をハルって呼んでいたのか、ちゃんと教えてなかったよね」

「それは、春に出会ったのと、春が好きだからっていう理由の他にあるってことですか?」

 裏庭で、先輩はそう説明してくれた。

 その説明にはおかしなこともなく、なるほどと私は納得したのだ。

 訊き返した私に顔を寄せてきて、先輩はまるで内緒話をするかのように静かに囁く。

「実はね、春が好きっていうことではなくて、春香ちゃんが好きってことだったんだ」

 穏やかな声で告げられた内容はスルリと私の耳に入ってきて、頭と心臓を直撃した。


――な、なにそれ。なにそれ……。


 衝撃のあまり、息が止まりそうになる。

 反射的に、先輩の手をギュッと握り締めた。

 先輩はクスッと笑い、やんわりと握り返してくる。

「それが、名付けの本当の理由だよ」

「じゃ、じゃあ……、先輩が呼んでいたのは、春香の『ハル』ってことですか?」

 驚きと嬉しさと照れくささがごちゃごちゃになって、声が震えてしまう。

 すると先輩は私を落ち着かせるためか、指を重ねていないほうの手で私の手の甲をポンポンと優しいリズムで叩き始めた。

「そうだよ。いつか俺の想いが伝わりますようにって願いを込めて、『ハル』という名前を付けたんだ。だってさ、夏樹は俺と春香ちゃんを会わせようとはしていなかったし」

「そうなんですか? でも、兄はなんのために?」

 兄が親友だと豪語している先輩を家に連れてこないのは、ずっと不思議に思っていた。

 休みの日に二人で出かけることはあっても、先輩を招待したことは一度もなかったから。

 私に先輩を会わせない理由が見当つかず、しきりに首を傾げた。

 先輩はクスッと小さく笑って、話を再開する。

「それは、俺が自分の想いに気付いて夏輝に相談したら、春香ちゃんが自分から俺を好きになるまでは無理に迫るなってしつこく言われていたからね」

「……え?」

「夏樹が、『春香は優しいし大人しいから、兄貴の親友に付き合ってくれと言われたら、絶対に断らない』って言ったんだよ。あと、『偶然顔を会わせる分には許すが、俺は基本的に手助けしない。だから、家にお前を呼ばない』ってことも言われたな。夏輝を敵に回す訳には行かないから、条件を呑むしかなかった」

 私の知らないところで、そんな話になっていたとは。

 ポカンと口を半開きにしている私の手を、先輩が楽しそうにポンポンと叩き続ける。

 先輩の仕草は本当に優しいから、少しずつ私の気持ちが落ち着いていく。

 緊張が徐々に解け、先輩の手を握り締める私の手の力も抜けていった。

 それに安心したらしく、先輩がクスッと笑う。

「これは日本ではあまり知られていないと思うけど、ドイツでは黒猫が右から左に横切るのは、いいことが起こる前兆だと言われている。初めてあの子猫と出会った時、俺の右側から勢いよく飛び出してきたんだ。それもあって、願掛けのつもりで『ハル』って呼んでいたよ。そうしたら、本物の春香ちゃんに会えた」

 弾むように明るい声を聞いて、私はチラッと視線を上げる。

 声音から想像した通り、先輩は楽し気に笑っていた。

 その笑顔につられて頬を緩めたら、先輩はさらに目を細める。

「あの日、まさか裏庭で偶然会えるとは思っていなかったから、言葉が出ないくらいすごく驚いた。春香ちゃんに会いたい気持ちが強すぎて、幻を見ているんじゃないかと、はじめは疑ったな」

 聞かされた言葉に、私の頭の天辺からは湯気どころか火柱が噴き上げそうだ。

 どうしようもなく火照った顔で先輩を見つめていたら、先輩がさらに幸せそうな笑顔を浮かべる。

「そのくらい、俺は春香ちゃんと出逢える日を、ずっと待っていたんだ」


 先輩の笑顔を見て、私の胸に春の日差しのような幸せに満ちた温かさが溢れたのだった。


●本編は、こちらで終わりとなります。

 高校生らしい、甘酸っぱくて可愛いお話になっていたでしょうか。


●こちらの作品は一旦お休みをいただきまして、後日、先輩視点なども追加していく予定です。

 それに、春香ちゃんが先輩呼びをやめるお話も面白そうですし♪


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