(22)
三人でしばらく歩き、やがて駅前の公園に差し掛かる。
そこで少し先にいた兄が足を止め、クルッと振り返った。
「龍也、春香と話があるんじゃないか?」
「あるよ。それは、さっき、春香ちゃんにも言ってたんだ」
先輩の答えに、兄が二ッと笑う。
「じゃ、この公園で話していったらいいんじゃね? ここだったら、ウチの学校の生徒も、他の学校の生徒も立ち寄らないだろうしさ。気兼ねなく話せるだろ?」
そう言われて、私は公園内に視線を向けた。
夕方のこの時間は小学生らしき男の子たちが遊んでいたり、小さな子供を連れた母親たちの姿があるだけ。
確かに、高校生が立ち寄る場所ではないだろう。
「下手に喫茶店とかファーストフードショップに行ったら、周りから見られて落ち着かないぞ。なにしろ、龍也はこの辺りではかなりの有名人だし」
兄の言葉に、先輩は苦笑いを浮かべながら頷く。
「夏輝はなんだかんだで、あれこれと気が付くな。ありがとう」
先輩がそう答えると、兄が先輩の肩に腕を回してガシッと引き寄せる。
「……この公園なら、完全に人がいない訳じゃない。それに、通行人の目もある。つまり、お前が春香に余計な手出しができないっていう安心感もあるしな」
ボソボソと囁きかけた言葉はかなり小さく、私には聞こえなかった。
「お兄ちゃん、なにを言ったの?」
首を傾げる私の頭を、兄は空いている片手を伸ばしてポンポンと叩く。
「お兄様のありがたーいお言葉だよ。じゃ、俺は帰るからな。母さんには適当に言っておくから、心配しなくていいぞ。まぁ、夕飯までには帰ってこい」
兄はヒラリと右手を振り、駅へと歩いて行った。
私と先輩はしばらく兄を見送っていたものの、ふいに顔を見合わせる。
「春香ちゃん、行こうか」
そう言って、先輩は私の手を引いて公園へと歩いていく。
入り口にある自動販売機でジュースを買った時は手を放されたけど、すぐに大きな手が私の手を包み込んだ。
先輩は背が高い分、足も長い。ううん、同じ身長くらいの兄よりも腰の位置がちょっと高いから、私と比べたらかなり足が長かった。
それでも、これまでずっと私の歩調に合わせて歩いてくれていた。
おまけにしょっちゅう私の様子を気にしてくれていて、かっこいい顔に爽やかな微笑みを浮かべて視線を向けてくれている。
そのせいで、どんどん先輩のことが好きになってしまう。
それは悪いことではないけれど、このままだといつの日か心臓が本当に爆発しそうだ。
俯いて黙って足を進める私に、先輩が声をかけてくる。
「春香ちゃん、どうかした? 具合が悪い?」
私を心配する声はいつもより少しだけ低くて、それがまたかっこいい。
ドキドキしながら、私は首を横に振った。
「……いえ、違います」
すると先輩は足を止め、私の正面に回る。
「もしかして、俺のことが嫌になったとか?」
予想外のことを聞かれ、私は俯いたまま目を見開いた。
――先輩のことが好きすぎて困っているのに、嫌いになるなんてありえないよ。
そう言い返すよりも先に、先輩が話しかけてくる。
「やたら抱き締めたり手を繋いだりしているから、強引な男だって呆れた?」
沈んだ声はかっこいいというよりも切なくて、私はフルフルと大きく首を横に振った。
「そ、そうじゃないんです。えっと……、先輩のことが、その……、好きすぎて、照れくさくなったって言いますか……」
それを聞いた先輩は、繋いでいる手にギュッと力を込めてくる。
「春香ちゃんは、俺を喜ばせる天才だ」
「そ、そんな、喜ばせるつもりじゃなくて、本当のことですから……」
俯いたままボソボソと答えたら、「もう、たまんないなぁ。春香ちゃん、可愛すぎるよ」という囁きが降ってきた。
おかげで、心臓のドキドキが加速してしまう。
そんな私の手を優しく引いて、先輩が止めていた足を動かす。
やがて奥まった場所にあるベンチにやってきて、二人で腰を下ろした。
大人が三人くらい余裕で座れるスペースがあるのに、先輩は私の左側にピタリと身を寄せてくる。
その近さに緊張するけれど、好きな人が近くにいるのはやっぱり嬉しい。
――先輩も、嬉しいって思ってくれていたらいいな。
紅茶のペットボトルをモジモジと弄りながらチラッと横目で窺ったら、嬉しそうに笑って私を見つめている先輩と目が合った。
「春香ちゃんは、なにをしても可愛いね」
先輩は、私のことを可愛いと言いすぎる。
そのせいで、心臓がいっこうに落ち着かない。
すごく嬉しくて、でもちょっとだけ悔しくて、私はボソッと呟く。
「……先輩は、なにもしていなくてもかっこいいです」
すると、先輩の顔がうっすらと赤くなった。
「うわっ、なに、それ。めちゃくちゃ、照れるんだけど……」
口元を片手で覆ってちょっと動揺している先輩の姿を見て、悔しさが晴れたと同時に、可愛いなと思ってしまう。
自分より年上で、しかも先輩は同じ年齢の人よりも大人びて見えるのに、可愛いと感じてしまうのは失礼かもしれない。
だから、内緒にしておこうと決めた。
なのに、またしても心の声が漏れてしまっていたようで。
「春香ちゃんは、俺のことが可愛いって思うんだ」
先輩が苦笑しながら呟いた言葉に、ハッと息を呑んだ。
「ご、ごめんなさいっ」
さっきとは正反対に、私の顔からスウッと熱が引く。
「あ、あの、それは、悪い意味じゃなくて……。普段はすごくかっこよくて大人っぽいのに、たまに見せる表情が、なんか、可愛くって……。あっ、また言っちゃいましたけど、でも、えっと……」
しどろもどろになって泣きそうになっている私の頭を、先輩が優しい仕草で撫でた。
「怒ってないから、そんなに脅えないで。馬鹿にされたなんて、思ってない」
恐る恐る先輩の様子を窺ったら、穏やかに笑っている。
「……本当に、怒っていませんか?」
「うん、本当だよ。怒るどころか、むしろ嬉しい」
「え?」
私より年上の、しかも男の人なのに、可愛いと言われて嬉しいなんて意外だ。
キョトンとする私の頭を、先輩がポンポンと軽く叩いた。
「春香ちゃんに言われたから、嬉しいってこと。他の人に言われたって、なんとも思わない」
「どうして、私に言われたら嬉しいんですか?」
私の言葉を聞いて、先輩はゆっくりと顔を近付けてきて、にっこりと笑う。
「それは、春香ちゃんが好きだからだよ。あと、そんなことを言うのは、たぶん春香ちゃんだけだろうし」
「そ、そうでしょうか?」
ふいに好きだと言われ、血の気が引いたはずの頬がまた熱くなった。
照れくさくて視線をウロウロさせていたら、先輩の長い指が私の前髪を指にクルリと巻き付ける。
それはまるで、「こっちを見て」と言っているようだ。
オズオズと視線を戻したら、正解と言わんばかりに頭を撫でられた。
「春香ちゃんの目に俺が可愛く映るのは、それだけ自然体だからじゃないかな。春香ちゃんのそばにいると心が穏やかになるから、すぐ笑顔になれる」
「え?」
またしても、私はきょとんとしてしまった。
私といる時の先輩は、だいたい笑顔だ。
マルが可愛いから自然と笑顔になってしまうのだろうが、マルがいない時でも笑っていることが多いように感じる。
「俺はこの容姿のせいで、嫌な思いをしたことが多かった。まぁ、虐められた訳ではないから、そんなに深刻なことでもないんだけどね。ただ、そのせいで周りの人が、特に女子に対して不信感を抱いていたんだよ」
そう言って笑う先輩は、いつか見た寂しそうな笑顔だった。




