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 しばらく見つめ合った後、ふいに気恥ずかしさがこみ上げてくる。

 空いている片手でスカートを握ったり放したりしていたら、「春香ちゃん」と名前を呼ばれた。

 無視をしている訳ではないけれど、恥ずかしくて顔を上げられない。

 私は俯いたまま、「……なんでしょうか?」と返した。

「このあと、ゆっくり話がしたいんだ。いいかな?」

「……話、ですか?」

「うん、そう。だって、ようやく春香ちゃんが俺の恋人になってくれたんだから、二人の時間を過ごしたいしね」

 それを聞いて、ますます恥ずかしさが膨らむ。


――私、先輩の、恋人……。


 先輩が私のことを好きだと言って。

 私も先輩が好きだと言って。

 結果として両想いと判明したので、確かに恋人同士である。

 だけど、それを先輩から改めて告げられると、かなり恥かしい。

 さらに深く俯いて、自分の靴のつま先を見つめていた。

「どうして、顔を上げてくれないの?」

 向かい合わせて立っている先輩は、私の右のつま先を左のつま先でチョンと突っつく。

「は、る、か、ちゃん」

 言葉の区切りに合わせて、先輩がチョンチョンと私のつま先を突っついた。

 その仕草が、遊んでほしいとねだるマルのようで、思わずクスっと笑ってしまう。

「春香ちゃん、今、笑った?」

 どこか不機嫌そうな声で問いかけられ、私は小さく息を呑む。

「ご、ごめんなさい」

 先輩のことを馬鹿にして笑った訳ではないけれど、顔も合わせずいきなり笑ったら、気分が悪くなるのも当然かもしれない。

 とっさに謝り、もともと下げていた頭をさらに下げた。

 すると、先輩が「ああ、そうじゃなくて……」と困ったような声音で告げる。

「せっかくなら、顔を上げて笑ってほしかったな。春香ちゃんの笑顔は、本当に可愛いから見たかったと思って」

 それを聞いた私の顔が、ブワッと熱を持った。

「か、か、可愛いなんて、そんな……。わ、わた、私を可愛いっていうのは、家族くらいで……」

 両親はもちろん、特に兄はなにかにつけ、『春香は可愛いなぁ、ほんといい子だ』と言ってくれる。

 たまに会う親戚のおじさんやおばさんも、そんな感じで言ってくれる。

 友達も、私の言動によっては『今の、可愛い! 萌える!』と騒いでいる。

 だけど、身内や友達以外から、特に異性からは言われたことがなかった。

「……あ、井上さんには言われたっけ」

 放課後、なぜか井上さんからデートに誘われた時、そう言われた。

 ちゃんと冗談だと分かっているので、もちろん本気にはしていなかったけれど。

 思わず呟いてしまった小さな独り言を、先輩はしっかり聞き取っていた。

「春香ちゃん、それ、どういうこと? そういえば、井上からデートにも誘われたんだよね?」

 先輩は焦ったような口調で告げ、繋いでいる手にギュウッと力を込めてくる。

「えっと、それは……」

 先輩の周りの空気がなんとなく重苦しいものに変わった気がして、私は妙に落ち着かなくなった

 その時、先輩の左手に抱っこされているマルが『ふひゃぁ』とあくびをする。

 ぐっすり寝ていて静かだったせいで、マルの存在を忘れかけていた。

 気づいたら、用務員室に届ける時間をだいぶ過ぎていた。

「急がないと、田沼さんが心配してるかな」

 先輩は仕方がないといった感じで、ボソリと呟く。

「そうですね、すぐに行かないと……。ええっ!?」

 相変わらず恥ずかしくて顔が上げられなかった私は、俯いたまま先輩に話しかけていた。

 すると、先輩は私と手を繋いだまま歩き出したのだ。

「せ、せ、せ、先輩! 手っ! 手っ!」

 焦った私は自分の手を引き抜こうとしたけれど、すっぽりと大きな手に包み込まれていてビクともしなかった。

「春香ちゃんは顔を上げてくれないからね。ちゃんと前を見ていないと、危ないでしょ。だから、俺が手を引いているんだよ」

「いえ、あの、でも……」

 それでも往生際悪く手を取り戻そうとするけれど、先輩の手は緩まないし、足も止まらない。

 もうすぐ茂みを抜け、校舎が見えてくる。

 そうなったら、たくさんの人に目撃されてしまう。


――先輩の隣を歩くだけでも恐れ多いのに、手を繋いでいるなんて許されることじゃないよ!


「どうして? 手を繋ぐぐらい、誰からも怒られないよ。それと、恐れ多いっておかしいんじゃないかな。俺たちは恋人同士だから、どっちが上とか下とか、そういうのはないでしょ。同列だよ」

「……へ?」

 返ってきた言葉に驚いて顔を上げたら、にっこり笑う先輩と目が合った。

「春香ちゃんは、心の声が口に出やすいんだね。そういうところも、すごく可愛い」

 綺麗な微笑みを向けられ、私はふたたび顔を伏せる。

 頭の上から、クスクスと楽しそうな笑い声が降ってきた。

「そんなに俯くなら、やっぱり俺が手を繋いであげないと。彼女を守るのは、彼氏の役目だから」

 なんのためらいもなく歩き続ける先輩だけど、私の耳にはグラウンドで部活動に励む人たちの声が聞えてくる。

 このまま進んだら、確実に誰かの目に留まる。先輩は、なにもしていなくても、そこにいるだけで人の目を惹く存在だから。

「ちゃんと前を向いて歩きますから、手を放してください!」

 バッと顔を上げ、前を向いているアピールをした。

 ところが、先輩はいっこうに手を放そうとしてくれない。

「転ぶ心配がなくても、手を繋いだらいけないって訳じゃないよね」

「えっ!? でも、それは……」

 私が戸惑っているうちに、先輩はドンドン進んでしまう。

 何人かがこちらを見て驚いた顔をしているのが、私の目に映った。

「ほ、ほら、先輩! 見られていますよ! だから……」

 

『今すぐ、手を放してください』


 そう言いかけたのだが、先輩は嬉しそうな笑みを私に向ける。

「俺たちの仲のよさを知ってもらうには、ちょうどいい」

「……は?」


――ちょうどいいって、なに?


 ポカンとしているうちに、私たちは昇降口へと到着した。




 案の定、私たちは注目されまくっていた。

 時間を追うごとに向けられる視線が増えていくのを、ヒシヒシと肌で感じている。

 有名人の先輩は見られていることに慣れているだろうが、こんなにたくさんの視線に晒されたことがない私は、恥かしさと戸惑いでオドオドしてしまう。

「……こ、このまま手を繋いでいたら、靴を履き替える時に不便ですよ。いったん、手を放しましょう」

 コソッと話しかけたら、先輩が「それもそうか」と呟く。

「靴を履き替える間だけ、手を放してあげる。言っておくけど、逃げても無駄だよ。さっきみたいに、全力で追いかけるからね。いい、分かった?」

 私は素直に頷き返した。

 校舎内で追いかけっこをしたら、確実に注目の的だ。

 そんなことを聞かされたら、逃げることができないではないか。

 チラッと視線を上に向けると、先輩が空いている手で私の髪を撫でる。

「じゃ、履き替えておいで」

 そう言って、ようやく先輩は私の手首を解放した。




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