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 少し歩いて、ビニールハウスの裏にやってきた。

 ここは三方がたくさんの木に囲まれていて、私たちの姿は周りから見えないだろう。

 先輩が足を止めたタイミングで、私はやっと声を出すことができた。

「……あの、手を放してもらえませんか?」

 好きだという気持ちを一生懸命なかったことにしようとしているところなのに、こんなことをされたら、忘れられなくなってしまう。

 この大きくて温かい手の感触が、ずっとずっと残ってしまいそうだ。

 先輩との思い出があるからそれで十分だと思ったけれど、実際はその反対だと気付いた。

 思い出がある分だけ、私の中から先輩が消えてくれないのだ。

 消えない限り、胸の痛みもなくならないのだ。

「お願いします、放してください」

 もう一度、言葉にして伝える。

 それなのに、先輩はギュウッと力を込めてきた。

「放さないよ。こうして繋いでいないと、また春香ちゃんが逃げてしまうかもしれないし」

 隙あらば逃げようと思っているので、言い当てられた私は言葉に詰まる。

「そ、それは……」

 オドオドと視線を彷徨わせていたら、「春香ちゃん」と名前を呼ばれた。

 チラリと視線を上げると、ジッと私を見つめている先輩と目が合う。

 その表情は、いつになく真剣だった。

 先輩の視線に耐えられなくて、私はなにか言わなくてはという思いに駆られた。

「そう言えば、宮永さんと前沢さんはどうしたんですか!? 二人とも、わざわざ先輩を探していたじゃないですか。先にそちらの用事を済ませたほうがいいと思います!」

 早口で告げると、さらに強く手を握られる。

「その件は、もういいんだ」

 バッサリと言い返されたけれど、ここから先輩を遠ざける口実がそれ以外に見つからない。

「あの、でも……、先輩と話をしたそうに見えましたよ。やっぱり、お二人のところに行ったほうが……」

「二人の話は、俺にとっては下らないことだから」

 よりいっそうバッサリと返され、私はなにも言い返せなくなった。

 視線だけを忙しなく彷徨わせていると、先輩は深々と息を吐く。

「あの二人に限ったことではなく、言い寄ってくるのは俺の外見にしか興味がない人たちだからね。相手をするのは時間の無駄だし、疲れるだけだよ」

 すごく寂しそうな声を聞いて、私はゆっくり顔を上げた。

 すると、先輩はやっぱり寂しそうな笑みを浮かべていた。

 私まで胸が苦しくなるような、そんな微笑みだった。

「……先輩?」

 呼びかけたら、先輩は僅かに目を細める。

 だけど、寂しそうな表情はそのままだった。

「俺の周りにはやたらと人が寄ってくるけれど、そのほとんどが俺の外見にしか興味を持っていないんだ。特に女性はね。見た目のいい俺の恋人になることが、一つのステータスみたいになっているんだろうな」

 沈んだ声で語る先輩に、私は首を横に振ってみせる。

「そんなこと、ありません。先輩は、中身だって素敵な人です。だから人気があって、可愛い人にも好かれているじゃないですか。ほら、宮永さんと前沢さんは、必死な感じがしましたよ」

 励ますつもりで言ったのに、先輩の表情はさらに曇った。

「その二人が、特にそうなんだ。読者モデルとしてもライバルで、どっちが先に俺と付き合うかって競っているだけ。本当の意味で、二人とも俺のことは好きじゃないんだ。ただ、優越感に浸るためなんだよ」

 坦々と語る口調が、余計に寂しさを増長させる。

 励ます言葉が見つからなくて、私はただ大人しく話を聞くことしかできない。

 静かに息を吐いた先輩は、ふたたび口を開いた。

「でも、それは二人に限ったことじゃない。もう何年も、俺はそういう人たちに囲まれてきたんだ。見た目がいいってことは、必ずしも幸せだとは限らないね。外見に邪魔をされて、俺のことを見てもらえないんだから」

 今の先輩は、寂しさの中に諦めを滲ませた表情を浮かべている。

 まだ高校三年生なのに、そんな表情をする先輩のことが、自分のことのように悲しくなってきた。

「で、でも、これから大学生や社会人になったら、出会いもたくさんありますよ! だからきっと、先輩を幸せにしてくれる人にも出会えるはずです!」

 頑張って、私なりに精いっぱいの励ましを投げかける。

 だって、先輩は本当に素敵な人だから。

 優しくて、紳士的で、かっこよくて。

 そんな人が、幸せにならないなんて、絶対におかしい。

 ムキになって言い返したら、先輩はフワリと目を細めた。

「そこは、『私が幸せにします』って、言ってほしいんだけど」

「……え?」

 

――今、なんて言ったの?


 先輩は日本語を話していて、音としては聞き取れた。

 それなのに、言葉として理解することができなかった。

 ポカンと呆ける私に、先輩がソッと顔を近付けてくる。

「名付け親になる権利をあげた代わりに、春香ちゃんの恋人になる権利を俺にくれないかな」

 小さな子供に言い聞かせるように、先輩は一言一言、ゆっくりと告げる。

 それでも、私にはまったく理解できなかった。

 私の中では、絶対にありえないことだったから。


――これは、夢?


 呆然と立ち尽くしていると、先輩がクスっと笑った。

「夢じゃないよ」

 それを聞いて、心の声が漏れていたことに気付く。

「あ、う、ぅ……」

 恥ずかしくて、耳までカァッと熱くなる。

 とっさに顔を伏せたら、繋いでいる手をブラブラと揺らされた。まるで、『こっちを見て』と言っているかのようだ。

 ノロノロと顔を上げたら、先輩はすごく優しい微笑みを浮かべている。

 さっきまでの寂しそうな表情は、微塵も見えない。

 その笑顔に見惚れていると、先輩はさらに笑みを深めた。

「春香ちゃんが好きだよ。どうか、俺の恋人になってほしい」

 それを聞いた私の心臓が、バクンと大きな音を立てる。

 先輩がなにを言ったのか、今はちゃんと理解できた。

 とはいえ、あまりにも信じられないことで、すぐに受け入れることができない。


――先輩が、私のことを好き!? 私が、先輩の、恋人に!? ちょ、ちょっと、待って! どういうこと!?


 口をパクパクさせている私に、先輩がさらなる爆弾を放り込んでくる。

「春香ちゃん、ホント可愛い」 

 私はブンブンと音が出そうなほど、首を横に振った。

「い、いえ、私なんて、ちっとも可愛くなくて! 平凡代表で! それなのに、先輩が私を好きだなんて……、そんなの、そんなの……」

 パニック状態から抜け出せなくて、ふいに目頭が熱くなった。

 視界がぼやけたと思ったら、涙がポロリと零れる。

 すると、先輩がように眉尻を下げた。

「泣くほど、俺のことが嫌い?」

 ポロポロと涙を流しながら、今度は静かに首を横に振る。

 そんなはずはない。

 嫌いだなんて、とんでもない。

 だけど、この気持ちを先輩に伝えてしまっても、本当にいいのだろうか。

 そのまま黙り込んでしまった私に、先輩が優しい声で囁く。

「春香ちゃんの気持ち、言葉で聞かせて」

 そして、先輩が繋いでいる手を改めてソッと揺らした。

 穏やかな催促に勇気づけられ、私はヒックと小さくしゃくりあげてから息を吸い込む。

「せ……、先輩の、こと……、好き、です……」

 泣きながらだし、言葉に詰まっているし、なんともみっともない告白だ。

 それでも、先輩はすごく嬉しそうに笑ってくれる。

「やった……。これで、俺にも春が来た……」

 その表情はとても晴れやかで、幸せそうで、思わず涙が止まるくらいに素敵だった。








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