(12)
私にはどうすることもできないし、私が口を出したら余計にこじれそうな気がしたので、改めて三人に頭を下げて歩き出す。
「春香ちゃん、待って!」
先輩が私を呼んだけれど、振り返って会釈をするだけにしておいた。
トボトボと廊下を歩きながら、私はポツリと呟く。
「宮永さんも前沢さんも、すごく可愛かったなぁ」
間近で見たら、その可愛さは話に聞いていた以上だ。
それなのに、どうして先輩は二人のお誘いを断るのだろうか。
ロングの黒髪が特徴的な宮永さんは、大人っぽい印象。
ふんわり柔らかそうな茶色い髪の前沢さんは、キュートな印象。
どちらも甲乙つけがたい魅力がある。
「……私も、あんな風に可愛い子に生まれたかったなぁ」
ため息を零しつつ歩いているうちに、用務員室に到着した。
「失礼します、小橋です」
声をかけると、中から沼田さんが扉を開けてくれる。
「おや、今日は一人かい?」
「はい、先輩は、その……、忙しいみたいで」
「まぁ、人気者は色々あるだろうしなぁ」
「そうですね」
苦笑いを浮かべる私の手から、田沼さんがマルを抱き上げる。
無事に任務を終えた私は頭を下げ、用務員室を後にした。
「先輩は、本当に人気者だよねぇ」
宮永さんや前沢さんに限らず、先輩に想いを寄せる女子は多いだろう。
この学校に入ってから、学年問わず告白されてきたと思う。
それなのに、今の先輩には彼女がいないそうだ。なにかの話の流れで、兄が言っていた。
「もしかして、相当理想が高いのかな?」
そうだとしても、納得できる。先輩はどこを取っても素敵な人だから。
それなら、なおさら私の片想いは叶わない。
「やっぱり、早いうちに諦めたほうがいいってことかなぁ」
自嘲気味に呟いた私は、自分の教室へと入っていった。
バッグを持った私は、昇降口へと向かう。
先輩たちの姿はそこになかったので、どこかで話をしているのかもしれない。
もしくは、あの二人の内のどちらかを選んで、放課後デートをしているのかもしれない。
高校生になったら、学校帰りにデートするのが憧れだった。
二人で本屋に寄ったり、ドーナツやクレープを食べに行ったり、すごく楽しそうだ。
「いいなぁ、デート」
校門を出たところで呟いたら、「じゃ、俺とデートしようか」と後ろから声をかけられる。
「え?」
振り返ったら、先輩よりもちょっと背が高くて体格がいい男子が立っていた。
今朝、兄の教室にお弁当を届けに行った時、私を取り囲んだ中にいた一人だ。
その人はキョトンとする私に歩み寄り、にっこり笑う。
「俺のこと、分かる?」
「はい、兄と同じクラスの人ですよね」
私が答えると、その人は笑みを深めた。
「そう、井上篤史。バスケ部のキャプテンをしてるよ」
どうりで体の厚みがあって背が高い訳だと納得しながら、クラスの女子が口にしていた噂話を思い出す。
この井上さんも、女子たちの間で人気があるそうだ。
目つきが鋭いのでちょっと怖い感じがするけれど、笑ったらとたんに優しい印象に変わるとのこと。そのギャップがいいらしい。
また、バスケ部のキャプテンを務めるくらいだから運動神経は抜群だし、周りからの信頼も厚い人だと言われている。
たしかに、見た感じでは噂通りの印象を受けた。
それにしても、どうして井上さんが私に声をかけてきたのかが不思議だ。
首を傾げたら、「うわっ、可愛い」と彼が囁く。
これだけ背が高い人から見たら、小柄な私はなにをしても可愛く見えるのだろう。
曖昧な笑みを浮かべていると、井上さんがコホンと小さく咳払いをした。
「それで、俺とデートしてくれるの?」
「……へ?」
言われたことが呑み込めなくて、私は間抜けな一言を発する。
「さっき、デートしたいって言ってたよね。だから、その相手に俺はどうかなって。今日は顧問の都合で部活がないから、時間はあるんだ」
「は、はぁ……」
またしても、間抜けな声を発してしまった。
さっぱり状況が理解できない。
どうして、井上さんが私とデートをするのだろう。
――お兄ちゃんの友達だから、きっとノリってことかな。
私の独り言を聞いて、それでそんなことを言ってきたのだ。
ふざけることが好きな兄の友達なら、十分に考えられる理由である。
とはいえ、私は制服デートができるなら、相手が誰でもいいという訳ではない。
そこはちゃんと、『お付き合いしている彼氏』とデートがしたいのだ。
「美味しいソフトクリームのお店があるんだけど、そこってけっこう穴場で知ってる人が少ないんだ。一緒に行かない?」
とても魅力的なお誘いだ。
でも、ほんの少し顔を合わせただけの人と出掛けるなんて、人見知りの気がある私には無理だ。
「ご、ごめんなさい」
申し訳ないと思うものの、こんな私と一緒に出掛けたら、間違いなく時間の無駄になるだろう。
兄の友人と言うなら、明るく楽しく会話ができる女子がお似合いのはず。
私が断りを入れると、井上さんがフッと息を吐いた。
「俺が嫌い?」
問いかけられて、私は首を横に振る。
「いいえ。嫌いになるようなことは、今のところされていませんので。ただ、一緒に出掛けるのは、ちょっと……。私、人見知りなところがあるので……」
兄の友人だし、相手は先輩なので、一応私なりに気を遣って言葉を返す。
すると、井上さんがニコッと笑う。
「そっか、嫌われている訳じゃないならよかった。今日は急な誘いだったし、断られても仕方がないか」
爽やかな笑顔で告げてきた言葉には嫌味が感じられず、私もホッと安堵の息を吐いた。
「ごめんね、呼び留めちゃって」
フルリと首を横に振り、私はちょこっと笑って見せた。
いきなりデートに誘われて驚いたけれど、噂通り、井上さんはいい人だと分かったから。
そんな私を見て、井上さんが右手でガバッと自分の口を覆った。
「……可愛い、やっぱり可愛い」
ボソボソと呟いているけれど、完全に口が覆われていないため、私にも聞こえてしまう。
「か、可愛くはないですよ……」
照れくささを笑って誤魔化しながら答えたら、井上さんの顔が真っ赤に染まった。
「照れている姿が、また可愛い」
再度可愛いと言われ、照れくささが増す。
このままここにいたら、私の顔も真っ赤になってしまいそうなので、ペコッと頭を下げてパタパタとその場から走り去った。
ある程度進んだところで走るのをやめ、息を整えるためにゆっくりと歩き始める。
「はぁ、ビックリした……」
胸を撫で下ろした私は、苦笑まじりに呟いた。
たとえ冗談でも私がデートに誘われるなんて、明日は槍でも降るのではないだろうか。
「あー、今日はビックリすることが多すぎたよ」
驚きの大半は、先輩によるものだ。
やっぱり、先輩の影響は良くも悪くも大きい。
そう考えた時、昇降口での光景が脳裏に浮かび、胸の奥がチクンと痛んだ。
――叶わない片想いを忘れる魔法って、誰か使えないかなぁ。
ありえないことを心の中で呟きながら、私は駅の改札をくぐった。




