第6話 た す け て
「ワシはこの女を捕まえておくから、オマエさんはこの剣を構えていろ!」
メガネの中年男ホルスが俺に短剣を渡してきた。農民の子である俺は剣なんて持ったことがないので戸惑うが、皆が頑張っているのに俺だけ無様な格好を晒すわけにはいかない。
俺は短剣の切っ先を魔王の娘アリシアに向けて構えた。
すると、彼女は口を僅かに動かして何かを言っている。
良く聞き取れないが、首元のハリィが再びそわそわし始めている。
祭壇がぐらっと揺れた。
地震かと思ったが、すぐに収まる。
『我が娘に手を触れるな、愚かな人間どもよ!』
地響きのようなうなり声とともに、その言葉が俺の脳に直接届いた。
窓のない空間に風が起こり、ちりや埃が乱れ狂う。
祭壇の奥、玉座から魔王が立ち上がっていた。
「ミュータス! 魔王軍の追撃部隊が攻めてきたぁぁぁ、援護を頼む――!」
最悪のタイミングで、入口を守っていた小太りリックが叫んでいる。
娘を人質にとられ怒り狂う魔王と、部屋に侵入して来る魔王軍追撃部隊の様子を交互に見て、俺は軽いパニック状態に陥った。
しかし、そんな時でもミュータスさんは動じることなく――
「ジャン! リックの援護に行ってくれ!」
「了解! んじゃ、魔王の首をきっちり獲ってくれよな、リーダー!」
落ち着いた口調で巨漢ジャンに指示を送った。
ジャンは斧を右肩に担ぎ、左手には両刃剣を構え、階段を飛ぶような勢いで降りていった。
ミュータスさんは振り向きもせず魔王に歩み寄る。それはジャンに対する全幅の信頼を意味している。
「魔王よ、お前にも娘を思う親心があるならば、抵抗するな!」
『なに!?』
再び空気が振動する。脳に直接届く魔王の声。
「お前が大人しく私の剣にやられれば、娘の命までは奪わないと約束しよう」
玉座の間のあらゆる物体が細かく振動し始める。
魔王が歯ぎしりをしているのだ。
耳が痛い。
そのとき――
「お父様! 人間の言うことは嘘ばかり。そのような提案を受けては――うッ!」
「やかましい、静かにしないか!」
ホルスはアリシアを縛っている縄をさらにぎゅっと締め上げる。
アリシアは苦しい表情を見せるが、次の瞬間、ホルスの腕に噛み付いた。
「いてててててて、放しやがれ! この雌ブタがぁぁぁーッ!!」
ホルスはもう一方の腕を大きく振り上げ、アリシアの頭頂部に生えた2本の角の間を拳でガツンと力一杯に殴った。
「がは――ッ!!」
アリシアは口を開けたまま項垂れた。
『分かった! それ以上娘に指一本触れるではないぞ!』
轟音とともに、魔王の意志が俺らの頭に届いた。
魔王は玉座に座り、目を閉じる。
「魔族は皆殺しにするに決まってるじゃん。リーダーも調子良いこというぜ……」
ホルスは笑った。
ミュータスさんは振り返ることなく左手の拳を小さく上げ、合図を送ってきた。
それはホルスに向けての『よくやったぞ』の合図。
背後からでも分かる。
ミュータスさんは今――嗤っている――
祭壇の下では、巨漢じゃんと小太り体型のリックが、魔王軍の追撃部隊を次々に倒している。そして、ミュータスさんは魔王まであと数歩の距離。魔王は娘のアリシアを人質にとられて大人しく目を閉じたままだ。
ミュータスさんが聖剣を振り上げる。
ああ……これで長く続いた人類対魔王軍の戦いに終止符が打たれるんだ。
俺はこの歴史的瞬間に立ち会えて幸せだ。
その時――見なければ全てがうまくいったはずだった……
けれど……俺は見てしまったんだ。
魔王の娘アリシアの目からぽろぽろと涙があふれている。
それは頬を伝わり、アゴにたまり、床にぽたぽたと落ちている。
俺は目をこすり、頭を振る。
こいつは魔族。
人間じゃない。
要らない存在――
アリシアはゆっくり俺の方を見上げる。
や、やめろ……
見るんじゃない……
しかし、アリシアの群青色の瞳は――
俺に向けられている。
ハリィにではなく、俺にだ。
やがてピンク色の唇がゆっくりと動く――
『 た ・ す ・ け ・ て 』
その瞬間。
張り詰めていた俺の心から何かが弾け跳んだ気がした――