第37話 鈴の音色のような……
俺とメイビスは互いに押し黙ったまま時間だけが過ぎていった。
「もうすぐ消灯時間だよ。坊やは上だ。私の隣には寝かせられないサ」
ベッドの下段に横になりながら、メイビスは人差し指を上に向けた。
俺は寝るつもりはないのだが、ここで騒ぎを起こす訳にはいかない。
大人しくベッドに上がった。
程なくして照明が薄暗くなる。完全に消えないところが監視下に置かれている立場を思い出させる。
手を伸ばせば届きそうな天井を見上げているうちに、あれこれと余計なことを考え始めてしまう。
本当に助けは来るだろうか?
そもそも俺がここに監禁されていることを仲間達が知る手段はあるのか?
アリシアは魔力ゼロ。魔法で探知などはできないだろう。
他の3人は……? 魔法が使えるのか?
ああ、考えれば考えるほどに……
不安が……
募る……
――俺は眠っているのか?
異様な気配に目を開けると、部屋中が赤い光に包まれていた。
キーン……耳鳴りがする。
起き上がろうとしたが、体が言うことをきかない。
かろうじて首から上は動かせた。
「――――ッ!?」
顔を横に向けると、メイビスの顔が間近にあった。
赤い髪はゆらりと広がり、見開いた瞳から赤い光が発せられている。
その光が部屋全体を覆っている。
「坊やは……何者なんだい?」
首をクイッと傾け、メイビスは言った。
その顔は口の端を上げ、嗤っているようにも見える。
「おれ……は……にん……げん……だ」
俺は言葉を絞り出した。
「ふーん……そっか……坊やは自分でも分からないのね?」
何かを悟ったように、メイビスは呟いた。
彼女の手が俺に向かってくる。
何をするつもりだ?
「や……やめろ――!」
自分では叫んだつもりだが、擦れて大きな声が出ない。
彼女は俺のシャツのボタンを外し始める。
「坊やが知らないならー、坊やの身体に訊くしかないわねぇー、うふふ……」
赤く塗られたメイビスの爪が俺の腹部から胸へ向かって這う。
そして左胸、心臓の位置でピタリと止まった。
「心臓はね、第二の脳と言われているのよ? 坊やは心臓に記憶操作の術式を仕込まれているわね?」
記憶操作だと!?
誰が?
何のために?
「私が解いてやるよ。大人しく目を閉じな」
メイビスの声は、俺を弄ぶような口調から急に落ち着いた口調に変化した。
俺は抗うことはできなかった。
メイビスの指示に従い、目を瞑ることにした。
*****
暗闇に落とされる感覚――
急に視界が開け、目の前に少年の背中が見えた。
俺は今、その背中を必死で追いかけている。
少年は人混みに紛れるように逃げていくが、脚力は俺の方が数段上だ。
徐々に間を詰めていく。
少年は突然くるりと方向を変えて角を曲がった。
俺も負けじと付いていく。
少年は走るのを止め、振り向いた。
俺はその少年を知っている。宝石店の前でぶつかり、その後殺人犯として俺を警備隊に突き出したあの口元にほくろのある少年だ。
俺は背後から何者かに羽交い締めにされている。その時、ようやく自分が薄暗い路地裏に誘導されていたことに気づいた。
「しつこい奴は早死にするんだぜ、あんちゃん!」
少年が笑いながら言った。
周りから少年の仲間らしい影が続々と湧いてくる。
中には大人の姿もある。
俺は完全に包囲されていた。
――思い出した!
俺はジロス兄貴とマーレイから逃げ出すように宝石店を出た後、キッカと呼ばれる少年に金をひったくられたのだ。
それまで俯瞰的に状況を眺めていた俺は、この瞬間に現実に戻ったように感じた。心と体が繋がったと言えばいいだろうか。
「おおっ、結構な金額が入っているじゃんか! よくやったぞキッカ!」
「えへへ……じゃあオレの取り分、弾んでくれよな!」
あの金は俺が汗水垂らして働いて得たものだ。
1万ギルス。
宝石店の店員には端金かもしれないが、俺たち農民にとっては大金だ。
苦労している母さんに少しでも喜んでもらおうと貯めた金だ。
それを汚い手で触られている。
憎しみにも似た怒りの感情が俺の全身を駆け巡る。
「くそぉぉぉ――ッ」
俺はお金を取り戻そうと手を伸ばす。
しかし、背後から羽交い締めにされているため届かない。
俺の首に腕を回し、後ろに捻るように倒された。
「大人しくそこで寝転がっていろ!」
「この金は裏通りの通行料だからよッ」
「この度はご利用ありがとうございましたー」
男たちは高笑いをする。
1人の男が唾を吐き、それが俺の頬に付いた。
頭の中にある一本の糸が切れたような感覚――
俺は立ち上がり、最も近くにいた男に殴りかかる。
しかし男は倒れない。
俺の右腕を脇に挟み、膝を突き上げ俺の腹を蹴り上げた。
「ぐっ――はッ……」
下腹部に鈍痛が走る。
体中の神経が俺の腹にぐしゃりと詰め込まれたように感じた。
前屈みになろうとする俺の顔面に男の拳が突き刺さる。
俺は後ろによろける。
後ろにいた男2人がかりで両腕を拘束されてしまった。
俺は……ここで……死ぬのか……?
拳をポキポキならしながら、男が近寄ってくる。
俺が殴りかかったせいで、男の表情は正気を逸していた。
『もったいないなぁー』
突然、俺の耳元で女がしゃべった。
いや、俺の腕を押さえているのは男だ。ここには女はいない。
空耳か――
男の右拳が俺の顔面にめり込む。
痛みが限界を超え、意識が飛んでいく。
『あれ!? もしかしてこの子……』
男の左拳が俺の右こめかみに打ち込まれる。
もう……ダメ……か……
『我の声が聞こえておるのか!?』
それは、そよ風に揺れる――
鈴の音ような澄んだ声だった。




