第34話 身分とミブン
カリンとフォクスがぽかんと口を開けて店員と俺を交互に見ている。
アリシアは――
「そうね。ユーマは農民出身だからアタシたちとは立場が違うわ」
両手に乗せたハリィネズミと星形のブローチを眺めながらそう言った。
俺は――
救世主と呼ばれ、形だけのものとはいえ結婚をして、対等の立場になったと勝手に錯覚していた自分が恥ずかしい。そんな俺のことを彼女はずっと馬鹿にしていたに違いない。それなのに俺は――
「そうでございますよね。お嬢様のおっしゃるとおりです。農民出身の付き人の意見など気にせずにぜひお買い物をお楽しみください」
丸縁眼鏡の店員が口角を吊り上げてそう言うと、他の店員も揃えたように笑顔を作った。
俺は静かに店から立ち去ろう。ここは俺にはとって身分不相応の煌びやかすぎる場所なのだ。そう思って出口の方角へ体を向けると――
「あら、あなた不思議なことをいうのね?」
「は……?」
アリシアは店員を見上げて首を傾げた。
店員は口角をわずかに下げて固まる。
「なぜ農民出身のユーマの意見を気にしちゃいけないのかしら?」
「そ、それは……身分が違いますし……そもそも付き人風情がお嬢様に意見をするなど言語道断でありまして……」
「付き人風情って……ねえ、アタシには分からないわ。ユーマ説明して!」
あろう事か、アリシアは俺に説明を求めてきた。
何という屈辱。
彼女の考えが分からない。
「アリシアと俺とは身分が違うから、そんな俺の意見など聞くなということだ」
「ふーん。ミブンって難しいのね。あなたたちはミブンを大切しているのね?」
「そうさ。王族、貴族、商人、農民の順で身分は定められている。俺のような農民は軍隊にでも入らない限り上に行くどころか意見を言うことすら許されていない。それがこの国の制度だ。お前ら……は違うのか?」
魔族と言おうとして俺は言葉を飲み込んだ。
「アタシ、農民は大地や作物とお話ができる特別な力をもっていると思うの。アタシたちには分からない、いろんな知識を持っているもの。ここに来るまでにユーマから沢山話を聞いて、アタシはとても楽しかったわ。そんな農民が、ここではミブンが下なのね? じゃあ、農民よりも上のミブンの人達って、もっと素敵な力をもっているのね?」
アリシアは目を輝かせて俺を見つめてきた。
何ということだ。俺は彼女のことをまだ何も理解していない。
「そう……かもな。商人である店員さんに聞いてみるといいよ。どんな素敵な力をもっているのかを」
「あなたたちが商人なのね? 分かったわ! この宝石やアクセサリーとお話ができる人達なのね?」
アリシアが両手に持つブローチと店員を交互に見ながら尋ねた。
3人の黒服店員は困ったという表情で互いに顔を見合わせる。
そして丸縁眼鏡の店員が――
「私どもは商品を仕入れてお客様に販売するのが仕事でして……店の商品は職人に作らせております……」
手をすりあわせながらそう答えた。
「ふーん。あなたたちは大地や作物とも話さず、宝石やアクセサリーとも話さない。じゃあ、何と話せるのかしら?」
「……お客様と話せますが?」
「それは当たり前でしょう? じゃあ、特別な力のないあなたたちはなぜユーマを馬鹿にしたような態度をとったの? 返答次第ではただでは済ませないわよ!」
アリシアの表情が強ばっていく。
「み、身分とはそういうものでして……そもそも私どもには農民が一生働いても手にすることが出来ないほどにはお金があります。ですからして――」
アリシアは立ち上がり、ガラスケースに叩き付けるようにハリィネズミと星形のブローチを置いた。実際、叩き付けたのでガラスにヒビが入ってしまっている。
「なら、アタシの全財産をユーマに預ける。アタシの旦那様なんだもの、当然よね? さあ、どうするのよ」
「だ……旦那様だぁぁぁー!?」
「そうよ。ユーマはアタシと結婚したの。だから明日にお義母様にご挨拶に伺うための新しいアクセサリーが欲しかったのだけれど……この店からは買わないことにするわ」
アリシアは俺の手を握って出口へ向かおうとする。
呆気にとられていた俺は引っ張られるように出口へ向かう。
「そ、そんな……」
「あの、せめてガラスケースの修理代を……」
「うわっ、ブローチが欠けてしまった……」
背後から店員の悲痛な声が聞こえてくるが――
「アリシアお嬢様を怒らせたお前たちは、命が残っただけでも運が良いのです。せっかくの命をこの場で散らす必要はないのです」
シャキンという金属音と共に、カリンの声が聞こえてきた。
店員たちはそれ以上何も言うことはなかった。
カラン――
ガラスの扉から通りに出ると、俺の目の高さほどの小柄な少年とぶつかった。
「おっと、悪いニイちゃん」
「あ、いや、こちらこそごめん」
少年は俺の顔を見て固まった。口元にほくろがある薄汚れた顔の少年は、はっと何かに気づいたそぶりを見せて、どこかへ走り去っていった。
なんだろう?
俺には見覚えのない奴だったので気にする必要はないだろう。
*****
「あーあ、ハリィネズミのブローチ……可愛いかったなぁ……」
「ユーマちゃまとおそろいの、残念でしたね」
「あらフォクス、そういう理由ではないのよ?」
「カリンは星形のアクセのがお気に入りなのです」
「そうね。カリンには別のお店で買ってあげるわ」
「ほ……本当ですかお嬢様!?」
馬車の荷台で女子たちが盛り上がっている。
なんだかホッとしたような、気が抜けたような不思議な気分だ。
「ユーマ殿、一体何があったのでござるか? 買う気満々で入店したお嬢様が何も買わずに出てくるとは信じがたいことゆえに……」
いつものように音もなく俺の背後に回ってカルバスが訊いてきた。
「今日はこのまま宿屋へ行くぞ。部屋でゆっくり説明するよ」
俺はそう答えて、馬の手綱を握る。
今日は早めに宿に入り、ゆっくりして明日の朝はいよいよカルール村だ。
母さん元気かな。
そういえば……
未だに誕生日の贈り物を買っていない自分に気づき、俺は苦笑いを浮かべた。