第32話 再会の宝石店
早朝、俺はカルール村を出発して昼下がりに交易都市マリームへ到着した。懐には村の年寄りに代わって畑の種付けをして稼いだ小銭が入っている。今日はこのお金で母さんに誕生日の贈り物を買うのだ。それが済んだら寄り道をせずに帰れば、歩いてでも夕方までには村に戻ることができるだろう。乗合馬車の代金を支払う余裕はないから仕方がない。
この街へ来たのは今回で二度目。5年前にタロス兄さんが帝都大学へ進学する際に、その祝いを兼ねて家族で買い物に来たとき以来だ。
最初に入ったアクセサリー屋では贈り物になりそうな物は見つからず、次の雑貨屋でもあるのは日用品やガラクタばかりだった。
やはり、贈り物を探すには高級店に入るしかないのか……
俺は懐に入れた布袋に手を触れる。うん、これくらいあれば何か買えるはず。買えなければすぐに他の店に行けばいい。
その高級店にはガラス製の扉があり、その上にはダイヤモンドの形を模した大きな透明なモニュメントが飾られてる。俺は、宝石店の重い扉を押し開いた。
カラン――
ベルが鳴り、慣れていない俺は口から心臓が飛び出そうになった。
店の中は上から覗き込める高さのガラス製のショーケースが並び、奥の方にカウンターがあり、黒服の店員の姿が見える。
飾り棚につり下げられているような、手で触ることが許される程度の品物もあると見込んでいた俺は、引き返そうと振り向いた。
「坊や、何か用かい」
俺のすぐ後ろに黒服の店員が立っていた。
銀色の丸縁眼鏡をきらりと光らせ、まるで俺の退路を断つような位置関係に……
「あの……母への贈り物を探しに来たんだけど……」
俺がそう答えると、男は俺の足元から頭の先まで視線を這わせて、
「ほう、坊やがお母様に贈り物を……それは感心感心。で、予算はいかほどで?」
「えっと、ここに1万ギルスは入っています。これで何か買えるかなと……」
「1万ギルスね……その袋にじゃらじゃらと小銭で1万ギルス……」
男は丸縁眼鏡のフレームに指を当てて、俺が持つ布袋をまじまじと観察している。そして顎に手を当てて考え込む。
「そうだなぁ……1万ギルスだと」
ハッと思い出したような仕草を見せて、
「何も無いなぁー! そんなはした金じゃあ、ネックレスのチェーンすら買えないよぉー! ごめんねぇー坊やぁー!」
大げさなジェスチャーと共に男はそう言い放ち、高笑いをした。
男は端から俺のことをまともに相手をするつもりがなかったのだ。
男の高笑いは続く。
それを見ても俺には怒りも憎しみも湧いてくることはない。
ただ、全身から力が抜けていくだけ。
これが喪失感というものだろうか。
カラン――
ガラス製の扉が開いた。
男が扉を開け、女が先に店内に入る。
男の腕を両手で抱えるように女が寄っていく。
「お!? ユーマじゃないか。そんなところに立って何をしている?」
男は俺に声をかけた。
「ジロス兄貴!?」
その男はジロス。帝都大学に通う2番目の兄だった。
そして、そのジロスの腕を抱えている女は――
「ユ、ユーマ……久しぶりね……」
マーレイが目をまん丸に見開いて、ふと俺から視線を外した。
しかし、ジロスの腕を離すことはなかった。
袖にレースが編み込まれている白とピンクのブラウス。首元には高級そうな紫色のスカーフを巻いている彼女は、村にいた頃とは雰囲気がまるで違っていた。同い年の彼女が一気に大人の女性に近づいたように見えた。
「いらっしゃいませ。今日はどのような品をお探しでしょうか?」
丸縁メガネの店員は、兄貴を見るなり態度をガラリと変えた。
「彼女が初めてのパーティーに参加するのでね、ネックレスとイヤリングを見つけに来たんだ」
「左様でございますか。ではどうぞ奥へお進みください」
店員がにこやかに誘導していく。
マーレイは俺を気にする素振りを見せながらも、兄貴の腕を離すことなく店の奥へと行ってしまった。
王都で暮らす二人の兄と、家から出ない俺との格差を思い知ると同時に、幼馴染みのマーレイまでをも取られてしまったという失望感。そして俺を裏切ったマーレイに対する憎しみ。様々な感情が渦を巻いて俺の精神を削っていった。
マーレイ……
君はどうして俺ではなく兄貴を選んだ?
俺は君と一緒に村で暮らしていたかったんだ。
なぜ……
どうして……
……
……
遠くで俺の名を呼ぶ声がする。
「いてぇぇぇ――!!」
俺は顔面に痛みを感じて飛び起きた。
ハリィのトゲだらけのお尻が俺の頬に突き刺さっている。
俺は宝石店の前に止まった馬車の中で寝かされていたようだ。
「大丈夫ユーマ? 頭はまだ痛い?」
「ユーマ様、お水を飲んで気をしっかり保つのです」
「ユーマちゃま……」
女子3人組が心配してくれている。
「すまない、心配をかけたようだな。ハリィのトゲの傷以外はもう大丈夫だ」
「ユーマはやく夢からさめてよかったね-」
「ハリィも心配してくれてありがとう。でも、出来ればもっと優しく起こしてくれ」
「わかったー」
頬に触れると、血がべったりと付いていた。俺の顔面にハリィのトゲが相当深く刺さっていたのだろう。なぜそのようなことになったかは、誰も説明してくれないので分からないのだが……
「はい、お薬を塗りまちょうね-」
フォクスがツーンと刺激臭のある薬を塗ると、痛みはすぐに引いたのでそれ以上は追求しないことにした。