第31話 王都の台所
魔王城を出発してから10日目。丘の向こう側に交易都市マリームのビル群が見えてきた。俺たちはここで最後の補給を行い、明日の午前中にはカルール村へ着く予定である。
皆には話していないが、ここへ立ち寄る理由はもう一つある。
俺には魔王城へ召還された時の記憶は無い。覚えているのは、この都市に俺は来ていて、その目的が母さんへの贈り物を買うためだったということだけ。その後、この身に何が起きたのか、その謎を解く鍵が見つかるかもしれない。
「交易都市マリームからユーマ様のお母様の村までは、そう遠くはありません。このまま行ってしまうことも要検討なのです」
カリンが地図を広げて皆に話し始めた。
「でも、到着するのは夜中になるのです。ユーマ様のお母様は夜行性ですか?」
「おい、俺の親を魔物扱いするんじゃない。そりゃあ、人間でも夜に働いたりする者もいるが、俺の家は農家だからな」
「そうですか。それでは仕方がありませんね」
「ああ、計画通りマリームに寄っていくからな」
俺は後ろを振り向き念を押した。カリンの向かい側に座っているアリシアがはっと何かを思い出したように――
「そうね、ユーマのお母様に早く会ってみたい気持ちもあるけれど……人間が作った都市をじっくり見てみるのも素敵じゃない? 魔王軍が侵攻する際の攻略法を見つけられるかもしれないでしょう?」
アリシアの言葉を聞いて皆は『なるほどー』とか言って感心しているけれど……少しノリが軽すぎやしないか? 彼女らには、勇者に魔王城の中まで攻め込まれたということに危機感はないのだろうか。魔族の将来が心配になってきたぞ。
交易都市マリームは、王都の台所とも呼ばれるほどに、物流が盛んな街である。王族御用達の高級品から庶民の日用品や食材まで何でもそろっている。
都市の中心部には背の高い塔や高層ビルが建ち並び、そこには王族を始め貴族が買い付けにくるそうだ。その周辺部には比較的裕福な者向け、さらにその周辺には庶民向けの雑多な店が並んでいる。
街に入ると馬車が行き交うメインストリートの他、比較的狭い路地までも石畳の道になっている。これは馬車をゴトゴト揺らすことで スピードを出し過ぎないようにしているのだと村の学校で習った。
「あわっ、あわわっ、あわー」
俺の隣にいたハリィが、馬車の振動に合わせて飛び跳ねてしまっている。首飾りに擬態するにも少なからず魔力を消費するらしく、近頃はこうやって離れていることがままあるのだけど――
「ハリィ、そろそろ元にもどれよ。その体だと人目につくだろ」
「ユーマはしらないー。ハリィネズミはにんげんの女に、にんきー」
「嘘つけ! お前らは魔獣だろ?」
「ユーマ殿、その話は本当でござるよ。拙者、街の女がハリィネズミをペットとして飼っているところを目撃したでござる」
「お兄様は人間界に潜伏して諜報活動をしていた経験が御有りなのです」
カルバスは俺よりも街の暮らしについて精通しているというのか。
俺はほとんど街中へ出ることはなかったものな…… なんか悔しい。
それにしても人間が忌み嫌うはずの魔族界の生物であるはずのハリィネズミがペットとして女子に人気があるとは……少し複雑な気分だ。魔族界と人間界の対立さえなければ、魔族と人間が仲良くなる可能性もあるということだろうか。
「ねえユーマ、アタシあのお店に寄ってみたいんですけど」
アリシアが指を差すその先には宝石店の看板が見えた。使い切れないぐらい持ってきたというお金でまた何かを買おうとしているらしい。
まあいいか。
今日はこの街で泊まる予定だから寄り道をする時間ぐらいはある。
俺はその看板に向けて馬を誘導する。
この辺りは以前立ち寄ったホロロン町のメインストリートの華やかな入口付近と同等かそれ以上の高級店が建ち並ぶ区域である。時計、婦人服、バッグ、紳士服、高級菓子店が競い合うようにショーウインドウを飾っている。
馬車の荷台から身を乗り出すように女子3人組が感嘆の声を上げながら眺めている。
アリシアが希望した宝石店に近づいた。煌びやかなショーウインドウの隣にガラス製の扉があり、その上にはダイヤモンドの形を模した大きな透明なモニュメントが飾られている。それを見た途端に俺は――
心臓が締め付けられた。
続いて激しい頭痛。
俺は堪らず手綱を引き馬を止める。そして頭を抱える。
「ユ、ユーマ……どうしたの?」
「ユーマ様!?」
皆が駆け寄ってくる。
俺は魔王城に召喚されて以来、幾度となくこのような頭痛に襲われてきた。
しかし今回の痛みはこれまでのものとはレベルが違う。
頭が割れそうだ。
カルバスが俺の身体を揺らしている。
アリシアが俺の名を呼んでいる。
仲間達の声が――
遠ざかっていく。
視野が狭まっていく。
ゆっくりと――
暗闇に閉じ込められるように……
……
……
――【とうとう思い出してしまうんだね】――
耳のずっと奥から女の人の声がした。
それは鈴の音のように美しく、悲しげだった。
俺は1人、宝石店の重い扉を開けていた――