第23話 宿屋の悲劇
ホロロン町には別称がある。それは商人の町。日常雑貨を始め金銀財宝に至るまで様々な商人が店を営みあらゆるものが取引されている。お金が動く場所には人が集まる。一攫千金を求めて町へ移住する者も多い。しかし光ある所には必ず影ができる。商売に成功する者の影には失敗して搾取される者がいる。その行き着く先がスラム街である。
ニットが師匠の所へ行ってしまったその数分後、建物のすき間から幾人もの子ども達が俺たちの馬車へ寄ってきた。
「ねえ、余っている食べ物ない?」
「オネエちゃん、これ買って!」
「なんで真っ黒い服をきてるのー?」
「うまい水あるよ、買っておくれよー」
子ども達はみなボロボロの服を着て、食べ物をせがんだり木の実で作ったアクセサリーの様な物を売ろうとしたり、黒装束やメイド服を珍しそうに眺めたりしている。
「干し肉しかないでござるが、口に合うかどうか……」
「あら、不思議な物を売っているのね。あなたそれ何なの?」
「あの……その……服を引っ張らないで欲しいのですが……」
「うまい水って、それほんとうに飲めるのでちゅか?」
魔人たちは相手が小さな子供ということもあって、それなりに対応しているけれど、皆困ったような顔をしている。
皆が子供達の対応に追われてしばらくすると、ニットが入っていった小屋の中から男の罵声が聞こえた。なにかトラブルでも起きたのだろうか? 様子を見に行こうかどうか迷っているうちに、ドアが勢いよく開いてニットが飛び出してきた。
「くそっ、あのキノコはただのマッタケだったとはなっ!」
ポケットに手を突っ込んだまま、ニットは小石を蹴飛ばした。
やはりあのキノコは師匠が望んでいた物とは違ったようだな。
ぶつぶつ言いながらニットはこちらを見た。
「おいお前ら! そのニイちゃんとネエちゃんたちはオレっちの客人だから手を出すなー!」
ニットの一声で子供達は蜘蛛の子を散らすように建物の隙間に戻っていった。ニットは小さくため息を吐き、馬車に乗り込む。
「なあニイちゃんたち、今夜は町に泊まっていくんだろ? 良いところを紹介してやるよ」
「それは助かるでござるよ」
「やったー、やっとふかふかのベッドで眠れるのね。アタシ野宿だと上手に眠れなくて困っていたの」
「フォクスはどこでも眠れまちゅが、たのしみでちゅ!」
皆が妙に盛り上がっている。旅の目的が俺の母さんに会うことだから、俺としても嬉しいわけだが、それ以上に魔人たちは楽しんでいる。人間界対魔族界の戦争から一時的とはいえ離れたことで、彼らの心にゆとりが生まれたのかもしれない。
ニットに連れられて俺たちは3階建ての木造の建物に入る。1階は大衆食堂兼酒場になっていて、そこを抜けて2階に上がる。木製の階段は所々が傷んでいて、足をかける度にぎしぎしと音が鳴っている。上がってすぐの正面にカウンターがあった。
ニットが宿屋の主人に話をつけている。50過ぎの目つきが鋭いその男は『ほう……』と一言発し、アリシアとフォクスにねっとりとした視線を送った。
「ニイちゃん、部屋は開いているってさ。よかったな!」
ニットが振り向いて俺に言った。
宿屋の主人はいかにも愛想笑いを浮かべながら――
「長旅お疲れ様ですぅ。部屋のグレードですがぁ――」
「最上級グレードでお願いするわ! そうねえ、見晴らしが良くてふかふかのベッドのある部屋なら最高だわ!」
「まさにお嬢様方にぴったりなお部屋がありますぅ。その分、ちょっとお値段は張りますがぁ――」
「いや、ちょっと待って!」
俺はアリシアを制止した。このままでは宿屋の主人の口車に乗せられて宿代をふっかけられてしまうと思ったからだ。いくら使い切れないぐらいのお金があると言っても、無駄遣いはさせられない。
俺が宿屋の主人とやりとりをしている間、アリシアとフォクス、そして黒装束の魔人は階段下に見える大衆食堂兼酒場を物珍しそうに眺めている。
男女それぞれに一部屋ずつ借りた俺は皆に声をかける。するとカルバスが――
「拙者、馬車に忘れ物をしてきたゆえに、先に部屋に上がっていて欲しいでごさるよ」と言い残して階段を下りていった。
俺たちは3階の部屋に上がっていくのだが、何気なく後ろを振り向くとニットが宿屋の主人から小銭を受け取る姿が見えた。俺の視線に気付いたニットは、ニカッと笑い――
「明日の朝、また来てやっから! ニイちゃんたち、日用品を買ったりするんだろ? 安いて良い店を紹介してやるよ!」
「ああ、よろしく頼むよ」
俺がそう答えると、彼は元気良く手を振って、走って階段を下りていった。
最上階の3階とはいっても、とくに雰囲気が変わるわけでもなく、木の床は歩く度にぎしぎしと音を立てている。これで『最上級グレード』の部屋など望めるわけがない。
「ここが女子部屋で、こっちが男子部屋な。夕食までは1時間ほどあるから、各自で時間をつぶそう」
「いいわね、じゃあアタシ達はフォクスの【偽装】の特訓をしましょう!」
「ヒィィィー、お、おじょうさま……お手柔らかにおねがいしまちゅのです」
アリシアはフォクスの背中を押してずんずん部屋に入っていく。黒装束の魔人も付いていこうとするので「俺たちはこっちの部屋だ」と引き留める。
「えっ、えっ!?」と、なぜか動揺しているみたいだけど、俺の説明を聞いていなかったのか?
部屋はベッドが3つ並んでおり、その他にはぼろいチェストやスプリングが飛び出してきそうなイスに丸テーブルなど、本当に必要最低限な設備しかない。おそらく女子部屋も同じような感じだろう。違うとしたら、あちらはベッドが2つしかないぐらいか。
「じゃあ、先にシャワー浴びようぜ」
「しゃ、シャワー……ですか?」
黒装束の魔人は荷物も下ろさずに入口に突っ立ったままだ。
変な奴。
何か緊張しているみたいだけれど……
「そうさ。あれ、もしかして魔族の君たちはシャワーを浴びる習慣がないの?」
「い、いえ、シャワーは気持ちよくて好きなのです……」
「じゃあ入ろうよ。お前、先に入って良いよ」
「そ、そう……ですか」
何だか妙におどおどしている感じ。そんな事にはお構いなしに、俺がベッドの上に仰向けになっていると、ようやく彼は入口脇にあるシャワー室のドアを開けて入っていった。
それにしてもカルバスは遅いな。俺は最後にのんびりとシャワーを浴びたいから先にどんどん入ってもらいたいのだが。蜘蛛の巣が張っている天井をぼんやりと見ながらそんなことを考えていると――
「ひゃあ!」
「ん? どうした?」
シャワーの音にまじって、妙に甲高い悲鳴が聞こえてきたので、俺はシャワー室のドア越しに声をかけた。
「い、いえ……何でもないのです。急にお湯が水に変わってびっくりしただけなので……」
「あー、こういう古い宿のシャワーはコツが要るんだよ。ちょっと入るぞ」
「えっ!? あっ、だめ……」
俺が親切に使い方のこつを教えてやろうというのに、駄目というのはどういうことなんだよ。俺は少しむっとして、思いっきりドアを開けた。
「…………ッ!」
「…………ッ?」
そこにいたのは、ショートカットの黒髪に黒い瞳。頭の両脇から小さい焦げ茶色の角が生えた魔人。日焼けのしていない肌は白くつやがあり、胸には手のひらですっぽり隠れてしまうほどの膨らみが……
その時、ガチャリと入口のドアが開く音がして――
「ねえユーマ、カリンがいないんだけどどこに行ったか知らない? あと、アタシたちの部屋にベッドが2つしかないの。こっちと部屋を間違えたんじゃないかと思うの」
よりにもよって、アリシアがこのタイミングで入ってきた。
「キャァァァ――――ッ、お兄様ぁぁぁ――ッ!」
黒装束の魔人改め、黒装束の美少女カリンが悲鳴を上げた。
「どうしたでござる、カリン!?」
カルバスが血相を変えて部屋に入ってきた。弾みでドア付近に立っていたアリシアが突き飛ばされたぞ!
ん!? お兄様? カルバス、お前はお兄様だったのか!