第20話 食物連鎖
俺が人間じゃないって?
アリシアが発したその言葉が俺の心をざわつかせた。
この気持ちは何だろう。
俺は……心の底では魔族を下に見ていたのか? それとも自分が思っていた以上に人間としてのプライドをもっていたというのか?
分からない。
自分のこの感情がどこから湧いてくるのかが……
アリシアは口を半開きにしたまま固まり、俺も腕を組んで考え事を始める。
そんな俺たちの微妙な空気を読んだ獣耳メイドのウォルフが――
「ユーマ様、宜しければ私が説明いたしましょうか?」
と前置きをして、この世界の食物連鎖について説明を始める。
この世界は人間界と魔族界に二分されている。人間界は天使が創造し、人間を頂点として動物と植物が食物連鎖のサークルを生成している。一方の魔族界は悪魔が創造し、魔人を頂点として魔獣と魔植物が食物連鎖のサークルを生成している。
つまり、人間にとって魔獣や魔植物は本来の食物連鎖のサークルから外れた存在である。だから、俺がビバビバの肉や魔植物のスープを美味しく感じるのはあり得ないことだ――というのが彼女らの見解となる。
そう……なのか?
確かに俺は旨いと感じた。それが異常なこと……なのか?
いや待て。
どうして魔王城のメイドであるウォルフがそんなことを知っているのだ? 人間の俺が知らないことを、魔人である彼女たちがさも当然のように語っている。本当に信じても良いのか?
『ユーマ、鑑定してみてー』
突然、ハリィが俺にメッセージを送ってきた。
寄生元である俺にしか聞こえない声で。
「……何を?」
『ユーマをー』
「俺自身を……鑑定する?」
『そう。ユーマじしんを鑑定してみてー』
「ユーマどうしたの?」
アリシアがきょとんとした顔で訊いてきた。
「ハリィが、俺自身を鑑定してみろと言っているんだ」
「そ、その手があったわね。じゃあ早速やってみましょう! で、どうやるの?」
ハリィの説明によると、自分の姿を鏡に映すことで【鑑定】スキルを自分に発動させることができるらしい。
アリシアがチェストの引出から鏡を持ってきた。
大きな宝石がはめ込まれている超豪華な手鏡だ。
では鑑定してみるか。
何だか緊張するな……
もし本当に自分が人間じゃなかったら……
どうしよう?
えーい、俺は男だ! 思い切って行くぞー!
「【鑑定】!」
――――――
[名称]ユーマ・オニヅカ/Lev.3
[種族]人間/???
[職業]未定/寄生宿主
[状態]不安
[攻撃力]剣:D 槍:E 弓:E
[魔法]黒魔法:【魔剣創造】【鎖創造】 白魔法:――
[耐久力]耐物理:E 耐魔法:E
[スキル]【鑑定】【剥奪】【リメイク】
――――――
「……あれ?」
「ねえユーマ、どうだった? あなたは人間だったの? それとも魔人なの?」
アリシアが待ちきれないとばかりに問い詰めてきた。
俺は目の前に映しだされる白い文字を見つめながら――
「人間・スラッシュ・はてな・はてな・はてな――」
「えっ? なあに? どういう意味?」
「だから……今言ったとおりのデータが表示されているんだよ」
「はあー?」
アリシアは首を傾げる。
職業が未定なのも、ハリィの寄生の宿主になっているのも分かる。
攻撃力も耐久力もショボいのも分かる。
レベルが3というのも……分かる。
でも、人間の他に何の属性があるというのか?
確かに父さんは異世界から来た元勇者だった。そして母さんと結婚して俺が生まれた。それなら、俺は人間と異世界人のハーフということになるけど……『人間/異世界人』ではなく『人間/???』ってどういう意味なんだ?
急に自分のことが分からなくなり、不安になってくる。その動揺が首元のハリィにも伝わったらしい。彼は擬態を解いてとテーブルの上にちょこんと飛び降り――
「ユーマ、にんげんだけどにんげんじゃない、ふしぎー」
短い後ろ足と尻尾で立ち上がり、短い手を左右にぷらぷら振りながら言った。
「ルル……い、いえ、ハリィちゃん。ちょっとこっちに来て」
アリシアはハリィを手のひらに乗せて部屋を出て行った。
何やらナイショ話をしに行ったみたいだけれど……あの二人はどういう関係なんだろう? もしかしたら魔女とその使い魔みたいな間柄なのだろうか?
「あの、ユーマ様。宜しければお食事の続きをなさっては如何でしょう?」
「ユーマちゃま、どうそ召しあがりくだちゃいませです!」
閉じられたドアを呆然と見ていた俺に、獣耳メイドの二人が声をかけてきた。
うーん、一気に食欲が失せてしまったけれど……
イスに座り、改めてステーキを口に運んでみると――
「うん……やっぱり旨いよ……」
すごく複雑な気分だ。
*****
バーンとドアが開いてアリシアが戻ってきた。
「ユーマ、あなたのお母様会いに行きましょう。アタシをあなたの家へ連れて行き
なさい!」
「……はい!?」
「アタシ気になって仕方がないの! あなた自身が知らされていない秘密をユーマのお母様は握っているはずよ。なら、あなたのお母様に会って確かめるのが手っ取り早いでしょう?」
どんな秘密だよ。俺の出生の秘密ということか? なんだかすごくプライベートなことに踏み込んできた。
アリシアは人間界に置き換えるとお姫様。傍若無人な振舞いはどの王族も一緒なんだな。
「ユーマ家はカルール村でしょう? うーん、その間に幾つかの町や都市を超えていく必要がありそうね」
「アリシアさま、その旅にフォクスもつれていってほちいのでちゅっ!」
フォクスがフサフサの耳をビクビクさせながら言った。
「いいわ、フォクスも付いてきなさい。その代り、今晩中に【偽装】スキルを身に付けること。いいこと? 自分自身だけでなく、アタシとその護衛の容姿を人間に偽装するスキルを期待しているわ」
「は、はい……わかりまちた。フォクスがんばってスキルを覚えるのでちゅ!」
「お、お嬢様、そのように勝手に話を進めてしまいますと……我らが魔王が……」
「ウォルフ、あなたが気にしているのはお父様ではなく……長老会、よね?」
「――うっ、な、なぜそれを……」
灰色の獣耳をペタンと後ろに引き、ウォルフは後ろによろけた。
明らかに動揺している。
「アタシの家具を一式、この部屋に運ばせたのは長老会の指図。差し詰め、アタシとユーマを監視して、本当にユーマが魔族の一員になったかどうかを確かめる任務を与えられているというところでしょう。違うかしら?」
アリシアは顎に手を当てたポーズで、ウォルフに視線を送った。
ウォルフの足ががくがくと震え始め、ぺたんと床に座り込んでしまった。
「ご、ごめんなさいお嬢様。わ、私は魔王城のメイド長としてあるまじき行為を……魔族の将来がかかっていると長老会のベリー様にそそのかされ、お嬢様とユーマ様が無事にお夜とぎをなさるまで監視するようにと――」
「やはり、そうだったのね。でもアタシ達は明日から旅に出るわ。あなたの監視役もこれで解任。今からメイド長としてのお仕事に専念なさい!」
「は、ははーっ!」
ウォルフは立ち上がり、深々と頭を下げた。
俺は悪魔ルルシェによって魔王城に召喚された。そして魔族の救世主になる道を選んだ。俺が魔族の一員として認められるために必要なことだから、アリシアとの結婚を承諾した。だから……もう家に帰ることはないだろうと諦めていた。
「ユーマ、今夜は大忙しね!」
「アリシア……魔王の娘である君が、そんな危険を冒してまで俺の母さんに会いに行ってもいいのか?」
「あなたのお母様はアタシのお義母でしょう? その方と会うのに多少の危険が何だって言うのよ。たとえお父様が反対しても、アタシはアタシの信じる道を進むのよ!」
アリシアのその一言で俺の里帰りの旅が決まったのである。