第14話 ミュータス死す
眼下に人間側の本陣が見える。
ここは湖の畔から更に一山越えた麓の崖の上。険しい山に囲まれた魔王城に攻め入る唯一のルートが、この崖をつづら折りに上がっていく細い道であり、そこには幾重にも馬車の轍が刻まれている。その崖の上から俺らは敵の本陣を見下ろしているのだ。
黒装束の魔人カルバスから借りた単眼鏡で覗いてみる。30台の馬車を円形に並べ、その内側に数カ所の焚き火が見える。明日の決戦に向けて武器を整備している者もいれば、既に酒盛りを始めている者もいる。兵士の数はざっと数えて200人ぐらいだろうか。皆一様に落ち着いた雰囲気で、自分達の勝利を確信しているように見える。
俺はこの期に及んでまだ迷っていた。戦闘の混乱に乗じて人間側に加勢するか、それとも戦場から逃げ出すのかを――
『ユーマどうしたー』
首飾りに擬態しているハリィが声をかけてきた。
俺の不安はハリィに筒抜けだ。
しかし、魔族を裏切ろうとしている俺の気持ちまでは分からないのだろう。
ハリィの頭をそっと撫でると、頭の角に指先が触れた。
これはアリシアの角の欠片。
胸にちくりと痛みが走った。
「さあ、作戦のおさらいをするわよ」
アリシアが皆に呼びかける。
彼女らが考えた作戦はこうだ。
まず、敵の本陣のど真ん中に全員が飛び込んでいく。そしてアリシアと俺、バラチン、黒装束のカルバス、黒装束のもう1人の魔人とエレファンが四方向に分かれて敵を殲滅する――
およそ作戦とは言えない低レベルな計画なのだが、生身の人間に対しての優位性を誇る彼女らにとっては緻密な作戦など必要はないという認識なのだろうか。
「ではお嬢様、心の準備はよろしいでしょうかな?」
「ええ、バラチンもいい歳なんだから羽目を外しすぎないようにしなさいよ」
アリシアとバラチンは互いの剣の鞘をカツンと合わせた。
黒装束の2人も短刀の鞘を合わせている。
「戦闘中の怪我は処置できないので終わるまで我慢するのですゾウ」
鼻の長い白衣のエレファンが太くて短い手を差し出してきたので、俺も魔剣の鞘をちょこんとその手の先に当てた。
彼は武器を持っていないようだけれど、どう戦うんだろうか?
「さあ、行くよユーマ!」
アリシアの一声で、俺の身体はグイッと引っ張られて、一番星が輝く空に向かって飛んでいく。
遙か上空から見下ろす敵の本陣は、暗闇の中に浮かび上がるようにオレンジ色の炎に照らされて幻想的な雰囲気に見えた。間もなくここが血で血を洗う戦場になるのだ。
ふと、馬車の死角になっていた位置に炎が見えた。皆の焚き火から一つだけ離れた場所にある炎。目を懲らして見ると――
「アリシア、あそこに見える炎の所まで行ってくれないか?」
「えっ!? わ、分かった。しっかり掴まっていなさいよ!」
アリシアは当初の予定通りの敵陣の中央に着地後、再び小さく跳んだ。
俺の身体は地面に叩き付けられるが、そのまま引っ張られていく。
眼下にはバラチンたちが着地して剣を構える姿がに気づき、人間達が慌てふためく様子が見えていた。
そして、俺らは一つだけ離れた場所にある焚き火の近くに着地した。
「ミュータスさん!」
俺が焚き火に当たっていた人物に声をかけると、4人の男が一斉に立ち上がる。
「ゆ、ユーマか?」
「はい、ユーマです!」
すると、金髪の好青年という感じのミュータスさんは――
「ユーマぁぁぁーッ、この裏切り者がぁぁぁーッ!」
鬼のような形相で剣を振り下ろす。
金属同士がぶつかり合う音が鳴り、俺の額の直前で剣が静止した。
アリシアが三日月型の片手剣で受け止めていた。
「う、裏切り者……俺が……?」
「そうだ、お前は私達を裏切った。そうだろうがぁぁぁーッ!」
獣のような瞳で俺を睨んでいる。
「俺は……ミュータスさんを……裏切った……のか……」
「殺してやる! 貴様だけはこの手で殺してやる! 私の聖剣を鉄屑に変えたお前だけはこの手で――」
剣をぐいぐい押して来るミュータスさん。
アリシアのことはまるで眼中にないという感じで。
それを受け止めるアリシアは氷の魔女の如く無表情――
「殺してやる! 殺してやる!」
目が血走っているミュータスさんはさらに押してくる。
俺は気勢に押されて後ずさりする。
やがて――
「ユーマ、もう殺っちゃっていい?」
それはアリシアの感情のない台詞。
「アタシ、ユーマがこのまま人間側に戻ったとしても、それがあなた自身の選択ならば止めはしないわ。でも、この人間はあなたの敵になった。なら、あなたはどうするの? 殺すの? 殺されるの?」
アリシアは氷の視線を俺に向けてきた。
彼女は俺が裏切ろうとしていることに勘づいていた。でも、ここまで黙って俺を連れてきてくれたんだ。
俺は――どうする?
「ミュータスさん、今まで親切にしてくれてありがとうございました……」
俺はミュータスさんに頭を下げる。
耳元で金属同士が激しく擦れる音が鳴る。
鈍い音と共に、生暖かな液体が俺の頭から降り注いた。
俺が頭を上げると、残りの3人の死体も転がっていた。