第10話 魔力ゼロの理由
俺の右腕は痺れ、魔剣ユーマと名付けた俺のナイフは背後の床にカツーンと転がった。
「ふ、不意打ちとは……」
俺はバラチンを睨み付ける。
すると、ロングソードの先端が俺の眉間へ向けられて――
「キサマは今、吾輩に剣を向けた。だから吾輩は攻撃した。それを人間は不意打ちと呼ぶのか?」
バラチンは長い顎をしゃくり上げ、蔑んだ目で俺を見下ろしている。
「さあ、キサマも男なら剣を拾え。そして向かってこい!」
くそっ!
俺は床に転がる魔剣を拾い上げる。
相手のロングソードに対して俺の魔剣は手の平サイズ。
しかも相手は剣術ランクSS、対する俺はただの農民の子。
勝ち目など端からない。
奴は、俺を貶めてから殺すつもりに違いない。
周りは魔族。敵ばかり。
アリシアも然り。
観衆に混じって高みの見物かよ!
ハリィは……
そうだ。俺にはハリィがいるじゃないか!
俺はアリシアの足元にいるハリィに目配せをする。
ハリィはきょとんとした顔で首をひねった。
俺は首を指さして合図する。
え? みたいな反応が返ってきた。
「首ー、首にー!」
小声で伝えると、ようやく気付いたようで、トトト……と近づいてくる。
そして、後ろ足と尻尾で立ち上がり、抱っこをせがむような仕草をする。
左手でハリィの手を掴み持ち上げると、むにゅうぅぅぅーっと体を伸ばして俺の首に巻き付いてきた。
「ん? そのハリィネズミがどうかしたのか?」
「いや、気にしないでいいから……」
奴の敗因は俺のスキルを把握しきっていないこと。
聖剣ミュータスの時のように、奴の剣術スキルを【剥奪】してやる!
そしてその力をそのまま返してやる。魔剣ユーマに乗せてなっ!
まずい……顔が自然とにやけてしまう……
「バラチン様、お気をつけください。その者、何か企んでおります」
「バラチン様、人間は卑怯ゆえにどんな手でも使ってきます」
観衆の中、黒装束で顔まで隠している二人が余計なことを言っている。
バラチンは先程までの軽口から一転して、じり、じりと間合いを詰めてきた。
一瞬、眼光が鋭くなった。来る!
「お嬢様に触れようとする虫けらは吾輩が成敗してくれる――!」
バラチンがロングソードで俺の額を突き刺しに来た。
俺は魔剣で迎え撃つように右手を突き出し、叫ぶ。
「その剣技を【剥奪】する!」
その俺の叫びに反応したアリシアが驚いて何かを言っているが無視だ。
バラチンの剣は俺の頬を僅かに切り血が吹き出る。
二人はそのまますれ違い、俺はすぐに向きを変える。
そして、両手で抱えるように魔剣を突き出し――
「食らえ、狂牙一刀龍の滝登りィィィ――!」
バラチンが構え直した直後のロングソードを巻き込むように、魔剣がバラチンの眉間に向かっていく。技名は【剥奪】スキルを発動させて瞬間に俺の意識の中に流れ込んできたものだ。
バラチンは目を見開き、後ろへ仰け反る。
彼の長いアゴをかすめて魔剣ユーマは空を切る。
海老反りの姿勢で難を逃れた表情からは、一切の余裕が消えていた。
俺がきちんと状況を把握しているのはそこまでだった――
俺の手から魔剣は離れ、続いて腹部に鈍痛。
黒革の先が尖った靴が俺の眉間に直撃し、続いて後頭部に激痛が走る。
胸を正拳突きされた俺は、後ろに弾き飛ばされる。
それを誰かが受け止めて――
「ねえユーマ、バラチンに謝りなさい! 男と男の対決で特殊スキルを使用するのはいけないことなのよ?」
アリシアの声だった。
彼女はこの理不尽な虐めを男と男の対決と思っていたらしい。
「それに……あなたの【剥奪】のスキルはアタシたち魔族相手には無効なのよ」
「…………えっ!?」
「本当に何も知らないのねユーマは。【剥奪】は天使が異世界から召喚した『召喚されし者』だけがもつ特殊スキルを奪い取る能力なの」
「じゃ、じゃあ……さっき俺がバラチンの剣を受け止め、反撃したのは……」
「あなたの思い込みよ!」
全身の力が抜けた。
アリシアの足元の床に腰を抜かしたようにへたり込む。
「ユーマ……あなた……」
もう、どうにでもしてくれという気分だ。
「すごく弱いのねっ!」
そ、そこまではっきり言う!?
「でも、そんなあなたがアタシを、そしてお父様を助けてくれた。とても素敵よ! それでこそ救世主だと思うの!」
「……はい?」
「救世主――」
「救世主って……誰が?」
「ユーマ、あなたはアタシたち魔族の救世主なのよ?」
「な、な、何だってぇぇぇ――――!?」
腰砕けで尻と手を床に付けている俺の顔に、アリシアは四つん這いになって顔を寄せてくる。彼女の真意が分からない俺は、手足をばたつかせて後ずさりする。
アリシアは少しムッとしたような表情なる。そして更に顔を寄せてきた。
「ちょ、ちょっと……顔が……近い!」
皆の前で殺されかけた直後にこの反応……。
自分のことながら恥ずかしくなる。
しかし、魔王の娘アリシアの可愛らしさは死の恐怖をも凌駕する……とは言いすぎだろうか。
アリシアは銀色の髪を左手ですくい上げ――
「ほら、ここ見て、ここ」
左のこめかみの辺りを俺の目の前に向けてきた。そこには5センチ程の長さの可愛らしい角があるのだけれど……
「あれ? 欠けている!?」
そう、左側の角は右側のそれと比べて2センチ程短く、よく見ると先端が欠損しているのだ。
俺はその先端の欠片を知っている。
ハリィの角だ!
「アタシね、悪魔ルルシェにお願いしたの。天使が人間界に送り込む『召喚されし者』に対抗できる、私たちの救世主を召喚してくださいって。その代償がアタシの角の欠片だった」
アリシアは俺の首元を愛おしそうに撫でる。
「君たち魔族にとって角は……大切なものなのか?」
「アタシたちにとって角は魔力の源。だからアタシはもう魔法は使えないの」
「――――ッ!」
それがアリシアの魔力ゼロの理由。
「でも、いいの。あなたが、ユーマが来てくれたから――」
「そ、そんな……俺なんかが来たところで何の役に立つのか……。それに俺は最初、ミュータスさん達と共に魔王を討伐しようとしていたんだよ?」
「でも、ユーマはアタシ達を助けてくれた。すべてあなたが自分の意志で選んでくれた――」
俺は魔王城の前広場に召喚されてからのことを回想した。
ハリィに出会って契約したこと。
アリシアの涙を見てホルスの魔の手から助けたこと。
聖剣ミュータスのスキルを【剥奪】したこと。
すべては俺自身の選んだこと。
「ハリィ……もしかして、沼でキミが溺れていたのは……俺と接触するための演技だった?」
「はにゃぁー?」
ヘンな声で誤魔化された。
「その子を悪く思わないであげて。アタシ、悪魔ルルシェにお願いしたの。召喚する相手が魔族に協力してくれるかどうかは、その人自身の選択に委ねますって。だから少し回りくどいやり方になってしまったんだと思うの」
そう言って、アリシアはニコリと俺に笑いかけてきた。
俺は――
そんな彼女に声をかけることなく意識を失っていく。
『―Blood shortage―』
俺の視界には白い文字が点滅を繰り返していた――