第二章4 『噂』
俺は彼ら――コバヤシさんとレガーナさんを注意深く見る。
きっといまの俺の目は非難の色を含んでいるだろう。しかし考えてみてほしい。お酒も入ってないのに聞き分けのない子どものように大騒ぎしているいい大人を想像してもらえば、俺の気持ちも少しはわかると思う。
「やっぱり関わり合いにはなりたくないよなぁ。ねえ、高菜さん。俺たちもう食堂は見なくても……て、あれ? いない? 逃げやがったなー」
俺が二人に気を取られているうちに、高菜さんは消えていたらしい。
突然。
コバヤシさんは急に馬鹿笑いをやめて、焦ったように言った。
「なんてことだ!」
「どうしたのよコバヤシ! 話してみて」
「マッドカッターが現れるぞ!」
それを聞いたレガーナさんが、ハッと口に両手をあてて青い顔をする。
「まぁ! なんてこと! もうダメかもしれないわ」
およよ、とひざから崩れるレガーナさんをコバヤシさんが抱きとめる。
「大丈夫だ! まだ風は吹いていない」
ふうむ。いちいち舞台のような大げさな言動をしているのを見たところ、彼らは役者で現在演技の稽古中かもしれない。うん、きっとそうだ。品森社長は披露宴をすると言っていたしな。でなけりゃ、あんなみょうちきりんな出で立ちをしているわけがない。
とにかく、触らぬ神になんとやらだ。
ここは稽古の邪魔をしないようにさっさと部屋に戻るか。
「ところで逸美ちゃん、マッドカッターってなに?」
逸美ちゃんはすぐに答える。
「それはね。不思議の国のアリスに登場する、帽子屋のことよ」
「それはマッドハッター!」
俺がつっこむと、今度は凪が逸美ちゃんを手で制して、
「ぼくから説明しよう」
と、俺を脅かそうとするかのように声をひそめて言う。
「空に現れる、狂った刃物。空から無差別に人を切り、殺してしまう風。不思議の国のアリスの帽子屋マッドハッターにかけて、その狂った風はマッドカッターと呼ばれているのさ」
「きゃー!」
驚いたのは鈴ちゃんだけだった。
凪は続けて、
「マッドカッターの正体は謎の怪人だと言われてるんだ。つまり、殺人鬼さ」
「いやー!」
「しかしその姿を見た者はいない」
「うぎゃー!」
「もしかしたら、透明人間かも」
「ひえー!」
「透明人間だったら、不正乗車しちゃうんじゃないか?」
「きえ~!」
「いや、ぼくならいっそタダで遊園地に行っちゃうね」
「やめて~!」
「ジェットコースターだって乗り放題だ」
「助けて~! て、先輩ジェットコースター苦手でしょ! さっきから変なリアクションさせないでくださいっ!」
凪は頭の後ろで手を組んで、
「勝手に怖がって騒いでたのは鈴ちゃんだろうに」
この二人は置いといて、マッドカッターの話は、なにかの都市伝説とかにありそうな感じがする。
「凪、おまえそんな話どこで聞いてきたんだよ」
「いまこの飛行船内じゃもっぱらの噂だよ」
「わたしは実際に起きた話だと聞いたが」
「そうね、マッドカッターは実在するわ」
「うわっ!」
なんだよおどかすなよ。
コバヤシさんとレガーナさんはいつの間にか俺の隣にいて、凪の代わりに相槌を打っていた。
二人はさっそく自己紹介をはじめた。
「わたしはコバヤシだ」
「わたしはレガーナよ」
「よろしくな」
「よろしくね」
コバヤシさんとレガーナさんは交互に言った。
凪が不思議そうな顔でじぃっと二人を見つめる。
「開、この人たち、普通じゃない」
ズコッとこける。すぐに立ち直って、
「本人目の前にして失礼だろうが!」
凪に言われるなんてよっぽどだぞ、この二人。
しかしコバヤシさんとレガーナさんは凪の言葉に、むしろ照れているようである。
「あはは。普通じゃないだなんてやめおくれよ」
「照れちゃうわ。褒めてもなにも出ないわよっ」
凪は引いた顔をして、俺にささやく。
「開、やっぱりおかしいよ。あれで照れるなんてさ」
「まあ、おまえも普段あれといっしょのリアクションするけどな」
コバヤシさんとレガーナさんは大げさな身振りをして、
「わたしたちはキミたちと仲良くなりたい」
「きっと誰もがうらやむ友達になれるはずよ」
だが、凪は苦い顔のままである。
「お構いなく~。それじゃあぼくらはこれで」
背中を向ける凪を俺は呼び止める。
「おい凪。俺たちも自己紹介をしないと」
すると、コバヤシさんとレガーナさんは凪の肩をぐいっとつかんで自分たちに振り向かせる。そして凪の顔をまじまじと見て、
「そうか、キミは凪さんと言うのか」
「凪さんよろしくね。それにしてもコバヤシ」
「うむ。わたしも思った。彼、普通じゃないよ。なんかおかしい」
「やっぱり? そうよね、彼は普通の人じゃないわよね」
顔を見合わせて凪を変人呼ばわりするとは、凪と同じだな。
当の凪は頭をかきながら、頬を赤く染めて、
「いや~。そんな~。やめておくれよ。ぼくを褒めてもなんにも出ないぜ? うへへ」
「凪、おまえさっきのコバヤシさんとレガーナさんと丸っきりおんなじリアクションしてるぞ」
俺がジト目を向けても、凪はまだ照れている。この三人のツボはわからないな。
呆れていると、さっそくコバヤシさんが俺に尋ねてきた。
「あなたは誰だい?」
「教えてくれないかしら」
答えるのは構わないし答えるつもりではいるが、もしよかったら高菜さんに仲介に入ってもらいたかった。会話がかみ合わなそうな予感がヒシヒシと伝わる。
「俺は、明智開です」
「おお! 開さんときたか! サイコーだな」
「そうね! 開さんはサイコーね! 笑顔もカワイイ!」
なにがサイコーなんだ。この人たちのこのテンションはなんなんだ。いろいろとさっぱりわからないぞ。
「それで、あなたは誰だい?」
「お名前は?」
逸美ちゃんも少し戸惑うかと思ったけれど、意外と平気な顔でいつもの穏やかさを崩さない。いつもの微笑みを浮かべながら、
「わたしは密逸美です。よろしくお願いします」
「そうだったのか! 逸美さんか! ナイスだな」
「そうね! 逸美さんはナイスね! 仲良くなれそう」
次のターゲットは鈴ちゃんに移った。コバヤシさんとレガーナさんは鈴ちゃんにぐいぐい近寄り、名前を聞いた。
「さあ」
「どうぞ」
鈴ちゃんは困惑顔で、
「い、いきなりどうぞと言われても……。あ、あたしは、御涼鈴です。よろしくお願いします」
「なんてことだ! 鈴さんだってさ! ハッハッハ」
「ちょっとやめてよコバヤシ~! ウフフ」
「なにがおかしいんですかっ」
赤面してつっこんだあと、鈴ちゃんはぽつりと、「なんかバカにされてる気分です」とつぶやいた。
「まあ、あんまり気にしないほうがいいと思うよ。一応、歓迎はされてるっぽいし」
と、鈴ちゃんに言う。
「はい」
鈴ちゃんが眉を下げてうなずいた。
それにしても。
「うーむ」
と、俺はうなる。
ええと、この人たちに質問してもいいのかな。この人たちがなぜこの飛行船に呼ばれ、どんなことをしている人なのか、そろそろ聞いても構わないだろうか。
「ところで開さん。あなたはどうしてこの船に?」
「ハウルには、特殊な人しか乗れないらしいわよ」
確かにあなたたちは特殊だろうよ。
「ここでは、おかしい人と特殊な人は同じ意味で使われているのかもね」
凪がまた余計なこと言ったが、幸い二人には聞こえていなかったようだ。
そもそも、その質問は俺がコバヤシさんとレガーナさんにしたいんだけれど、聞かれたら仕方ない、答える。
「えっと、俺と逸美ちゃんは、探偵と助手をしているんです。《名探偵》鳴沢千秋の代理として呼ばれました」
「《名探偵》だって!?」
「それはスゴイわー!」
すごく熱心な視線で俺の顔を見つめる。あれ? 俺のことを《名探偵》だって勘違いしちゃったかな?
「俺は《名探偵》じゃありませんよ。ただの探偵です」
俺は訂正を入れた。
「もっと言うと普段は事務所でだらだらして仕事もしない半人前の代理探偵です」
横から凪が口出しするが、「うるさい!」と言って黙らせる。
しかしコバヤシさんとレガーナさんは人の話を聞くつもりは最初から毛頭ないようで、
「開さんは頭が切れるぞ! あれは相当の《名探偵》だ」
「頭が切れた《名探偵》なんて、わたしはじめてみたわ」
と、二人で話し始めてしまった。
うちの所長もやっぱりおかしいけれど、この人たちも相当だな。できる限り早々に会話を切り上げよう。
開の家である明智家と開たち少年探偵団の日常を描いたホームコメディ「明智家と少年探偵団の日常」(https://ncode.syosetu.com/n3688el/)の連載を始めました。よかったら見てくださいね。