第七章1 『ハウルの爆弾』
かくして、この上空で起こったパラノーマルな連続密室殺人が、正確に言うなら密室交換殺人が解決したわけだけれど、よもや俺はあの人の存在を忘れているはずもなかった。
やっぱり、推理は当人である左遠さんだけに対してすべきだったろうか。いや、そうも言っていられない。
犯人である左遠さんの手首を逸美ちゃんが持っていたロープで壁際に拘束していた俺の元へ、俺のこの憂鬱の元凶が颯爽とやってくる。肩を揺らせて一歩二歩と俺へと歩み寄り、
「よお? それで、推理は全部だよな? なあ。てことはよ? いいんだよな? オレは早く、テメーを殴ってやりたいんだけどよ?」
阪槻司はニヤリと笑った。
まったく、喧嘩っ早いな。もう少し待ってくれ。ご丁寧に殴ると宣言してからの暴力になるわけだけれど。
さて。どうするか。
と。
俺がこの状況を切り抜ける方法を考えていると。
突如。
飛行船が揺れた。
機体が大きく傾く。
展望室にして立ち尽くしていた俺たちは、皆が皆、体勢を崩して床に倒れてしまった。悲鳴のような驚嘆のような声も上がる。しっかりと全員の様子を見ていたわけではないので平気な人もいるのかもしれないが、不敵なニヤケ顔をしていた阪槻さんでさえ、まだ立ち上がれずにいた。
また、機体が地面と平行に戻る。
バランスを取り直し、水平飛行に移ったようだ。
徐々に立ち上がる面々。
みんなまだ動揺していて、状況がつかめていないようである。
俺も周りを見ながら立ち上がる。いまのグラつきで、俺はみんなとは少し離れたところまで転がってしまったらしい。
「おや?」
その声は、俺の隣から聞こえた。
いつの間にこんな近くにいたのか、声の主――入江杏さんは、ゆるやかな微笑みを浮かべて俺を見つめている。
「なんですか?」
「はじまったようですよ」
「はじまったって、なにが……」
「んふっ」
張り付けている顔は中学生のようなのに、その端に見えるのは、なんの感情も持たない作り物めいた笑みだった。
「なにが……。ですか。そうですね。端的に言いますと、爆破です」
「爆破?」
「爆弾が仕込んであるんですよ、ハウルには。半径十メートル以内では人間など木端微塵になるくらいの爆破力を誇ります」
「じゃあ、ナウマンゾウは?」と凪が聞く。
「即死です」
ナウマンゾウも!? すごいな。
「じゃあじゃあ、クジラは?」とさらに凪が問う。
「ただじゃ済みません」
ク、クジラまで!? なんて兵器だ。
「もしかして、チンパンジーさえも?」と凪が驚いた顔で言う。
「跡形もないでしょう」
いちいち丁寧に答える入江杏さんと無駄な質問をする凪につっこむ。
「人間といっしょだよ! ったく凪の質問はいつも要領を得ないん……凪!? なんでおまえがここに?」
「ぼくたち相棒は一心不乱だろ?」
「一心同体って言いたいのか?」
「それそれ」
まったく。俺はため息をついた。
ナウマンゾウやクジラというけったいな比喩にはあえてつっこみを入れなかったが、爆弾がある部屋にでもいたら間違いなく死んでしまう殺傷力なのはわかった。なんせ、このハウルが一度の爆発であれほど大きく傾いたのだ。近くにいたらひとたまりもない。
「杏ちゃん、ぼくたちで解除しよう」
「なにを言ってるのですか、凪さん。むろん、わたくしが仕掛けさせていただきました。なので協力はできません」
「キミが仕掛けたなら早く解除してよ~。迷惑な宇宙人だな」
入江杏さんは俺に顔を向けて、
「開さん。彼に説明してあげてください」
「イヤですよっ」
否定するが、凪はジロジロと俺と入江杏さんを交互に見る。
「二人だけで秘密の話~? ずるーい。ぼくにも教えて~」
「ダメだ」ついくせで言ってから言い直す。「じゃなくて、そんな話するか!」
凪が目をキラキラさせてこっちを見てくる。
「うっとうしいからそんな目で見るな! 仕方ない。教えてやるか。そもそも、入江杏さんがハウルに乗り込んだのは、意識しか持たないという《無形寄生体》がいると聞きつけてのことだ。でも、目的達成不可能とみて、どうせわからないなら、その《無形寄生体》をこの飛行船ごと爆破しよう――と考えたんだ」
「なるへそ」と凪。
「はい。開さんのおっしゃる通りです。新生命体というのは厄介なモノですから、そうなると処分が望ましいのです。研究できないのは残念ですが、《無形寄生体》が今回の連続密室殺人を誘発している可能性もあり、危険ですからね。仕方がないのです」
俺は入江杏さんをにらむ。
「滅茶苦茶ですね」
「それは、論理的に、ですか? いえ。あながちそうでもないのです。早期対策としては順当でしょう。これも、当初の予定通りですから。そこでなのですが、あなたにひとつ、提案があります」
「提案?」
「ええ。あなたの素質素養は十分にお見受けしました。もしかしたら、あと少しで《無形寄生体》さえも暴けたかもしれません。わたくしはあなたを、高く評価します。そこで、あなたにはわたくしと共に、ハウルから出ていただきたいのです。いかがでしょう」
なにを言うのかと思えば。
「仮に、俺がうなずけば、他の乗客を見捨てて俺だけが助かるってことですか?」
「そうなります。他の誰が《無形寄生体》か、わかりませんからね。あなたには、わたくしと共にワープしてほしいのです」
「……まったく。わかってるでしょう?」
俺がため息をつくと、凪がうんうんとうなずく。
「開はクールぶっててキザなやつだからね、裏切るに決まってるさ。でも、開がそこまで言うならぼくもキミといっしょにこの飛行船から出てもいいよ」
「俺はそんな提案に応じるか! つーか、簡単に裏切ってるのはおまえだろ!?」
俺は入江杏さんに向き直る。
「そういうことだから、俺たちはあなたとは行けません」
横で「え~? そんな~」とか言ってる凪のほっぺたを指でつまんで引っ張る。
入江杏さんは、ふふっと笑った。
「期待がなかったわけではありません。しかし、そうですか。わたくしはあなたの意見を尊重しますので、無理強いはしません。ちなみに、開さんがいない状態での凪さんにはなんの意味もないので、悪しからず。残念ですが、ここでお別れですね」
逃がすか、と思っても、宇宙人相手に俺がなにかできるとは到底思えない。
凪は入江杏さんの肩をポンと叩く。
「遠慮するなって」
「いえ。結構です」
こいつ、逆に断られてるぞ。まあいいけど。
入江杏さんは半分凪のことを無視したように、俺を見つめて言う。
「あなたたちはきっと爆弾を探すことでしょう。そんなあなたたちに、ヒントを差し上げます。本当はこんなこと、してはいけないんですけどね」
してはいけない? それは、任務外の行為だという意味か? 彼女の個人的意思で、俺にヒントを……?
だが、凪は呆れた顔で、
「杏ちゃん。してはいけないのは、爆破。やれやれ、キミは非常食だね」
「それ言うなら非常識だろ? なんで食べ物になっちゃうんだよ! でもおまえ、たまに的を射たこと言うよな」
俺と凪の会話を楽しそうに聞くと、入江杏さんは言った。
「わたくし、宇宙人ですから。常識は知りません。さて、ヒントです。爆弾は、全部で五つ。一つ目の爆発が先程起きましたから、残るは四つですね。五つ目の大爆発で、この機体はなくなることでしょう。制限時間はいまこの瞬間から十五分。それでは、わたくしは失礼します。さようなら」
次の瞬間。
二回目の爆発が起こった。
そして入江杏は、機体の揺れと同時に消えていた……。