第五章7 『手紙』
しばらくして、304号室。
自分の部屋に戻ってきた俺は、まずお風呂に入った。本当はのんびり湯船につかって身体と頭の緊張をほぐしたいところではあったが、こういうところだとやっぱりシャワーだけになってしまう。
少し熱めのお湯で頭を流し、目を覚め直させる。
さて、シャワーを出た俺は時計を確認した。
現在、二十三時。
このハウルの中は、展望室以外はすべて、夜の七時を境に窓からの光を遮断し、擬似的に夜を作り上げていた。
これじゃ、向こうに着いたら完全に時差ボケになるよな。
一度ベッドに横になる。
本当は一眠りしたいところだが、それは謎がすべて解けたときだ。
身体を反転させる。
ふと、ドアのポストが目に入った。なんだろう。ポストには紙が入っている――ゲストルームにはそれぞれすべての部屋にポストがついていて、ちょうどマンションやアパートのドアポストのようになっている――さっき俺が部屋に戻ったときにはなかったモノだ。
俺は身体を起こし、立ち上がってドアまで行く。
ポストを開けた。
三つ折りの紙だ。手紙か?
俺はその三つ折りの紙を広げた。
『話したいことがあります。零時になったら私の部屋に来てください。有加里』
どうやら手紙で間違いはない。
しかし、わざわざポストに投函する理由はなんだ。それとも、考えたら連絡先はまだ互いに知らなかったし、部屋まで来たはいいが返事がなかったので、書き置きを残したって可能性もある。
ただこの手紙、文字が模範的に過ぎるくらい、キレイだった。特徴がないとでもいうのか、俺の中の有加里ちゃんの印象とは書く文字が違う。
俺は有加里ちゃんからの手紙を見つめ、再びベッドに寝転んだ。
眠れないな……。
まあ眠るつもりはないのだけれど。もしここで眠ってしまったら、溜まっていた疲れもあるし、これより時計の短針が半周するくらいは起きられないだろう――つまり、寝たらそのまま向こうに到着してしまう計算になるわけだ。
ニューヨークに到着する時間は、日本時間では朝の六時になるらしい。
出発が十一時ちょいだったから、考えたらそれまで随分と長いこと遊覧飛行するものだ。普通の旅客機なら十二時間程度になるので、六時間は遅い到着になる。
日本とニューヨークの時差は十三時間。
つまり日本より十三時間遅れてるってことだから、現地時間では夕方の五時から六時頃に着くことになり、体内時計では学校へ行く前の時間に、夕陽が差し込む計算になる。
実は今回、俺にとって初めての海外旅行だった。
この日のためにパスポートも作りに行ったし、ガイドブックも軽くだが読んできた。
いろいろと観光はしたかったけれど、本来の目的は品森社長主催の披露宴だし(重大発表を兼ねたパーティーらしい)、遊んでいる時間はあまりなさそうだ。それでも、逸美ちゃんと計画してるスポットもあるので、それは楽しみだった。
しかし。
品森社長が死んでしまった。
それがよりにもよって密室殺人である。
まあ、ここでこれ以上頭を悩ませていても仕方ない、元々、シャワーを浴びたら逸美ちゃんの部屋に行く予定だったのだ。
俺は自分の部屋――304号室を出ることにした。
そして、逸美ちゃんの部屋へ行く。
逸美ちゃんはノックして呼びかけるとすぐにドアを開けてくれた。
「開くんいらっしゃい。さ、入って」
シャワーに入ったばかりだからなのか、逸美ちゃんの部屋はシャンプーの匂いがして、もう部屋に入ってよかったのかとドギマギしてしまう。そんなことを思いつつ部屋を見てみると、ベッドの上には見覚えのあるモノがあった――三つ折りの紙を広げたあの手紙だ。
俺の部屋にも来た、有加里ちゃんからの手紙と同じモノか?
そんな俺の視線にもいち早く気づいた逸美ちゃんは言う。
「なんかね。有加里ちゃんから手紙が来ていたみたいなの」
つまり、逸美ちゃんも有加里ちゃんに直接手渡されたわけではないのか。
「逸美ちゃん。実は俺もそんな手紙もらったんだ」
「そうなの? この手紙には、話したいことがあるから零時に有加里ちゃんの部屋に来てほしいってあったけど、開くんのほうは?」
「俺も。内容はいっしょだと思う」
なるほど。これはただの呼び出しではなさそうだ。
「おそらく、俺と逸美ちゃんだけに話しておきたいことがあるのか、ないしは、乗客を集めて話したいことでもあるのか。いずれにせよ、いま聞きに行くことでもないかな」
「そうね。とりあえず、それまではここで待ってよっか」
うーん……。なんか嫌な予感がするんだよな。
「逸美ちゃん、やっぱり臭わない?」
「してないわよ」
と、慌ててお尻を押さえる逸美ちゃん。
「そっちじゃねーよ」
「え~! 違うの? わたしシャワー浴びたばっかりなのに変なにおいしてる? 大丈夫?」
今度はくっついてきて、しまいには俺を抱きしめる。顔を胸にうずめる形になって、俺のほうこそ慌てて、逸美ちゃんから離れた。
「大丈夫だって! 石鹸のにおいだから」
「よかった~。開くんの勘違いみたいで」
「俺が言ったのは……て、もういいや」
これ以上おバカなやり取りは疲れるし、どっちにしろ零時になればわかるのだ。
「じゃあ、まずはいっしょにあの密室について考えない?」
「うん。あとは、最後の詰めだけだしね」
かくして、待ちながら俺たちは推理を展開した。
有加里ちゃんの手紙には、零時に来てくれとあった。
急ぎの用事なら直接こちらになにか言ってくるが、時間指定があるということはその時間までに準備することがあるのだろう、そうでなくても約束の時間に早く行き過ぎるのも相手の都合からしてよくない場合が多いので、その後、俺と逸美ちゃんは五分前になってようやく、303号室――逸美ちゃんの部屋を出た。
もし他の乗客も有加里ちゃんに呼ばれているとすれば、有加里ちゃんの部屋へ行く途中で出くわすことになるだろう。
「でも、誰もいないね~」
「だね」
コバヤシさんとレガーナさん以外に同じ階の人間がいないってのもあるけれど、階段を下りても誰にも会えていない。
有加里ちゃんの部屋は104号室。
俺と逸美ちゃんが一階まで下りると、通路の先には鈴ちゃんと左遠さんと入江杏さんがいた。他のメンツはいないようだ。
まだそろっていないのか、はたまた呼ばれたのがこの五人だけだったのか。後者だとしたら、なんのメンバーだ? 有加里ちゃんを含め、ディナー時に顔を合わせたメンバーか? だったら凪が足りないしな。
なんて考えていると、通路の先の部屋のドアが開いた。部屋数まできっちり確認していないが、あれはおそらく109号室――高菜さんの部屋のドアだ。
高菜さんより一足先に有加里ちゃんの部屋の前まで来た俺に、
「おお、ボウズも来たか。子供は寝てる時間だろうに、偉いじゃねえか」
と左遠さんが言った。
フン。誰が寝てる時間だ。むしろ今日はいろいろと立て込んでいるから寝られそうにないのだ。
俺が知らん顔を決め込むつもりでいると、代わりに逸美ちゃんがニコニコと応対する。
「開くんは偉いんです。ね、開くん」
む。逸美ちゃんまでそんなことを言うか。頑張ったときに逸美ちゃんが褒めてくれるとうれしいけれど、いまのはなんだかただの子供扱いならぬ弟扱い(それもダダ甘)だ。しかもちょっと自慢げだ。
こそっと鈴ちゃんが俺に耳打ちする。
「気にしちゃダメですよ、開さん。あたしもさっき同じこと言われましたから」
「そっか」
ちょっと安堵して、俺は中学生三年生の鈴ちゃんと同じレベルに扱われているのかと思い複雑な気持ちになる。
ちょうどいま到着した高菜さんに逸美ちゃんが尋ねた。
「高菜さんのところにも、手紙が来たんですか?」
高菜さんは落ち着いた声で、
「ええ。そうですね。というと、みなさんもそうなのでしょうか」
まさしく。
逸美ちゃんがにっこりと手紙を広げて見せて、入江杏さんは持ち前の中学生のような顔で微笑む。
入江杏さんはこう聞いた。
「いまハウルにいる人間全員に手紙が来ていると考えたのですが、みなさんはどう思われます?」
みなさんは、と聞いておきながら俺の目を見ているので彼女は俺に聞いているのだろう。答える。
「たぶんそうだと思います。他の人は、もう眠ってしまったか、ポストを確認していなくて気づかなかったか。でも、こうも考えられます。いっしょにディナーを食べたメンバーに用があった。ちょうどここにいるのがそのメンバーですからね。ただ、どうやら違うみたいではありますけれど」
視界に、久我笹さんの姿が入った。俺がしかと見るまでもなく、あのすべてを揶揄するようなお気楽な声がこちらに向かって、
「ウソ? みなさん揃い踏みですね。ひゃあ。こんな通路でたむろするとかおっかしいなあ。でも楽しいですね。ってあれ? 阪槻さんが見えませんね。全員はいない? ウソ? 選ばれしゲスト? なんて。そんなことでもなさそうですね。人数多過ぎ。ね。開さん?」
俺に振るな。
「そうですね。やっぱり、久我笹さんにも手紙が?」
「そうです。手紙です。手紙といえばちょっと聞いてくださいよ。たまに阪槻さんにもファンレターが届くんですよ。ひゃはっ。おかしいですよね。おれがついてないとまともな経営もできない若社長なのに。若社長ってだけで雑誌に載ったり注目されることもあるからですね。顔は強面でも身長が高いのがよかったのかもですね。雑誌に性格については書かれませんし。ウソ? 誰も笑ってない? でも手紙ですよ。手紙。有加里さんからね」
俺は逸美ちゃんに向き直る。
「いまの時間は?」
「ちょうど、零時よ」
時間になったしそろそろドアをノックしてもいいだろうか。
そう思ったとき。
廊下の向こうから凪がこちらに歩いてくるのが見えた。




