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第五章5   『補い』

「開くん、来ちゃった。おしゃべりしたいかな、なんて。いいかな?」

 有加里ちゃんの大きな瞳で見つめられると断りにくいんだよな。

「うん。どうぞ」

 俺は有加里ちゃんを部屋に入れてやった。

 おしゃべりっていうと、特に目的のある会話ではなさそうだ。

「ありがとう。お話ししたいこと、たくさんあるんじゃないかな」

「そっか。自由に座っていいよ」

「はい! 了解かなっ」

 他人との会話において、自分と相手に共通点があるとだいぶ話しやすくなるのは言うまでもない。

 たとえば、年齢。

 同級生とかもそうだ。何年生のときになにがあったという話も、ちょうど同じ時期に同じイベントや流行があったりするので、会話の種を探しやすいのだ。

 その点、有加里ちゃんとは話しやすかった。

 いつなにがあったとかそんな話をするだけで、他の乗客より心の距離が近く感じた。

 まあ、思い出話をするだけなら幼なじみでもある逸美ちゃんとすればいくらでも話すこともあるんだけれど、それでも有加里ちゃんとの会話は特別楽しかった。

 そして、いまの話題は高校についてだ。

「有加里ちゃんの高校は、音楽科がある学校だったりする?」

「普通じゃないかな。音楽科はないし、特別進学科があって、情報科と体育科があるくらい。だから普通の私立って感じの学校じゃないかな」

「へえ。じゃあ普通科?」

「うん。もうちょっと勉強ができれば特進クラスにも入れたけど、一歩及ばずの有加里ちゃんなんだよ。でも、音楽ばっかりの割には勉強もしてるほうじゃないかな」

「バイオリニストとしても頑張っていて、その上学校の勉強もしっかりしてるっていうのは、尊敬できるな。成績云々じゃなしに、勉強する姿勢が偉いと思う」

 そう言うと有加里ちゃんは照れたけど、すぐにおどけたような明るい顔を取り繕って、

「もっと褒めてー。あたし勉強も頑張ってるんだよー。それにそれに。バイオリンはもっと頑張ってるんじゃないかな」

「バイオリンは毎日どのくらい練習してるの?」

「どれくらいかなぁ。うーん。考えて練習してないから時間は計ってないけど、でも、少ない日でも一日に四時間は弾いてるんじゃないかな。学校から帰ってから、家で弾ける時間は限られてるしね。でも、お休みの日は一日中でも弾いてるんじゃないかな」

「少なくとも四時間か。休みの日は一日中。大変だね」

 有加里ちゃんは小さく微笑みを浮かべ、首を横に振った。

「ううん。楽しいから、できるんじゃないかな。だからいくらでも努力できるし、続けられる。音が聞こえないあたしにも、音があるってことを目だけじゃなくて身体で教えてくれるのがバイオリンなんだ」

 音が聞こえない。

 本来ならそれだけで、音とも音楽とも無縁な彼女。

 けれど、彼女には音が見える。

 だから音を身体で感じることも、彼女には特別なのだ。目だけで演奏するんじゃなく、身体全体を使って演奏しているのだ。

「あたしにとってのバイオリンは、補いなの。耳が聞こえなくて母親からも見放されたあたしが、自分を補える特別――それがバイオリン」

「……」

 母親から見放された。

 そんなことない。そう言ってやりたくても、事情も知らない俺が言えることはなにもない。有加里ちゃんのせいじゃないよ。そう言いたくても、それは言えないセリフだった。

 俺はそれでも、ぽつりとつぶやいた。

「その補いって、母親との思い出とか?」

「!」

 有加里ちゃんは、ハッとして俺を見る。

 そしてまたおどけた。

「あれ? あたし変なこと言っちゃってたかな? あはっ。あたしちょっと妄想の話をしてたかもしれないかな」

 本当は、他人の事情に首を突っ込まないのが俺の基本スタンスなんだけど、こんな有加里ちゃんを放っておくのは、後ろめたかった。

「有加里ちゃん。有加里ちゃんは、お母さんを見返すために弾いてるの? それとも、自分を周りに認めてもらうため? 耳が聞こえない自分を、受け入れてもらうため?」

 有加里ちゃんはおどけた笑顔を引っ込めた。

 少し悲しそうな顔に見える。

 ……まったく。おどけてばっかで、なにか隠したような笑顔をするから口を挟んでしまうのだ。誰がなにしてようと、いつもなら見過ごすのに。

 すると、有加里ちゃんは言った。

「あたしの音楽が認められないと、あたしが認めてもらえないんだよ? それって、かなりキツイ。あたしは耳が聞こえなくて、お母さんに見放される前も、見放された後も、お父さんはあたしに関心があんまりなかった。でも、バイオリンを弾くうちに、お父さんがあたしを見てくれるようになった。認めてもらえるようになった。あたしの価値はバイオリンなの。そうなんだよ。あたしは案外、間違ったことは言ってないんじゃないかな?」

 有加里ちゃんは笑顔を作って俺を見た。

 俺は有加里ちゃんの瞳を捉える。

「確かに。間違ってはないと思うよ。バイオリンを弾けばたくさんの人に認めてもらえる。それは間違ってない。でも、そうじゃなくても認めてくれる人はいるよ。そんな人は一人や二人だけでもいいと思う。バイオリンを弾かなくたって、有加里ちゃんを認めてくれる人はいるよ」

「……そんな人、あたし知らないかな」

「俺は、バイオリニストじゃない有加里ちゃんを、ただの同級生の有加里ちゃんを認められるよ。いや、もう認めてるよ。もう友達じゃん」

 勢いで言ってしまった。

 まるで思春期の少女のお悩みを解決する青春ドラマみたいなセリフだな。なに言ってんだと思いながら、俺は肩の力を抜いた。

 有加里ちゃんが固まったまま俺を見ている。やがて言った。

「開くん。あたし、そんなこと言ってもらったのは、初めてなんだよ。だって、音が聞こえないことも、音が見えることも、知った人はあたしから離れて行っちゃったから、バイオリンを弾いてないと見てももらえなかったから。開くんみたいに、全部わかって認めてくれた人は、いないんだよ」

 なんだかちょっと泣きそうな雰囲気。

 泣かれたらどうしよう。さらに誰か訪ねてきた日には、俺が同級生の女の子を泣かせたみたいになってしまう。

 しかし俺の不安も杞憂でしかなかったようだ。

 有加里ちゃんはまたおどけた笑みを見せて、

「開くんっ。さっきの言葉、すっごいうれしい。あたしは元気がもらえたんじゃないかなっ」

ワンサイドアップの髪をぴょこっと跳ねさせ、有加里ちゃんは立ち上がった。

「ねえ。元気が出たところで。あたしのバイオリンを聞いてもらえるかな?」


 有加里ちゃんとブースへ行くことになった俺だけど、その前に、飲み物を取りにキッチンに行くことにした。

「そういうことなら、あたしは先に行ってるね! 待ちながら練習してるんじゃないかなっ」

「うん、すぐに行く」

 途中で別れてキッチンに向かう。

 実際、喉が渇いたってだけじゃなく、なにか頭がスッキリするものが欲しかったのだ。炭酸飲料でもいただこうかな。

 道すがら、誰にも会うことなく、キッチンに辿り着いた。

 ん?

 冷蔵庫を探して周囲を見回すと、目的の冷蔵庫と同時に、俺はある人を発見した。

「なにしてるんですか? 左遠さん」

 できれば左遠さんが去ってからゆっくり飲み物を選びたかったが、ちょっとしゃべるくらいはいいかと思い、声をかけてみた。

 左遠さんは勢いよくバッと振り返って、それから俺だと気づいてつまらなそうに言った。

「なんだボウズ。いたのか」

「そこ、冷蔵庫ですよね?」

「ああ、そうだな」

「左遠さんもなにか飲み物を?」

「まあな。ちょっと喉が渇いちまってな。酒でもねえかと思ったんだがな」

 ……って。まったく。なにを見間違えているんだか。

「左遠さん、それトマトジュースですよ」

「は? おお、ホントだな。ワインじゃなくてトマトジュースだったか」

「そもそも。お酒をペットボトルに入れるなんて、聞いたこともないです」

「ボウズ。可愛くねえこと言うなあ」

 余計なお世話だ。可愛くなくて結構。それに俺はボウズじゃない。

 俺が顔をそっぽ向けると、左遠さんは俺になにやら差し出した。

「ほらよ。ボウズにはこれだろ」

 む。

 左遠さんが俺に差し出したのは、よくよく見てみればヤクルトだった。どおりでなんか小さいと思った。俺は伸ばしかけた手の動きを止め、一歩踏み込んで、冷蔵庫の中へと伸ばす。そしてサイダーを手に取った。

「それじゃ、俺は失礼しますね」

「おいおい。無視かよ。やっぱ子供は炭酸飲料が好きか。おれもたまには炭酸でも飲むかな」

 そう言って、帰ろうとした俺と同じ物を手に、俺の後についてくるように左遠さんもキッチンを出た。

「なあボウズ。密室は解けたか?」

「まだです。もう少し詰める必要があります」

「なるほどな。進捗度で言うと、あと二手で王手ってところか。なあ?」

「さあ。どうでしょう」

 完璧でない推理を話す趣味はないので、俺は話題を変える。

「そういえば左遠さん。品森社長とはどういう関係ですか?」

「どういうって言ってもな。友人ってほどの付き合いじゃないが、強いて言うなら、コネクションだな。パイプだ。都合のいい、互いにとっての利益を作るための駒だな。互いに互いを駒だと思ってんだろうよ」

「駒ですか」

「ああ。だから、強いて言うならコネクションなんだ」

 少なくとも、左遠さんは品森社長をそう思ってるんだろうな。社長のほうはどう思っているのか知らないが、悪く思っているようには見えない。ぶっちゃけた話、コネクションってのは適切な表現なんだろう。利益的な関係は大切だ。

 左遠さんがまたなにか話すのを聞きながら、俺は早々に左遠さんと別れ、まっすぐブースを目指した。

 歩きながら、ペットボトルのフタを開け、一口飲む。

 シュワっとして、頭と口の中の切り替えにはちょうどいいように思った。このサイダー、後味も胸がすくようだ。

 そして俺は、ブースのドアを開けた。

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