第一章2 『最後の搭乗客』
降りてきた人は、おじさんだった。
逸美ちゃんが小さく、「あ、品森社長」と漏らした。
あらかじめ調べている逸美ちゃんが言うんだから、彼が品森社長で間違いないだろう。しかしタイミングがいいな。まるで俺たちが来るのを見ていたみたいなタイミングのよさだ。
「あれがそうか~」
と、凪がのんきに頭の後ろで手を組んでつぶやく。
品森社長は極道の長のような、ゾッとする凄味を持った人だった。いかつい四角い顔で、グリーンのスーツとそれに映えるオレンジのネクタイは、極道というよりマフィアに近い。話と違うじゃないか。どこが人当たりがいいだ。
しかしそんな品森社長だけれど、無駄な動作なくまっすぐに俺たちに気づくと――それまでとは打って変わって、鋭さが消え失せ、顔のシワを寄せてニッコリと明るい笑みを浮かべた。
「やあ。どうも。キミたちで最後かな。待っていたよ」
人好きのする口調とトーンだ。前言撤回、確かに凪の言う通りの人かもしれない。タイミングよく俺たちの前に現れた品森社長は、階段を下り切って、足を止めた。
「今日は来てくれてありがとう。会えて嬉しいよ。歓迎する」
品森轟。
社長であり主催者である品森社長は、人当たりのいい空気がある。確か、今年で六十歳って逸美ちゃんが言ってたからもう還暦か。恰幅のよい体格で身長は(俺より四、五センチ高いくらいだから)一七二、三センチといったところか。どっしりとした重厚な貫禄と軽快な親しみやすさが共存している。なるほどこれだけ大きなグループを背負って立つ人間は、俺みたいな高校生相手にもしっかりとした対応をしてくれるものなのかと感心した。
「初めまして。今日はお招きいただきありがとうございます」
逸美ちゃんがそう言って頭を下げるのに合わせて、俺も頭を下げた。
「いや~。今日は若いお客さんがこんなにいるなんて、楽しい気分になるな。ハッハッハ」
「あっはっは」
と、凪もいっしょになって笑い、真顔に戻って品森社長を見る。
「で、おじさん誰?」
ズコーっとこの場にいる全員がこける。
じゃあさっきの「あれがそうか~」はなにに対してだったんだよ、と俺は内心でつっこんだ。
品森社長は高級そうなハンカチで額の汗をぬぐい、
「確かに自己紹介がまだだったね。わたしは品森轟。品森グループの社長をしている。よろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします」
と、凪が敬礼した。
「キミたちは、密逸美さんと明智開くんだよね?」
順番に俺と逸美ちゃんを見て、まるで自分の知っている顔と照らし合わせるように品森社長は言った。もしやこの人、俺たちみたいな代理ゲストの顔まで覚えているのだろうか。
俺の横で、逸美ちゃんから挨拶する。
「密逸美です。今日はわたしたちの探偵事務所の所長である、鳴沢千秋の代理として参りました。お招きに預かり、ありがとうございます」
「いやいや。いいんだよ。そんなかたい挨拶じゃなくて、わたしにはこんにちはくらいで。《名探偵》には昔、お世話になったからね。確か、《名探偵》は先にニューヨークで待っているんだったかな?」
「はい。本来なら、わたしたちが来るべきところではなかったのかもしれませんけれど、お誘いいただき嬉しいです」
「うんうん。いいんだよ。よくできた助手さんだね。あの変わり者の《名探偵》を支える優秀な助手さんだ」
「いいえ。そんなことはありません」
「わたしの前では、謙遜しなくていいんだよ。綺麗な上に物腰も穏やかで、うちの秘書にほしいくらいだ」
やらないよ。逸美ちゃんはうちの助手なんだ。
さて、次は俺の番だ。
「明智開です。お招きくださりありがとうございます」
言うべきことはもう逸美ちゃんが言ったので、俺は短くかたくなりすぎないように挨拶した。
「どういたしまして。わたしも来てくれてうれしいよ。うん。キミが明智開くんか。聡明そうな顔だ。いやあ、開くんは美少年だし、綺麗な整った顔をしているから、逸美さんと並んでいると、姉弟みたいに見える」
と、褒めている調子の品森社長である。
でも、俺は少し不満だった。確かに逸美ちゃんは大人っぽくて綺麗なお姉さんって感じだし、俺はまだそれほど大人な感じじゃないかもしれないけれど、似てはない。似ていなければ、他の関係性のがそれっぽいじゃないか、まったく。
しかし聞いていた逸美ちゃんが満足そうにうなずき俺をぎゅっと抱きしめる。
「わたしは開くんのお姉ちゃんなんです。ね、開くん?」
ここで首肯するのもあれだったから、「探偵と助手だよ」とだけ言う。
「それで、キミたちは誰かな?」
品森社長に尋ねられて、凪が飄々と答える。
「ぼくは開の大親友であり唯一無二の相棒さ。名前は柳屋凪。情報屋。おんなじ少年探偵団のメンバーでもあるんだ。ちなみにそっちにいる金髪ツインテールの子が御涼鈴。鈴ちゃんは雑用係だよ」
「先輩、そんな説明はいいから敬語を使ってください」
鈴ちゃんに小声で注意されるが、品森社長は笑顔で、
「いいんだよ。気楽に接してくれたまえ」
「おう」
「最低限はわきまえろ」
と、俺は凪の頭をげんこつでぐりぐりする。
「とにかく楽しんでいってくれたまえ」
品森社長は笑顔でそう言った。
そして、俺は品森社長に問いを向けた。
「あの、僕らが最後っておっしゃってましたけれど、他のみなさんはもう中にいらっしゃるんですか?」
「もう来ているよ。おそらく、自分の部屋にいる人が大半じゃないかな。それぞれ個室が用意されているから、このあと案内するよ」
「ありがとうございます」
へえ。個室か。まるで豪華客船みたいだ。
「ところで品森社長」
「なんだい? 開くん」
俺はいつの間にかスッと品森社長の後ろに控えていた秘書らしき女の人に視線を移した。
「彼女は……」
品森社長は彼女を見ずに俺の目を見て、
「そうだったね。藤堂くん。ご挨拶だ」
「はい」
藤堂と呼ばれた女性は、低めの落ち着いた声で答えた。
「品森の秘書を務めています、藤堂高菜です。わたしがあなた方をご案内します」
藤堂高菜。
横に控える藤堂さんは、背が品森社長より高い(一七六センチくらいあるんじゃないだろうか)。姫カットの黒く長い髪、クールな瞳には有能さが浮かび、感情をあまり出すタイプでないように見える。年は二十代前半かな。まっすぐ伸びた背筋がより長身に見せ、キリッとした印象だった。なんというか、カッコイイ女性って感じだ。
「藤堂くんはわたしの秘書になったばかりなんだが、とても優秀なんだ。まだここに来てひと月も経ってないんじゃないかい?」
「ええ。三週間になります」
藤堂さんはいかにも有能そうに答える。
「いやあ、いい秘書を持ったものだよ、わたしは。ハッハッハ。いつも助かっているよ、藤堂くん」
「いやあ、それほどでも」
と、凪が照れる。
「おまえじゃない」
俺がつっこんでやったが、藤堂さんは凪を冷めた目で見るだけだ。
しかし品森社長は、社員(部下)に対しても常に労いの言葉を表す人のようだ。
社長は思い出したように人差し指を立て、
「そうだ藤堂くん。このあと、昼食は十二時からだったね?」
「はい。変更などございますか?」
「考えたら、四人に船内を案内したら、ゆっくり休む時間がなくなってしまうんじゃないかと思ってね。だから、三十分繰り下げてくれないか」
「かしこまりました。彼にはそう伝えておきます」
「頼んだよ」
彼、というと、食事の準備をする料理人のことだろうか。まあ、この飛行船に乗っていれば、そのうちお目にかかるだろう。
品森社長はニンマリというほどシワを寄せて、
「ということで。逸美さん、開くん、凪くん、鈴ちゃん。キミたちにはぜひ一度、船内を見ていってほしい。藤堂くんに船内を案内してもらってくれ」
目を輝かせながら言った。
この「ハウル=フォレスィング号」は品森社長の自慢の船だから、いろいろと見せびらかしたいんだろう。こういう子供っぽいくらいの明るさも、人を惹きつけるポイントなのかな。
「はい。わかりました」
俺は藤堂さんに向き直って、
「よろしくお願いします」
「お願いします」
逸美ちゃんも続けて言うと、藤堂さんは「はい」と短く答えた。
一見クールで凛然としている藤堂さんだが、爽やかな白いスーツの色味が緩衝材になって、冷たいという印象になっていないように思う。改めて、ちょっと一度ゆっくり話をしてみたいな。
「開ちゃーん」
品森社長と藤堂高菜には聞こえないような声で、凪がジッと俺の目を見る。物言いたげな顔だ。
「ちょっと藤堂くんのこと見過ぎじゃない? もう。開ちゃんはカッコイイ年上のお姉さんに弱いんだから」
「別に、俺は見てなかったよ」
見てたかもしれないけれど。
「つーか、慣れ慣れしく藤堂くんとか呼んでんじゃねーよ」
「いえ。構いませんが」
げっ。本人に言われてしまった。小声で話してたのに聞かれてしまったか。
「だってさ」
凪に手を向けられるが、俺はそっぽを向てフンと鼻を鳴らす。
「どうかしたかい?」
品森社長に聞かれて、俺はかぶりを振った。
「いいえ。なんでもありません」
「そうかい。いやあ、今回は楽しい空の旅になりそうだ。おもしろいゲストも来てくれたことだしね」
おもしろいゲスト。それって誰のことだろう。催し物もあるようだし楽しみだ。
「あ、そうそう。開くん、キミと同い年の女の子がこの飛行船には乗っている。年もいっしょだし、彼女とは話も合うだろう。仲良くしてやってくれ」
「はい」
へえ。俺と同い年の子もいるのか。
と、ここで、それまでずっと黙って俺たちの会話を見守っていた男が口を開いた。
「それでは、これで全員そろいましたので、わたしから各方面へ連絡を入れておきます」
俺や逸美ちゃん、藤堂さんらを見回して、
「みなさん、お気をつけて」
スーツの男性は軽く会釈して連絡室なんかがあると思われる建物のほうへと去って行った。あの人は最終確認役だったのかな。この船には乗らないみたいだ。
そして。
搭乗口に残された俺たちは、ようやく「ハウル=フォレスィング号」の中へと入る。
「逸美さん、開さん、凪さん、鈴さん。ご案内します」
藤堂さんの案内で俺たちは彼女の後について行き、品森社長が最後尾から搭乗口の階段を上る。
上り切ったところで、藤堂さんが足を止めた。それに伴って俺や逸美ちゃん、それに凪と鈴ちゃん、品森社長も足を止める。
「さあ」
と、品森社長が俺の横に来て言う。
「まもなく離陸だ。一応アナウンスがあるからわかると思うが、この大きさの飛行船だ、揺れも気づかないほど小さい。イスに座ってシートベルトをする必要もないから、もう船内を見て回るといい。詳しくは藤堂くんに聞いてくれ」
「わかりました」
社長は向かって左手を指差し、
「わたしはこっちだから、昼食のときにまた会おう」
「昼食がなにか楽しみだね」
と、品森社長に話しかけながら、凪は品森社長の横に並んだ。
「待て待て。おまえはこっちだ!」
凪の首根っこを掴んで、品森社長に会釈した。
そして。
「それでは――」
品森轟社長は、シワを寄せて微笑む。
「よい旅を」
藤堂高菜イラスト