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第四章7   『存在そのものが嘘』

 凪は階段前まで走って来て、俺たちに気づく。

「あ、開じゃないか」

「なんでおまえがここに?」

「ぼくはキミのところの所長さんに呼ばれて来たって言っただろ?」

「そういうことじゃねーよ!」

「じゃあどういうこと?」

 と、凪にしょうゆを渡される。俺はそれを顔の横に持っていき満面の笑みを浮かべて、

「しょうゆうこと! じゃなーい!」

 地団太を踏み、凪にしょうゆを突き返す。

「おまえがここにいるのはどう考えても物理的に不可能なんだっ」

「ぼくいま忙しいから。また今度構ってあげるね。じゃ」

「質問に答えろ~!」

 俺の言葉など無視で凪はさっさと走って行ってしまった。逸美ちゃんはいつも通りのゆるい笑顔で、

「さっき鈴ちゃんが探してたわよ~」

「おう」

 それだけ答えてランニングペースで階段を駆け上がる凪。

「えっほ、えっほ。あー忙し忙し」

 そんな飄々とした凪を見ながら俺はジト目になる。

「で、なにやってんだ? あいつ」

 対して、高菜さんは唖然としていた。

「さっき上の階の入江杏さんの部屋に入ったのにどうして……」

 その疑問はもっともだ。それを気にしてない逸美ちゃんのほうが変なのだ。

 物理的に無理なはずなのにどうして凪がいるんだ。確かに、入江杏さんの部屋に入っても一瞬で出て向こうの階段を降りてこっちに走ってくれば不可能ではないかもしれないけど。

「柳屋凪、あいつはいったい何者なんだ……?」

 ぽつりと声を漏らし呆然としてる高菜さんとジト目の俺に、逸美ちゃんが呼びかけた。

「凪くんも頑張ってるし、わたしたちも行きましょう~!」

 ハッとして振り返り、高菜さんは言った。

「そうでした。次は阪槻さんです」

 やっと来たか。

 俺は大きくため息をついた。

 凪も(なにをだかわからないけど)頑張ってることだし、俺たちも事情聴取だ。


 101号室――阪槻司の部屋。

 この部屋を観察する。けれど、特におかしな点はないように思った。嘘が嫌いなだけあって、シンプルな構造が好きなのかもしれない。目に見えるモノでは、食べた食器がテーブルにあるくらいだ。ただ、床にピザかパスタのソースをこぼしたような跡があった。阪槻さんが食べ物を粗末にしたのか久我笹さんがこぼしたか、てところか。

 窓際の椅子に座って、阪槻さんは不機嫌そうに言った。

「テメーが探偵なんだよな? なら仕方ねえ。答えるぜ。まあ要するに、知りたいのはオレのアリバイだろ? 教えてやる。ねえよ。んなもんはどこにもねえ。久我笹がオレと飯食っただけだ。てことはなんだ? オレは犯人有力候補にでもなっちまうのか? なあ?」

 そう言いたいけど、実際は違う。

「いいえ。みなさん、むしろアリバイがしっかりされてない方がほとんどですから。特別阪槻さんが、ということはありません」

 いやむしろ。

 阪槻さんなら品森社長でさえ殴り殺しそうだ。ナイフなんてわざわざ持ち出さない。気に食わなかったら気の済むまで殴るだろう。だが、そう見せかけて実は狡猾かつ冷静に頭も回って……ということもあるから、わからないが。

「そうか。まあオレはどっちでもいいけどよ」

「えっと。久我笹さんがやってきてお食事をした時間と久我笹さんが自室に戻られたを教えていただけますか? ある程度で構いません」

「は? んなもん、一時から三時のあいだに決まってんだろ。細かい時間なんざ見てねえよ。そういうのは久我笹のヤツに聞け」

「そうですか。わかりました」

「しっかし、テメーよ? 密室だろ? 品森さんの自殺でしたとか言うんじゃねえよな? それともあれか? マッドカッターが現れた、とかも言わねえよな?」

「まさか。他殺であることは見て取れます。ですから、この船にいる誰かがやったことは確実です」

「ほう。そうか」

 しかし阪槻さんもマッドカッターの噂を知っていたのか。どうせ、コバヤシさんとレガーナさんにでも聞いた久我笹さんが阪槻さんに話したんだろうけれど。

 さて。

 とりあえず、阪槻さんはこんなもんでいいだろう。

「ありがとうございました。それでは失礼します」

 俺が部屋を出ようときびすを返すと、それを呼び止める声がかかった。

 もちろん相手は阪槻さんだ。

「よお? ちょっと待てよ」

 なんだよ。帰らせろよ。

 俺は振り返って、

「はい。なんですか?」

「なんですかじゃねえよ。ねえよな? なあおい。テメーよ? オレが嘘が嫌いなことは知ってるよな? 久我笹が言ってたもんな?」

「はい」

 それがどうした。だから俺は言葉を選んで嘘はつかないようにしていた。落ち度はないはずだ。

 けれど、阪槻さんが言ったのは思いもよらないことだった。

「テメーの相棒はオレにどんな嘘をついたよ?」

「なにも嘘はついてません! て、相棒ってなんですか!?」

「あのクソガキ柳屋凪だよ」

「凪!? な、凪がなにかしました?」

 失礼なことならなんでもしそうだけど……。

 阪槻さんは恐ろしくにらみを利かせて、

「しゃべっただけだ」

「なんだ。そうですか」

「なのにだ。なのによ? なんでずっと嘘なんだよあのクソガキは。嘘つくたびちっとばっかし殴るだけで我慢してたけどよ、アイツはそもそも、存在そのものが嘘なんだよ。どんだけ嘘つきなんだ? アイツはよ? ここまでの嘘つきは見たことねえぞ」

 まったく。だから食堂でも俺と凪を睨んだのか。

 いや。それより、存在そのものが嘘って、どんなクレームだよ。俺にはどうにもしようがないぞ。凪に言ってくれ。

「あの、それって俺には関係ないですよね?」

「なんでだ? ア? テメーの相棒が散々テメーのことを言ってたが、悪いのはテメーもじゃねーか」

 あいつ~! 凪のやつ、いったいなにをしゃべったんだ! なにをどうしゃべったらそうなるんだ!

「きっと誤解ですよ。それでは」

 俺が帰ろうとくるりと背を向けると、阪槻さんは机をバンと叩いた。

 ビクッと俺が固まると、逸美ちゃんが俺をかばうように抱きついた。

「なんですか? この子はなんにも悪くないんです。とってもいい子なんです」

「逸美ちゃん」

「大丈夫よ。わたしが守るからね」

「テメーらの仲良しこよしのシーンに水を差すようだが、まだ帰さねーぞ」

 阪槻さんはそんな逸美ちゃんと俺に言い放った。俺は振り返って、

「な、仲良しこよしとかじゃないですよっ。恥ずかしいな、もうっ。ハッ」

 俺は気づいた。

 阪槻さんの顔が変わったことに。

「テメー、いま嘘ついたな? 仲良しこよしじゃないだ? ツンデレだろうと関係ねえ、オレは嘘が大っ嫌いなんだよ」

 ひえ~! 細かいな。そんなところまで嘘発見レーダーは感知するのかよ。

「べ、別にツンデレのつもりじゃ……」

 阪槻さんは俺に向かって一歩踏み出す。

「なあおい。また嘘ついたな?」

 しまった。これ以上しゃべると墓穴を掘る。

「オレに嘘つくなって言ったよな?」

 そしてまた一歩近づく。

 ちょっと待てよ。逃げ切れるか?

 いや、ここで逃げても追いかけてきそうだ。短距離には自信があるけれど、船内は狭いし、まして、ここに逸美ちゃんを残すわけにはいかない。

「一つ。オレに嘘つくの禁止」

 距離がまた一歩詰まる。

「一つ。オレの前で嘘つくの禁止」

 俺は動きやすいように、爪先に重心を移動した。

「一つ。嘘つく奴禁止」

 そして。

 阪槻さんは固く握った拳を振り上げた。

 と。

 ここで。

 ドアが開いた。それも外から。

 そこから顔を出したのは、久我笹さんだった。

「どうもッス。阪槻さん」

 言われて、阪槻さんの拳は止まった。まさにいまから殴りかかる寸前、拳を止めて久我笹さんに目を向けた。

「よお。久我笹じゃねえか」

 思ってはいたが、阪槻さんは割と常に頭は回ってるんだよな。回路はおかしいけれど。

 久我笹さんの薄い笑みが驚愕に変わる。

「ひゃあ! ウソ? ちょっとなにしてんスか阪槻さん! 開さんを殴るなんてなに考えてるんスか!」

「は? なに言ってんだ? 意味わかんねえぞ。嘘ついたら殴んだろうが」

「嘘はダメッス。でも嘘ついたら殴るのも頭おかしいッス。でもでも開さんを殴るのはもっとダメッスよ!」

 思わぬ援軍だ。

「あ? なんでだ? つーかさらりと頭おかしいとか言うな」

 それは俺も聞きたい。

「そんなの開さんがイケメンだからに決まってるじゃないッスか。美男美女は殴っちゃダメなんですよ。美少年と美少女のツンデレは目の保養心の保養ッス。だからツンデレは嘘じゃないんス。アクセサリーなんスよ。殴るなら阪槻さんの顔面でも殴っててください」

「テメー、オレに殴られたいのか? ア?」

 いつもならここですでに久我笹さんを殴っている阪槻さんだけれど、いまは距離があって殴ることができない。

 阪槻さんの殴る宣言も無視して久我笹さんは流暢にしゃべる。

「それに。開さんは探偵ッスよ? 品森社長を殺した犯人を見つけないといけないんです。いま開さんを殴ったら事件は迷宮入り。いや。たとえその後向こうで警察が解いてくれてもおれたちは船を降りられないッス。尋問がありますからね。もっと時間がかかる事情聴取が待ってます」

「最悪だな。確かにそうだ」

 冷静な阪槻さんは、久我笹さんの説得を聞いて判断を下す。

「わかった。いまは殴らねえ。見逃してやる。だが、見逃すだけだ。許すわけじゃねえぞ。あとであの大嘘つきの柳屋凪といっしょにぶん殴る。わかったな?」

「……はい」

 俺はまだ身構えたまま、それだけ返事をした。て、あれ? やっぱり凪は問答無用で会ったら殴るんだな……。俺はジト目の苦笑いになる。

「ウソ? 許してくれるんスか? ありがとうございます」

 と、なぜか俺よりうれしそうにヘラヘラとお礼を口にする久我笹さんだった。

 しかしなんでこう、阪槻さんはこんなに横暴で嘘を嫌うのだろう。

 ただ、もう俺は一刻も早くここを出たかった。

「阪槻さん。ご協力ありがとうございました」

 そう言って、高菜さんは俺と阪槻さんのあいだに立った。ポンと後ろ手に俺をたたいて、先にドアへ行くように合図をくれる。

 俺がドアへと歩いて行くと、久我笹さんがそんな俺を見ながら、

「開さんたち。おれの部屋に行きましょう? 阪槻さんはヤバイッスからね。ちょっとおかしいんです」

「テメー久我笹。いまなんつった? 次言ったら殴るぞ」

「ひゃあ……ゴホッ」

 腹に拳が入って、久我笹さんは苦しそうにうすら笑いを浮かべる。

「もう殴ってるじゃないスか。痛いッスよ。だから頭おかしいとか言われんスよ? ウソ?」

 と、再度殴られてから、久我笹さんは顔を上げる。

「てことなんで。開さん行きましょう。事情聴取やりましょ」

 はい、と返事して、阪槻さんにも挨拶をして帰る。

「失礼します」

 俺が部屋を出る直前。

「事件が解けたらぶん殴る。解けなかったらもっと殴る。覚えてろ」

 阪槻さんは冷静な怒りを秘めてそう言った。

 ……俺、もう部屋に閉じこもっていようかな(嘘だけど)。

 かくして、俺は101号室――阪槻司の部屋を後にした。

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