第四章3 「改変的告白」
さて。どうしたもんかな。
逸美ちゃんは刃の部分も調べてくれたが、指紋はなかったらしい。犯人がそこもきっちり拭き取ったってことか。
仕事を終えて逸美ちゃんは道具をポケットにしまった。
俺は再び安楽椅子に座った。
すると不意に、俺の肩に手が置かれる。
「開くん。わたしは推理できないけど、開くんならできる。不可能犯罪なんてない。解けない謎はないわ」
なんか、逸美ちゃんが言うと妙に説得力があるんだよな。
俺は小さく笑って、息をつく。
「また無責任言って。こんな迷宮入り事件の仲間入りしそうな密室殺人を簡単に解けるのは、所長くらいのもんだよ」
逸美ちゃんはそのまま俺の肩を揉みながら、
「そう言いつつ、もうなにか気づいたこと、あるんじゃない?」
まったく。やっぱり逸美ちゃんには敵わないな。伊達に「お姉ちゃんはなんでもお見通しなのよ」と言うだけあって、俺のことならわかってる。
逸美ちゃんには隠す必要もないので、俺は説明する。
「まあね。まず、さっきも言ったけど、これがまぎれもない密室殺人であること。つまり、これは自殺ではない。自殺なら、刃の刺さる向きがおかしい。刃は斜めに入ってる――それも、上から。指紋の件と合わせて、これは殺人で間違いない。自分で刺すとなると、角度は下からになるからね。これは逸美ちゃんの検死結果と一致してるね?」
「うん。ピッタリ一致してるわ」
俺はうなずく。
「そして、品森社長を殺した犯人は、自由に部屋を出入りできる」
当たり前でしょうとでも言いたげな逸美ちゃんである。
「どういうこと?」
「言葉のままさ。普通、ロックを解除するには鍵が必要だ。特にこの社長室、ロックを解除しないと中からでもドアが開かない」
品森社長は俺を部屋に招いたとき、虹彩認証をして社長室から出た。つまり、外に出るときにもロック解除が必要であることになる。
「こういう鍵の場合、普通は部屋から出るときに自動ロックがかかるんだよ。だからもし犯人が客として呼ばれた人間であれば、部屋から出るとき鍵を閉め直す必要はない。なにもせずともロックがかかる。普通ならね。でも、この社長室は違う。出るときにも鍵を開けないといけない」
「なら、殺した品森社長をドアまで連れて行って、ロックを解除すればいいじゃない」
当然の理屈だ。
でも、それはある点によって反証される。
「逸美ちゃん。品森社長はどこにいる?」
逸美ちゃんは品森社長へと視線を移す。
「部屋の中央よ。真ん中辺。ソファーからちょっとズレた辺り……なるほど。そういうことか」
そう。
「犯人が品森社長をドアの前まで連れて行ってロックを解除したのなら、死体はドアの前に転がっているはずなんだ。でも、死体は中央にある。だからこれはまやかしなんかじゃなく、完全に密室殺人の体を為したってことなんだ。もし品森社長に呼ばれたのなら、部屋には入れる。でも、部屋から出ることは不可能。そんな状況を作り上げた。こうして、犯人は理屈を絡め捕ったってわけさ」
死体を発見したときにいた彼らは、ロックのかかった部屋で死体が見つかったから密室殺人だと考えた。いや、それだけで十分だ。でも、本質はそこじゃない。部屋からいかに出たのか、そこまで考えてはじめて、これが本当に密室だったと気づかされる。
逸美ちゃんは言った。
「アリバイ、目撃談、証拠。どれも見つけるのは至難ね」
「だね。証拠って言っても凶器は見つかっているからそれ以外で必要になる。また、部屋から出る方法――これが重要だ。抜け道があるかもしれないし、論理的な解決法があるかもしれない。果たして、どうしたもんかな」
いま考えつくのはざっとそんなモノか。あとは材料不足だ。少なくとも、事情聴取をして高菜さんからもこの飛行船について話を聞いておきたいな。
ちょうどそう思っていたところで。
高菜さんが帰ってきた。
「お待たせしました。了承を得ました」
俺の目を見て言ったが、すぐに逸美ちゃんに視線をチラリと向け、逸美ちゃんには目を合わせる間もなく俺へと視線を戻す。これは合図だ――逸美ちゃんに席を外すように言ってくれって感じなのかな。ちょうどいい。聞きたいこともあるし、応じるとしよう。
俺は視線でうなずきを示し、逸美ちゃんに向き直る。
「ねえ。指紋はなかったけど、それらの道具は部屋に置いてきていいんじゃない?」
「そうね。あと、別に必要になるかもしれないものを持ってくるわ。じゃあ、ちょっと待っててくれるかしら。わたし、部屋に手帳を取ってくるわね。藤堂さん、いいですか?」
「ええ。どうぞ」
「失礼します」
逸美ちゃんは軽く頭を下げると、いまや壊れて虹彩認証がなんの意味も為さなくなったドアをすり抜けて行く。「急がなくていいよ」とだけ言ったけれど、逸美ちゃんの部屋も社長室も三階にある。五分としないで戻ってくるだろう。
部屋には、俺と高菜さんが残った。
「開くん。柳屋凪はいないのか?」
ちょっとだけ不安そうにキョロキョロと頭を動かした。
「いませんよ。あいつには情報屋として情報収集をやってもらってます」
高菜さんはホッと安堵の息をつく。
「そうか。なら都合がいい。キミに話したいことがある」
俺は安楽椅子から立ち上がった。
「聞きますよ。でも、俺からも聞きたいことがあります」
「なんだ? なんでも言ってみろ」
「高菜さんが言ってた言葉、こういう意味だったんですか? 高菜さんの話から先にしたほうが効率がいいなら、答えるのはあとでもいいですけれど」
高菜さんは腰に左手を当てて、嘆息しながら俺の元まで歩いてくる。長い髪をなびかせて、俺の前で立ち止まると、持ち前の落ち着いたクール声で言った。
「キミは話しやすいな。わたしが話しやすい相手というのも珍しい。だが、キミはその分食えないヤツだ。そう言われないか?」
言われないね。愛想笑いは得意なほうだし、食えないやつってのは凪みたいのを言うんだ。
「実際、そういうことを言うのは高菜さんくらいですよ」
それでも高菜さんは表情を変えず、淡々とクールに、
「そうだな。効率を重視するというなら、わたしの話から聞いたほうが理解が早いだろう。どうせキミからの質問も、わたしの話には繋がるのだからな」
「繋がる?」
へえ。じゃあ、あえてこちらから質問しなくても、俺の知りたいことは全部このクールな秘書がしゃべってくれるということか。
ならば。
「俺は効率的なほうが好きです。高菜さんから話してくれますか?」
「いいのか?」
俺は薄く微笑んで答える。
「どうぞ」
「それなら、そうさせてもらおう」
しかしそうは言ったものの、高菜さんは少し考えているようだった。言うべきかどうか渋っているというより、俺に話す手順をもう一度繰り返しシミュレーションするような、頭を整理しているような間があった。
俺が質問を待ちつつ高菜さんの瞳を観察していると、その瞳が一つまばたきした。
そして。
「わたしは未来からこの時代にやって来た者だ」
これは、なんて言えばいいんだろうな。
俺がリアクションを取る前に、高菜さんは言葉を続けた。
「キミは信じられないかもしれないな。だが、そう簡単に信じてもらえるとは思っていない。信じられなくとも構わない。聞いてくれ」
高菜さんはクールに胸の前で腕を組んで、
「わたしがどの時代から来たかは言うことができない。それは、歴史改変に繋がるからな。言うことができない決まりなんだ。ただし、キミとの接触はあらかじめ決まっていたことだ。案ずるな。わたしからこのような話を聞こうが、どうこうされることはない」
品森社長との会話が蘇る。
未来人。
歴史改変。
「ちなみにではあるが、品森はこのことを知らない。この船で知っている人間は誰もいない。知っているのは、わたしとキミだけだ」
高菜さんは俺の顔をじっと見る。
「その顔は、信じていないな。それでもいい。さっきも言ったが、信じられなくとも構わない。しかしそういう存在はいるのだ。キミが過ごしている日常も、どこかに未来からの干渉がある。気づいていなくとも、歴史と過去は……いや、キミからしたら歴史と未来か。歴史と未来はそれで一体なモノだから、常に干渉があるんだ。可変であるから、歴史改変が起こる。というのも、優位性は未来にある。だから改変をしにやってくるのは未来から来た人間ということになる。だが、そういった改変は、本来あってはならないことだ。わたしたちはあらざる歴史改変を防ぐため、また、あるべき未来へ向かうよう補正をかけるために、過去――キミのいるこの時代に来ている」
一度高菜さんは言葉を区切って、
「まあ。改変が起こっても、キミたちは気づかないからな。信じられなくとも無理はないだろう。だが、これだけは言える。わたしはキミの敵ではない。味方だ。キミをサポートするためにわたしの情報を開示した。また、この飛行船には、わたしの他に未来から来た人間はいない。安心しろ」
ついと顎を上げて、高菜さんは髪をかき上げた。
「キミの疑問もわかる。どうして未来人であるわたしが、謎解きを頼むのか。もっともだ。もっともだが、明白だ。わたしも知らないから。だからわたしは、キミに謎を解かせるのだ。キミが謎を解く未来は決まっているからな。キミが謎解きしやすいように、キミが動きやすいように、キミが推理を披露しやすいように、わたしはこの時代のここにいる。どうだ? 納得したか?」
「……まったく」
俺はつぶやいて、高菜さんの瞳を捉える。
「いまの説明だけ聞いて、納得する人がいると思いますか?」
「いないかな?」
「おそらく。いや、品森社長なら信じたかもしれませんね。それより――だとすると、高菜さんは俺の謎解きの手助けをしてくれるってことですよね」
「ああ。そうだ」
ここで、高菜さんは初めて微笑みを浮かべた。
「不満か?」
クールな笑みだ。
俺はかぶりを振る。
「いいえ。むしろ、さっきの話がどちらであったところで、そうしてくれると助かります。サポート、よろしくお願いします」
「任せろ。ただ、わたしにもできることとできないことがある。いくら未来から来たと言っても、わたしもキミと同じ、普通の人間だからな。これまで通り、秘書として手助けをするつもりだ。いいか?」
「はい。十分です」
「あともう一つ。わたしにとって、柳屋凪は存在自体が予定にない異分子だ。やつの干渉によって未来がどう変わるのか、わたしにもわからない。やつのことは注意してほしい」
「そうですか。だから凪のことが苦手なんですね」
ふふっと俺が小さく笑うと、高菜さんは照れくさそうに顔をそむける。
「笑うな」
それにしても。
まさかこの人までこんなことを言い出すなんてな。品森社長のそれはたわいもない空想話をしてみたというだけで、断定的じゃなかった。けれど、高菜さんもこんな話を、しかも自分を未来人だと言ってこんな話をしてくるとは、夢にも思っていなかった。有能でクールなこの秘書は、本当に未来人なのか? 見た限り普通の人間だし(ちょっとカッコイイくらいで)、なにも奇妙な点はない。ただし、そんなジョークを言うタイプには見えないんだよな。
「高菜さん、最後に一ついいですか? 未来の俺には、会ったことがありますか?」
なんてこともない、ただのジョークに乗ったつもりの質問だ。
「わたしとキミは、互いに今日が初対面だ」
そうか。
と。
ここで、逸美ちゃんが部屋から戻ってきた。
逸美ちゃんは、手帳を持って準備万端といった感じで、もう頼れる助手モードだ。
「ごめんね。色々ポケットにしまって、手帳にもさっきの情報をまとめていたら、ちょっと遅くなっちゃって」
「いや全然気にしないで。ありがとう。助かるよ」
「開くんは七つ道具は持ってるよね」
「うん! 俺はそれだけ携帯してるから」
「はーい。それならオッケーね」
高菜さんはニコリともせず秘書の顔を作り直して淡々と言った。
「それでは。まずは左遠右近さんの部屋から参りましょう」