第三章9 『前兆』
そういや凪は今回も勝手についてきただけだったな、と思いつつ社長室を出る。
ロックのかかった社長室を出る際、品森社長は再度あの虹彩認証をして、ロックを解除したのちに部屋を出た――これがこの社長室に出入りする手順だ。このロックは、中から外へ出るにもロック解除が必須らしい。
社長室を後にした俺と凪と品森社長は食堂へと帰った。
それにしても。さっきの社長の言葉はどういう意味と意図を持ってたんだろう。俺は社長の話を聞きながらも、頭ではそのことばかり考えていた。
「そろそろ食堂だ」
「そうですね」
ガラス張りの壁からは中の様子がよく見えた。
逸美ちゃんはまだ有加里ちゃんと談笑していた。そこにはコバヤシさんとレガーナさんも混ざり、絵皆さんもいる。みんな集まっているが、政治家の左遠さんとその秘書入江杏さんの姿はなかった。また、相変わらず入口には高菜さんが待機している。
「開、ぼくはちょっと阪槻くんたちに会ってくるよ」
「バカ! 殺されるぞ」
が、凪はもう走り出していた。いいや、勝手にしてくれ。
品森社長は凪の背中を見つめて、
「凪くん、大丈夫かな?」
「どうでしょうね。どうでもいいですけど」
「そうだね。……ああ、いや、心配だね」
思ってねーだろ。
「とはいえ次のマジックが楽しみだね、開くん」
「はい」
「いやしかし。さっきの理嘉有加里の演奏は、初めて生で聞いたんだが、身体が受け付けんな。品森轟には合わない。本当は彼女を呼ぶ意味もなかったのだが、余興くらいにはなったしな。まあいいか」
「そうですか。俺は、よかったと思いますけれどね」
合う合わないはあれど、品森社長は音楽についてなにか特別なこだわりでもあるんだろうか。ここに有加里ちゃんを呼んだのは社長なはずなのに、その彼女を悪いように言って。若い天才だからという理由だけ呼んだってだけかもしれない。
絵皆さんのマジックまで、あと一時間。
俺と品森社長が食堂に戻ると、コバヤシさんとレガーナさんのくだらない話に大いに笑わせてもらった。
「コバヤシさんとレガーナさんって不思議な人ね~」
「そうだね、逸美ちゃん」
逸美ちゃんも二人の特殊さには感心しているらしかった。
二人は三輪車から降りても鳥や犬のモノマネから聞いたこともないモンスターの変な動きから変な踊りなど、常軌を逸した言動の数々は続いた。
俺がコバヤシさんに聞いたこともないモンスターのモノマネを無理やり教えられそうになったところで、視界の端に食堂に入って来る誰かの影を見つけた。
顔を上げる。
「あれは、凪――なのか?」
食堂のドアが開いて入ってきたのは、やはり凪だった。
「どうした!?」
俺が思わず大声を上げてしまったのも仕方ないと思う。なぜなら、凪は顔面ボコボコでたんこぶを三段重ねアイスみたいに作っていたからだ。
「やあ」
そんな有様でも挨拶は飄々としたものである。
「なにがあったんだよ! マッドカッターにやられたのか?」
「なんだって!?」
「マッドカッター? マッドカッターなのね?」
と、コバヤシさんとレガーナさんも心配する。
「あはは。違うよ」
凪が苦笑いで答えるが、ハチに刺されたようにはれ上がってるから表情は判然としない。
横から鈴ちゃんも不安そうに聞く。
「説明してください! 心配です……」
「それがね、阪槻くんとおしゃべりでもして楽しい時間を過ごそうと思ったら、彼、しゃべってる途中で急にぼくに殴りかかってきたんだ。あの人普通じゃないって! 言葉も通じない。あれはまるで、しゃべる猛獣だ。品森社長、彼をなんとかしてくれよ。檻にでも入れておかないとまたいつ暴れ出すかわからないぜ?」
凪が必死に訴えるが、品森社長は閉口し、俺たちは全員黙ってテーブルに戻った。
「しかしたいしたことはなくてよかったよ。ね、鈴ちゃん」
「そうですね。先輩も醜い顔面以外いつも通りでしたし、またちょっと食事でも楽しみましょうか」
「うん、それがいい。逸美ちゃんはなにか食べたいものある? 取ってきてあげる」
「いや~ん、開くん優しい。ありがとう。じゃあピザがいいな~」
コバヤシさんとレガーナさんが興味津々に凪に話しかけているが、それを振り払って凪は俺の肩をつかむ。
「ちょっとその反応はひどいよ。ぼくがこんなになったってのにさ」
「またおまえがなにかやったに決まってるだろ。なにやったんだ? ちゃんと謝ったか?」
「ちぇ。開もみんなもぼくのことバカにして」
「大バカでしょ? 先輩は」
凪は、こいつらなんにもわかってない、とでも言いたげにやれやれとその顔面で肩をすくめる。全然わかってないのはおまえだし懲りてないな。
「そういえば、開」
「ん?」
「阪槻くんから伝言だよ」
え? なんで俺に!?
「な、なんだって?」
聞きたくはないが、一応聞いた。
「今度会ったら覚えてろ。このオレをこけにしやがって。だってさ」
「なんでだよ!? おまえなにをしたんだよ! 俺の名前とか勝手に出してんじゃねーよ」
「テメーらが次にオレに会ったときがテメーらの最後のときだ、とかも言ってたな。もしかして阪槻くんたち、到着する直前まで部屋に引きこもってるつもりかもね。あはは」
「違うだろ! 最後ってのはこの飛行船で会うのが最後とかじゃなくて、俺とおまえを殺りに来るってことだよ! なんだよテメーらって! こっちはなんにも知らねーよちくしょう!」
凪がぼーっと俺を見る。
「なんだよ?」
「開、早口だね」
「言いたいことがあり過ぎて仕方なく早口になってんだよなめんなよ!?」
うわーどうしよう!
こんなんじゃ、俺もう今後この飛行船の中をのんきに歩けないよ。
俺が頭を抱えていると、凪が俺の肩に手を置いた。
「ま、元気出せよ。なにがあったか知らないけどぼくはキミの味方さ」
「おまえのせいだろ!」
そして、俺は大きくため息をついた。




