第三章8 『超能力者や未来人、宇宙人や異世界人を信じるかい?』
社長室は三階にあった。
俺は社長室のセキュリティーに目を瞠った。
「品森社長。これって」
「ハッハ。そうだ。虹彩認証を導入している」
「すごいですね」
「それも我が社独自のモノだから、装置は小さくて済むのでな。ここで登用させたのだ」
「しかも、虹彩認証とは傍からはわからない。知っている人しか解除する工程に入ることすらできないのさ」
と、凪がさらりと説明を付け足した。
「凪くん、なぜそれを」
驚く品森社長に、凪は釈明するように言う。
「違うよ、違うんだ。狙ったとかじゃなく、うまい具合にポケットの中に入ってしまっただけさ。チーズタルトをナプキンで包んで持ち帰ってあとで自分の部屋で食べようなんて思ってないよ」
「おまえ、そんなことしてたのか……」
いつのまに。
品森社長は予想外の凪の言葉に一瞬固まったが、すぐに笑った。
「キミは不思議な子だ」
「はい。本当に偶然なんです。不思議なこともありますね」
凪はまだチーズタルトの話だと思っているようだが、品森社長は凪の不思議な情報力についてもう詮索しなかった。
情報屋としての凪の情報収集能力はこれでも本物なので、俺もその点については聞きたいくらいだったんだけどな。
「しかし、虹彩認証か……」
俺は虹彩認証の装置を見る。
ただの小さなモニターにしか見えない。いや、知らなければモニターとも思わない、黒い板だ。
虹彩認証――瞳の虹彩パターンを認識して、登録された式以外ではロックを解除できない鍵だ。指紋だったら型を取ってコピーの膜を作り上げセキュリティーを突破することだって前もって準備していればできるが、虹彩ではそれができない。なにも飛行船の中でそこまですることはないだろうに、とは思うけれど、まあ、万全を期すのは悪くない。それが品森社長の性格なんだろう。
ところで。
「この部屋には、品森社長以外は入れないんですか?」
品森社長は首肯した。
「ああ。そうなるね。わたししか入れない。秘書の藤堂くんさえ入ることはできないよ。さ、入ろう」
品森社長の虹彩を認知する特殊なカメラに視線を合わせる。
『ロック』と『アンロック』。
二つのボタンが現れて、『アンロック』ボタンを押した。
解除完了。
ドアが開いて、部屋の中が見えた。中は俺たちゲストの部屋の三倍くらいの大きさがあり、スイートルームというほどではないにしろ、開放感があって広々としていた。
品森社長は俺に振り返りながら入室する。
「さ。開くんも入ってくれたまえ」
「はい。失礼します」
「ご遠慮なく~」
「だから凪くん、それはわたしのセリフだよ。二人共、遠慮はしなくてもいいよ。いやあ。開くんたちの部屋より広くて悪いが、これはホスト側の特権ということで」
ハッハ、と笑う品森社長。
俺もそれには「いいんじゃないですか、社長なんですから」と答えておいて、「ずる~い」と言う凪の口を手で塞いで黙らせる。
室内を観察する。
テレビにソファー、ベッドと安楽椅子。テレビは俺や絵皆さんの部屋にもあったけれど、ソファーまでは置いていない。しかしまあ、とりわけ変わったものはないかな。机もあるがそこは綺麗に片付いているし。
と。
俺が机を見ているのに気づいた社長がおかしそうに笑った。
「なにかおもしろいものでも見つかったかい?」
「いえ。そういうわけでは」
「ハッハ。常に観察を忘れない。うん。そういうところは、あの《名探偵》の弟子だ。いい心構えじゃないか」
「その気持ちを忘れるなよ」
と、凪が腰に手を当てて言った。
「凪が偉そうに言うな」
品森社長は小さく笑って、
「おもしろいな、二人は。うむ。キミたちにはやはり、話しておこうか。キミたちにはつい話したくなってしまったよ。わたしは、若い才能が好きなんだ。とりわけ、実用的なね」
「やめてください。確かに開は常日頃つっこみの実践と勉強を怠らないけど、ぼくにはお笑いの才能なんてありません」
「ああ。その話ではない」
「話題が変わりましたか」
「いや、変わってないよ」
丁寧に訂正してあげるんだな、品森社長。
しかし、若い才能か。
それも、実用的、ね。果たして所長の代理であるだけの俺が(凪は論外として)、品森社長の言う実用的な才能の持ち主とは思わないけれど、話してくれるならぜひ聞きたい。
「俺には才能なんてないですよ。でもそれより、その話ってなんですか?」
一息ついて、品森社長は言った。
「キミたちは、超能力者や未来人、宇宙人や異世界人を信じるかい?」
いかにもSFな質問だな。いや、ファンタジーでもあるか。
「俺は信じてないですよ。どれも」
そう俺は答えた。
「ぼくは信じてるよ。どれも」
意見が割れたな。いつものことだけど。意見が一致することのほうが少ない。
しかし。さっき出会った理嘉有加里は音が見える《音波知覚》であり、平大平は言ってほしいことがわかるごますりの能力があるし、阪槻司は嘘がわかる。所長はそんな超能力以上に非現実的な卓抜した推理力を持った《名探偵》なのだ。
他にも変わった人を見たことはある。そんな彼らを見ていたら、少なくとも超能力は信じる。いや、モノにもよるが可能性は信じなくもない、という感じか。
それに、見たことなくて証拠がないだけで、俺の知らないどこかには宇宙人や未来人や異世界人がいるかもしれないし、気づいてないだけで俺の日常にも紛れ込んでいるかもしれないのだ。今日電車に乗っていたときに隣に座っていた人が実は宇宙人だった、なんてことだって自分が知らないだけであるかもしれない。
だが、可能性は認めているけど、大仰にそれ自体は信じていないという感じだろうか。
言葉の上では正反対の俺と凪の意見。
それを聞いて、品森社長は楽しそうに顎をさすった。
「なるほどね。そうか」
「俺たちに話したいことって、そのことですか?」
「そうだ。開くん、キミは信じないと言うが、こんなことを考えたことはないかい?」
品森社長は淡々と言う。
「日常に、自分は気づいてないだけで人間に擬態した宇宙人が紛れていたり、自分たちとなんら変わりなく生活する超能力者がいたり、自分の素性を隠した未来人が歴史改変のために日夜我々と関わっていたり、自分たちの世界が異世界と繋がっていてどこかで異世界人とすれ違っていたり、逆にこの世界の人間が異世界へと忽然と姿を消していたり――そんなことを考えたことくらいはあるだろう?」
「それは、ありますね。どれも魅力的です。おもしろいです。でも、それが俺になんの関係があるんですか?」
「参考までに触れておくと、キミにはそれがそうと確信できなくとも、はたまた気づきもしなくとも、それらとの関わりが必然性を有している。わたしは、それをキミたちに言っておこうと思ってね」
それらとの関わりが必然性を有している?
つまり、俺はそういった存在たちと関わると言いたいのか。それもこんな宣告を受けるほど明確に。訳知り顔なこの感じ、なんだか高菜さんと通ずるものがある。品森社長にしろ高菜さんにしろ、なにを知っているんだろう。
俺は品森社長を見据える。
「品森社長。つまり俺は――いや、俺と凪は、超能力者と戦ったり、宇宙人と交流したり、未来人の歴史改変を止めたり、異世界人に異世界へと連れて行かれたり、そんなことをするって言いたいんですか?」
品森社長は大仰な仕草でかぶりを振った。
「ハッハッハ。言い方が悪かったね。違うよ。あるいは一部そうとも言えるが、そうじゃなくてね。そうなる可能性もあるけど――開くん、キミにはすることがあるんだよ」
一度言葉を切った社長は、俺にとっては非現実でもなんでもないことを言う。
「キミがすること、それは推理だ」
「推理、ですか?」
「キミは探偵代理だが、この船においては唯一の探偵役だ。わたしも、キミが探偵王子と呼ばれていることを知っている。活躍も聞いている。それゆえの信頼もある」
すると、俺はこの船で推理することになるってことなのか? さっき高菜さんにも言われたぞ。主催者側の二人が言うのだ、なにかの催し物でもあるのか?
俺が聞き返す前に、品森社長は補足する。
「さっきも言ったが、キミは非現実を受け入れる必要はない。受け入れなければ成立しない論理もある。だが、それでも関与はする。キミたちを中心にすべてが動く」
俺と凪を中心に動く?
「そして」
と、言葉を切った品森社長は、深くシワを寄せて微笑みを浮かべ、大きくもないがよく響く声で、こう言った。
「超現実で起こる超常――パラノーマルを、ロジカルに推理してほしい。そうしたら、あとでわたしにも教えてくれ」
あとで? 品森社長に?
「あの、まずは俺に教えてください。どういう意味ですか?」
その質問には答えず、品森社長はドアのほうへと歩いて行った。
「わたしはまた、キミたちと話がしたいからね」
振り返ってそう言うと、再び恰幅のよい背中をこちらに向けた。
また話したいといっても、このあといくらでも話す機会はあるじゃないか。いったい、どういう意味なんだ。その謎かけのような言葉の意図が、まるでわからない。
……で、凪は結局なんで呼ばれたんだ?