第三章3 『嘘が許せない男』
凪も静かになったことだし、俺と有加里ちゃんもテーブルに向かった。幸い、と言っていいのか有加里ちゃんも俺たちと同じテーブルだったのだ。
丸テーブルで、席は時計回りに、逸美ちゃん・俺・有加里ちゃん・空席・空席・凪・鈴ちゃん、という並びだ。空席が並んでいるのを見るに、そこは部屋が同じく三階だったコバヤシさんとレガーナさんな気がする。いや、考えないようにしよう。
テーブルまで行き着席する。
凪は早々に手を挙げて、
「開、来てくれたんだね」
「ああ。おまえの近くにだけは来たくなかったけどな」
「うんうん。そのツンデレ、やっぱり開だ」
「ツンデレじゃない! まったく、おまえはほんのちょっとの時間だけでも問題を起こさず大人しくしてるってことができないのか?」
説教するが、凪は真顔で俺を見て、
「開」
「なんだよ?」
「ご飯まだかな?」
「知らねーよ!」
有加里ちゃんが小声で、俺の耳元でささやく。
「ねえ、開くん。まだ誰が来てないのかな?」
言われて、俺はぐるりと見回した。
現在ここにいるのは、俺、凪、逸美ちゃん、鈴ちゃん、理嘉有加里、藤堂高菜、左遠右近、入江杏、浪江戸絵皆、それと――知らない男が二人だ。ちなみに、コバヤシさんとレガーナさんも来ていない。そういや、さっき有加里ちゃんとブースにいたときにガラス越しに見た二人組の男もまだ姿が見えない。
「有加里ちゃん。あの二人知ってる?」
俺が右斜め前の男二人に視線を向けて言うと、有加里ちゃんは小首をかしげた。
「あたしは知らないかな。有名な人なのかな?」
「どうだろう。逸美ちゃんに聞いてみるか」つぶやいてから、小声で逸美ちゃんに問う。「ねえ。あの二人って誰だかわかる?」
逸美ちゃんがそれくらいのことを知らないはずがないようで、ふわふわの髪を揺らせてうなずいた。
「うん。えっと、まず向かって右側――ダブルの黒いスーツを着ているのが平大平さん。まだ三十歳の青年実業家よ。でも、親の会社を売っていまの事業を始めた人で、評判は半々って感じかな。相手の言ってほしい言葉がわかる、ゴマすりの天才って噂だし」
平大平。
短い髪に少し肉付きのいい体型の青年実業家。親が社長だっただけあって、物腰はどこか庶民的じゃない余裕がある青年。ただ。しゃべっている声の調子や笑顔には、どこか薄っぺらさが感じられる。
「で、左は?」
「左にいるのは、天才浮世絵師の竹戸丈人さん。年は二十一歳って前に新聞で見たかな。現代に蘇った葛飾北斎って言われている人よ。浮世絵の魅力を世界に伝えるために、海外での活動も多いって話だったわ」
竹戸丈人。
純和風なおかっぱ頭の青年だ。年齢的に言えば大学生になるんだろうけれど、海外で活躍する仕事柄か、年齢より大人っぽい。平大平さんは自分よりも一回り近く年下の竹戸さんを持ち上げるように快く褒めていた。
逸美ちゃんは続けて、
「いまは海外のほうが評価されるから、日本ではあまり知られてないかもしれないわね。それにしても、ハウルには、いろんな人が乗ってるわね」
「だね」
いつの間にか、この飛行船を「ハウル」と呼ぶようになっている逸美ちゃんである。コバヤシさんとレガーナさんがそう呼んでいるからうつったのだろう。
俺は有加里ちゃんに向き直って、二人の説明をしてやった。
「逸美さんってものすごく物知りなんじゃないかな? さすがは探偵助手じゃないかな? もしかして、逸美さんがサポート担当で、開くんが推理力を発揮できるのかな?」
鋭いな。いつも大事な知識と情報をくれるのは逸美ちゃんなのだ。そして凪が邪魔をするのである。
ここで、凪が有加里ちゃんの言葉に異を唱えた。指を振って、
「ちっちっち。いま何時?」
「え? いや、知らない……かな」
「そこは、そうねだいたいねとかちょっと待っててとか、まだ早いとか言うんだぜ?」
「え? なんの話なのかな?」
「なんの話でも何時でもいいけど、ぼくが言いたいのは、開の推理力は相棒であり情報屋であるぼくがいてこそ発揮されるものなんだ」
「そ、そうなんだ」
「開はいろんな人に支えられて幸せな男さ」
「へ、へえ」
さすがに凪には心が開けず困り顔の有加里ちゃんだった。
すると、突然――。
「うるっせえ!」
荒々しい声を上げて食堂に入ってきた男がいた。
それは、さっき見かけた二人組だった。一八五センチくらいありそうなガタイのいいほうの男がそう叫んだのだ。その後ろから薄い笑みを張りつけた男がついてくる。
あまりに場違いなその荒々しさに、場の空気が鎮まる。
「ひえ~!」
鈴ちゃんだけ叫び声を上げてテーブルの下に入り込んだ。
逸美ちゃんはおもむろにどこからか本を取り出して読書を始めている。なにしてんだこのマイペース天然お姉さんは。
しかし。後ろの男は平気でヘラヘラ笑いながら言う。
「なに言ってんスか阪槻さん。いいじゃないスか。ウソ? おれなにか変なこと言いました? 言っちゃってました? なら謝ります。ウソ? 藤堂さん。秘書の藤堂さんじゃないスか。いたんスね。気づかなかったです」
「阪槻様、久我笹様。席にご案内します」
軽い調子で淀みなくしゃべり続ける男――久我笹というらしい――の言葉を無視して、高菜さんは席へと歩いて行く。
「ひゃあ。みんないるじゃないスか。これでいないヒトとかいるんスか? ウソ? 品森さんがいないじゃないスか。何人いな――」
「黙ってろッ! テメー、いい加減その減らず口を閉じねえとぶん殴るぞッ!」
阪槻と呼ばれた男は、怒りで眉間にシワを寄せ、久我笹さんの顔面を殴った。ゴン。骨が響く音がする。かなり痛そうだ。
「なにするんスか! 痛いじゃないスか! おれじゃなきゃ死んでましたよ。つーか殴るの早いッスよ阪槻さん。殴るのは口を閉じたらじゃないスか。舌噛んだらどうするんスか。ウソ? おれ口閉じてませんでした?」
ゴン。また久我笹さんは阪槻さんに殴られた。今度は腹だ。殴られるのわかってるんなら、いい加減黙ってればいいのに。それでもまだ久我笹さんはしゃべり続けている。で、また殴られる。
「ゴホッ。い……痛いスよ……」
血を吐きながらそう言って、阪槻さんを見上げる。いや、いくらなんでもやり過ぎだろ。確かに久我笹さんは空気も読まずにしゃべり過ぎているが、なにも血を吐くほど殴らなくても……。
「ウソ?」
久我笹さんは席を立って、俺たちの元へと歩いてきた。
「ひゃあ。美男美女じゃないスか。いいッスね。おれ美男美女がこの世でなにより価値があると思います。ウソ? 隣の子もなかなか可愛いじゃないスか。おれ? おれは阪槻さんの専属経営コンサルタントです。ウソ? もしかして阪槻さん知らないんスか? 阪槻さんはアメリカの自動車メーカーのサカツキ・モータースの若社長です。親の七光りってやつスね。二十八歳なんスよ。司が下の名前ッスね」
返事も待たずによくしゃべるな。会話する気あるのか……?
「おい久我笹ァ! 黙ってろ!」
また腹を思いっ切り殴られて、
「ひゃあっ…………――」
久我笹さんは倒れて気を失った。
「テメーなに見てんだ? ア?」
阪槻司。
睨みを利かせて中央に寄った眉は、阪槻さんを強面の危険な人間に見せるには十分な迫力だった。自動車メーカーの若社長ともあろう男がこの性格じゃ、やっていけるか心配だ。しかも経営を久我笹さんみたいな軽いやつに任せては、サカツキ・モータースも先が明るいとは思えない。
俺は因縁をつけられる前に顔を伏せた。それはこのテーブルにいるみんなもそうだった。
が。
凪だけはじぃっと阪槻さんを見ている。
「アン? なんだ? テメーは。なんかテメーを見てるだけでムカついてきたぞ。テメーは何者なんだ。言いたいことがあんなら言ってみろ。だが、絶対に嘘はつくなよ。オレは嘘が嫌いなんだ」
こんな人に絡むなんてなに考えてんだ。もうやめてくれよ凪。
「おじさん」
「お兄さんだ」
「お兄さん」
「だからなんだよ」
「鼻毛、出てますよ」
テーブルに座ったまま俺たちはそろってズッコケる。
「そうか」
と言って、阪槻さんは指でブチッと鼻毛を抜いてその辺に捨てる。
「だがな、テメーら。あんま関わんじゃねえぞ。オレにも久我笹にもな。久我笹は躁でイカレてっからよ、たまにオレよりもヤバイようなヤツだ」
「そうですか。躁だけに」と凪。
「これ以上つまんねーこと言うとぶん殴るぞ」
「気をつけろよ」
凪が腰に手を当てて俺に言う。
「はい。気をつけます。て、おまえだろ!? 凪、おまえってやつは余計なことばっかり言ってっ」
「オイ」
ひゃあ。阪槻さん、怖い顔して俺と凪を見てる。
「なんだい? そう怖い顔するなよ」
凪の軽口にも阪槻さんは平然と答える。
「元からだ。なあ、テメーら、まだ嘘はついてないから今回だけは許してやる」
「ありがとう」
「だがな、オレはテメーらみたいのが大っ嫌いなんだよ。くるくるパーマ、テメーからはウソの臭いがプンプンしやがる。今度ウソをついたら容赦しねえ。つーワケで、なるべく関わるんじゃねえぞ」
「ラジャ」
と凪は敬礼する。
いや、ちょっと待てよ。いま、「テメーら」って言ったぞ。「ら」って。なんで俺まで含まれてるんだよ! 凪のやつふざけんな!
「ケッ。テメーらとは合う気がしねえぜ」
そう言い残して、阪槻さんは自分の席へと戻っていく。つーか、また「テメーら」って言ってるし。
しかしなるほど。久我笹さんは躁なのか。躁とはすなわち躁状態のこと。異常に気分が高揚した状態だ。躁だと言われればなるほどと思える久我笹さんは、やっと起き上がって顔を上げた。