第三章1 『階段脇の会話』
「なんだ、この船にはこんな子供も乗ってるのか」
子供って誰だ?
そう思って周囲を見回すと、それに該当するのはどうやらひとりしかいなかった――俺だった。
「品森さんもなんでこんな子供を呼んだんだろうな」
そんなことは俺がいないときに本人に聞いてくれ。
散々失礼なことを言ったこのおじさんは、俺も知っている顔だった。
政治家。
左遠右近。
とある野党を束ねる若手政治家で、若手と言っても年は今年五十になったばかりらしく、元天才プロ棋士として有名でよくニュースにも出るから、顔と名前を知らない人はいないだろう。次期幹事長の呼び声も高い左遠さんの顔はエラが張っていて四角く、背は一七五センチといったところ。ビシッと決まったオールバックが威厳を醸し出している。さっきコバヤシさんが友達だって言ってた右近さんってこいつかよ。
左遠さんは不思議そうな目を俺に向けて、
「どうしてボウズはこのハウルに呼ばれたんだ?」
誰がボウズだ。しかし左遠さんの言葉は自然に口から出るもので、本人に皮肉を言っている自覚はないようだ。
――階段脇。
食堂への道すがら、俺と逸美ちゃんは《政治家》左遠右近に出くわした。左遠さんに聞かれた俺は、怒りを隠して営業スマイルを作って答える。
「はじめまして。明智開です。代理の探偵として呼ばれました」
矯めつ眇めつ俺を見て、
「代理かボウズは。ていうと、横のお姉ちゃんはなんだ?」
「はじめまして。密逸美といいます。わたしは探偵助手をしています」
逸美ちゃんは穏やかに挨拶する。
「そっちのお姉ちゃんは助手か。それで、誰の代理なんだ?」
「鳴沢千秋です」
「おお。あの《名探偵》か。いまはいないのか?」
「はい。鳴沢は先にニューヨークで待ってますので」
「そうか。残念だな。じゃあまた食堂でな。ボウズにお姉ちゃん」
それだけ言って、左遠さんは先に行ってしまった。
「すみません」
そう言ったのは、さっきからずっと左遠さんの横にいた女だった。
「左遠に悪気はないんです。失礼な言葉、謹んでお詫びします」
「いや。いいですよ」
俺がにこやかにそう言ってやると、女はぺこりと頭を下げた。
「おい入江。行くぞ」
左遠さんに呼びつけられ、
「はい」
と返事をする。そして俺と逸美ちゃんに向き直って、
「わたくしは秘書をしています、入江杏といいます」
入江杏。
三つ編みおさげの女子中学生――そんな印象だ。どう見たって秘書には見えない少女顔で、生徒会長の横に付き添う会計係の女子中学生みたいな大人しい感じだ。ふわりとした柔らかい三つ編みは、毛先が胸の辺りまであり、赤いリボンで結ばれている。背も低いし(一五〇センチくらい?)、この飛行船で見たかけた誰よりも若く見える。鈴ちゃんより一つ下って感じかな。さっきレガーナさんが言ってた杏さんってこの人か。
逸美ちゃんがおずおずと質問する。
「入江さん。失礼ですけど、年はおいくつですか?」
「わたくしは二十五歳です」
十歳は水増ししているように見えるとんでもなさだ。
「それでは。失礼します」
再度お辞儀をして、入江杏さんは早足に左遠さんの元へと歩いて行った。
俺は入江杏さんの背中を見つめて、
「このハウルには、本当にいろんな人がいるんだなぁ」
「ね~」
と、逸美ちゃんはおっとりと言った。
そして、俺たちも再び食堂に向かって歩き出した。
角を曲がって食堂まではあとこの道をまっすぐ進むだけというとき、俺はまたあの少女と会った。
「あっ! 開くん! 開くんじゃないかな?」
理嘉有加里。
さっき出会ったバイオリニスト。
ちょうど鉢合わせるとはタイミングがいい。
「有加里ちゃん。奇遇だね」
「うん。開くん、そちらのお姉さんは誰かな?」
と、有加里ちゃんは俺から逸美ちゃんに視線を移した。
「わたしは開くんのお姉ちゃんの蜜逸美よ。開くんからお話は聞いてます。よろしくね、有加里ちゃん」
俺は有加里ちゃんに苦笑いを向けて、
「お姉ちゃんとか言ってるけど、逸美ちゃんは俺の本当の姉でもない幼なじみで、探偵事務所で助手をしてるんだよ」
「そうなんだ。開くんには助手さんがいるんだね。よろしくお願いします。逸美さん」
「礼儀正しくていい子ね」
「それほどでもないです」
俺は二人に呼びかける。
「ここで立ち話もなんだし、そろそろ行こうか」
「うん。食堂でのお食事、楽しみなんじゃないかな」
「ね~」
まっすぐ進み、食堂の前。
ここの壁は、俺が有加里ちゃんと出会ったブースのように、ガラス張りになっている。そのため中の様子をうかがうことができる。
中は丸テーブルが三つあり、ゲストはそのどこかへ席が割り振られるようだ。
そこではちょうど、凪がふらふらと左遠右近の前まで行き、気安く手を挙げて挨拶しているところだった。
ちなみに鈴ちゃんは、別のテーブル席に着いて凪のほうは見ないようにしていた。
凪と左遠さんの会話はハッキリわからないが、なんだか穏やかじゃない。凪が一方的にしゃべりかけたところっぽい。
「なんだかあの子、変わってるんじゃないかな」
と、有加里ちゃんが俺にささやきかける。そうだ、有加里ちゃんは音が聞こえない。その代わり、音が見えるのだ。壁を隔てていてもガラスだから見えるのである。
しかし凪、やっぱり変なこと言ってるのか。
俺は凪のことを知り合いとは言わずに、苦笑しながら言った。
「この飛行船にはいろんな人がいるしね」
「だね。でも、あの子は相当の変人とみた! なんちゃって。えへ。なんかね、あの政治家の左遠右近さんに親しそうに話しかけてるんだけど、会話がかみ合ってない感じかな」
「へ、へえ」
俺は顔が引きつきそうになるが、なんとか堪える。
そんなことを話していると、食堂の入口に到着した。
「ようこそ」
入口で待っていたのは、藤堂高菜だった。秘書である高菜さんがここでの席の案内も務めるのだろう。
「お待ちしてました」
「席は決まってるんですか?」
「ええ」
俺が食堂内を見ると、絵皆さんと目が合った。手を振ってくれたので俺も小さく手を振り返す。