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第二章9   『彼女の秘密』

 ふと思い直す。

 そういえばあの部屋には時計とかなかったな。たぶんお隣のコントロール・ルームには掛け時計ないしデジタル時計の一つでもあるんだろうけれど、ブースにはなかった。何曲も演奏してると時間の感覚も忘れてくるだろうし、一応、十二時半に食堂に来るのを忘れないように言っておこう。

 ケータイで時間を確認。

 現在十二時五分。

 やっぱり、いまがこの時間じゃ、有加里ちゃんは時間を忘れ兼ねない。

 俺はブースまで引き返して、まだ有加里ちゃんがバイオリンの練習をしているのか確認してみた。

 ガラス張りになっているから、中の様子はわかる――有加里ちゃんは、アント・チェアに座ってアイマスクをして寝ていた。

 寝てるのを邪魔しちゃまずいかな。でも、俺が部屋を出てからまだ一分しかしていない。熟睡してるってことはないだろう。

 一応、ドアをノックする。

 防音になっているから気づかないのか(そんなことはないと思うけど)、有加里ちゃんはノーリアクションだった。

 寝ていたらまずいので、ゆっくりドアを開ける。

「有加里ちゃん?」

 部屋に入る。

「…………」

 しかし呼びかけても返事がない。

「寝てる……?」

 ぽつりと俺はつぶやく。

 すると、そこでようやく有加里ちゃんは口を開いた。

「開くんかぁ。なんか変わった感じの子だったかなぁ。顔はいいし頭もよさそうなんだけど、どこか普通じゃない感じ……かな? うん。確かにそうだったかな……なんか変わった色味……なんてね」

 ……えっと。これは、俺が聞いているのを知っていて、ふざけて言っているか? かなり独り言っぽいぞ。もし素で気づいてなかったらものすごく恥ずかしいんじゃないだろうか。

 再度、俺は声をかけてみる。

「有加里ちゃん、起きてる?」

「あたしと同い年……赤、青、紫……」

 いや、これはふざけているにしては冗談でしたって言うのが遅い。それともツッコミ待ち? いやいや凪じゃあるまいし。本当に、有加里ちゃんは寝言でも言ってるのか?

 期待を寄せられてもへっちゃらな有加里ちゃんだから、ものの一分もしないで寝るなんて名人芸ができそうでもある。性格的に。

 でも、起こしてやるか。

 昼食に間に合うようにタイマーをセットしているとも限らないけど、これだけ俺がしゃべりかけて起きないんだ、タイマーが鳴っても気づくまい。いま起こしてやったほうが彼女のためだ。

 俺は意を決して、押さえていたドアを離す。

 歩いて行って有加里ちゃんを起こそうとしたときだった。

 バタン。

 ドアが閉じる。

「え? なにかななにかな?」

 アイマスクを取って、有加里ちゃんはドアへと視線を向けた。その視線の先にはもちろん俺がいて、有加里ちゃんは「あわわわ」と焦って顔を赤くした。

「か、開くんっ? ど、どうしたのかな? かな? そこでなにしてるのかな?」

「昼食の時間十二時半だから、もう十二時過ぎてるよって教えようと思って。で、来たら寝てるみたいだったから、起こしてあげようと思ってさ」

 キュッと唇を引き結び、大きな瞳を見開く。

「いつからかな? いつからいたのかな? なにか聞かなかったかな?」

 うわ。やっぱりさっきの聞いちゃまずい感じだったのか。起きてたけど、全然気づかなかったってやつだ。それなら、気を利かせて知らぬ存ぜぬを通してやろう。

「別になにも。それともさっきのバイオリンの話?」

 としらばっくれる。

「ホントに?」

「え? うん」

「ホントかな?」

 そんなに聞かれたくないことなら声に出すなよ!

リンゴのように赤く染まった頬のまま俺を凝視している有加里ちゃんに、俺は冗談っぽく言ってやる。

「もしかして、誰にも言えない恥ずかしい自分の秘密を口にしてたとか?」

 これで恥ずかしがりながらでも違うよって言えばオッケーだ。

 有加里ちゃんはあわあわして、

「ち、違うんじゃないかな! あたしそんな恥ずかしい秘密ないもん! ただ、開くんのことをちょっと――あ……」

「……」

 この子、ちょっとおバカさんだ。

 どうしよう。気まずい!

 ええい、もうなんでもいいからごまかすか。

 もうやけになったように、俺は窓際に行って外の景色を眺める。

「へえ。やっぱりここ、もう海なんだー」

 なにを言ってるんだ、俺は。この飛行船は離陸十分で海に出てたじゃないか。

 俺の言葉に、有加里ちゃんも立ち上がって窓際に来る。

「どれどれ? あ、ホントだ! もう海だね! 海の上なんて飛べるんだね」

「まあ、それは飛ばないと始まらないしね! ははは」

「そうだね。開くんの言う通りなんじゃないかな? あはは」

 さて、これでうまくごまかせたぞ。

 ふう、と俺と有加里ちゃんが肩の力を抜いて、窓を背にしたとき。

 ガラスの向こうに人影を発見した。

「誰だろう?」

 ガラスの向こうをニヤニヤと楽しそうな顔をして歩く二十代後半の男。ガタイがよくて一八五センチくらいはありそうだ。

 その後ろを十センチくらい背の低い(それでも一七五センチくらいはある)男がついて歩く。こっちは二十五歳くらいで薄い笑みを顔に張り付けている。この部屋は防音になっているからわからないが、なにかしゃべっているようだ。

 二人の男は俺と有加里ちゃんには目もくれず、さっさと通り過ぎて行った。

「有加里ちゃん、あの人たち知ってる?」

「ううん。でも、なんであんなに怒ってたのかな?」

 怒ってた? むしろ、表情だけ見れば楽しそうに見えた。でも確かに、怒っているとも言えなくはないのかもしれないけれど。

 まあ、人によって見え方は違っていても不思議はないだろう。

 それより問題なのは、あんな怒っているか楽しんでいるのかわからない男が、見るからに凶暴そうだったことだ。前を歩いていたほうの男は見るからに問題ありそうな感じだったし、面倒くさいことにならなければいいな。

「有加里ちゃんは、他の乗客にはもう会った?」

「あたしかな? あたしは三人くらいは会ったかな。品森社長と秘書の藤堂さん、それから料理人さん。料理人さんの名前は聞いてなかったかなぁ」

「そっか」

「そういえば、料理人さんで思い出したんだけどね、おもしろい話を聞いたんだよ」

「その料理人さんに聞いたんだ?」

「うんっ。都市伝説というか怪談みたいな話かな。空に現れる不思議な風のお話」

 風。そのキーワード、どこかで聞いたような。

「空で人が死ぬと、現れる風があるの。死者が出ると、その数を増やそうとするように風は目を覚まし、狂ったように切り刻む。その風の名前は、マッドカッター。どう? 雰囲気あったかな?」

 がんばって節をつけて盛り上げようとしてくれたようだけど、そんなに怖くはなかった。いや、俺がその話を、さっきコバヤシさんから聞いたというのもあるけど。

「マッドカッター。怖いね。でも、それって有名な話?」

「どうなのかな。あたしもさっき聞いたばかりだから」

 有加里ちゃんはさっきの会話を思い出したように、

「それで開くんのほうは、この飛行船で、誰かに会ったかな?」

「何人かね。その料理人さんには会ってないけど、その三人以外だと、マジシャンの浪江戸絵皆さんって人と、なんていうか、勇者と魔女?」

 あれはなんて説明すればいいんだ。それ以外に思いつかない。

 有加里ちゃんはおかしそうに笑って、

「あはは。勇者と魔女なんているのかな? 嘘かな?」

 俺も苦笑を浮かべる。

「それが俺もよくわかんないんだよ、あの二人は。コバヤシさんとレガーナさんっていうんだけどね」

「コバヤシ? 日本人かな?」

「たぶん」

 また有加里ちゃんは笑い出した。この分じゃ本物を見たらもっと笑うな。有加里ちゃんなら意外と友達になれるかも。

「へえ、そんな人もいるんだぁ。あたしがハウルに乗るときに藤堂さんから聞いたのは、あたしと同い年の男の子がいるってことだけだったんじゃないかな? それが開くんっ」

 そうか。俺もそう聞かされてたから、有加里ちゃんをひと目見てすぐ気づいた。

「有加里ちゃんて、品森社長と面識があるの?」

「そんなこともないかな。初対面だよ。品森社長って、かなり顔が広くて新しい人をどんどん受け入れる人だって、開くんは知ってるかな?」

「へえ。そうなんだ」

「だからね、あたしはその新しい人。かな? かなり広い顔の中のひとりに、今回選ばれたバイオリニスト。あたし、品森社長に招待されてうれしいんだ。社長にはあたしの音楽を生で聴いてもらったことないから、聴いてほしいかな」

「それはいいね」

 どこか、マジックで人を楽しませたいと言っていた絵皆さんと重なった。立つ舞台は異なっていても、根底は同じなんだろう。

 俺は声にならないほどの小声でつぶやく。

「いま何時だろう?」

 えっとね、と有加里ちゃんはポケットからケータイを取り出して時計を確認する。

「十二時八分かなっ」

 続けて、俺は自分の左側にいる有加里ちゃんには口元が見えないように、左手で鼻先をこすりながら、また声にならないほどの小声でつぶやいた。

「何分くらいに出る?」

「うーん。あたしはこのバッグを部屋に置いてきたいから、もうそろそろここを出たいかな?」

 有加里ちゃんはバッグを手に取り、そう答えた。

 ……なるほど。

「ところでさ、有加里ちゃん。音はどう認識してるの?」

「え?」

 声だけは出たものの有加里ちゃんは完全に冷凍されたみたいに固まった。持った愛嬌たっぷりの大きな瞳にも、困惑が浮かんでいる。すると今度は、氷のように青ざめていた顔が徐々に熱を帯びたように赤くなって、

「気づかれちゃったみたい、かな……? 誰にも気づかれたことなかったのになぁ」

 視線をくるくる動かして、やがて深く息を吸って、ゆっくりと吐いた。

「実はね」

 有加里ちゃんは真面目な顔で言った。

「あたし――耳が聴こえないの」

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