7 花嫁が心配すぎる
その窓の外には、例によってバルジオーザがいた。
オリーヴが彼の方を見る気配を感じ、いったん頭を下げる。今までは彼女をじろじろと見つめてデレデレしていたのだ。
(いかん、気づかれると自由に話さなくなってしまうかもしれない――さっきのように我を褒める言葉などは、我が見ていると恥ずかしくて言えないだろうからな!)
そう考えた彼は覗くのをやめ、耳に力を集中し、とにかく声だけでも聞こえるようにした。
エドラは話を続けている。
「王様、戦うの大好き。戦うと、王様が楽しくて、力がわいてくるです」
「はあ」
オリーヴは曖昧な声で答え、続けた。
「戦うこと自体が好きなわけ? 人間を殺すのが好きなんだと思ってた」
「殺すのもまあまあ好きネ。戦うのが一番、殺すのが二番」
「あ、そう……。じゃあ例えば、女は?」
「女は五番目くらいに好きネ」
(……言わなくてもいいことを)
思わずイラッ、としたバルジオーザの角から力がピーと噴出して、厨房の壷が一つ割れた。
「きゃっ、何!?」
オリーヴが小さく悲鳴を上げ、エドラが「あらあら何でしょネー」と椅子を立つ音がする。オリーヴも立ち上がったようだ。
「手伝うわ。……はは、それにしても王様は、三、四がなくて五に女、ですか」
(オリーヴは特別だっ、そんなに順位は低くない!)
また彼の角がピーとなりそうになった時、エドラが話を変えた。
「花嫁さ……オリーヴ様、厨房に何か、ご用あったですネ?」
「あっ、そうだった。用があって、ネズミさん……クリーチィって言うの? クリーチィに、連れてってくれるように頼んだの」
オリーヴが声を弾ませる。
「小麦粉をね、分けてもらえないかしらって」
(小麦粉? 料理でもしたいのだろうか)
バルジオーザはいぶかしむ。
エドラは快く答えた。
「小麦粉、持ってっていいよ。塩は? 卵は? 他にも色々あるですヨ」
「あ、とりあえず小麦粉だけ……そうだ、暖炉の灰も欲しいな。ありがとう。何か容れ物、あるかしら」
柔らかな口調のオリーヴの声に、バルジオーザはふらふらと惹かれてしまい、またもや厨房を覗いた。後ろ姿のオリーヴと、空いた壷を二つ持ってくるエドラが見える。受け取ったオリーヴは、まず暖炉から片方の壷に灰を移した。
(灰? 料理したいわけではなさそうだ。何に使うのか……)
厨房の隅に、小麦粉の大袋が置いてある。エドラは次にそこへ行き、袋の口を開けて、小さなカップで小麦粉をすくっては壷に移し始めた。
「どれくらい?」
「多ければ多いほど助かるわ。ねえ、ここの食材って……」
急に、オリーヴが言葉を切った。
彼女はまじまじと、小麦粉の袋を見つめている。
「どしたの?」
彼女の様子に気づいたエドラが尋ねると、オリーヴはハッとしたように目を瞬かせ、そして低い声で言った。
「……何でもない。もう、それくらいでいいわ」
エドラから壷を受け取ったオリーヴは、薄く笑みを浮かべる。
「ありがと……。具合が悪くなるといけないし、そろそろ部屋に戻るね」
そして、壷を二つ抱えて逃げるように厨房から出ていった。クリーチィがあわてて、口に葉野菜をくわえたまま後を追う。
バルジオーザは戸惑った。
(一体、何が……オリーヴの様子は明らかにおかしかった。体調はまだ大丈夫のようなのに、なぜだ?)
オリーヴの様子が変なのはわかるのだが、原因がわからない。どうしたらよいのかもわからない。バルジオーザがこんな気持ちになったのは初めてのことだった。
(やりたいようにやる、それがイドラーバの民の、そして我のやり方だ)
彼は無意識に厨房の窓から離れ、歩き出しながら考える。
(力の維持に関わるのだから、やりたいようにやるのが当たり前だ。だからオリーヴをこの城に置き、彼女がどう思っていようが我は愛でる。遠くから。今、オリーヴが不可解な様子を見せたため、何かしてやりたいと感じた。それなのに、この我が、何をして良いのかわからない……だと?)
小麦粉に何かあったのだろうか、それともエドラの食事に何か問題があって、腹でも痛くなったのだろうか。いくつもの可能性が彼の心に浮かんでは消えて行った。
「くっ……」
バルジオーザは自分の頭をつかんだ。しかし、何も思い浮かばない。
彼は翼を出して広げると、一歩踏み込んでから飛び立った。
(オリーヴの部屋を覗こう。原因を探り出すのだ!)
オリーヴは、中庭にいた。バルジオーザは草原部屋側から、扉を薄く開けて彼女を見守る。
昨夜、オリーヴが部屋を出た時にも近くにいたバルジオーザは、何ごとかと後をつけた。彼女が転んで怪我をしないよう、廊下の灯りを点しながらついていくと、物置部屋から絨毯を持ち出していた。
今、オリーヴはその絨毯に、壷から小麦粉を振りかけている。それから、絞った布で絨毯をふき取り始めた。
(なるほど、粉に汚れを絡めてから落とそうというのか)
ひとまず小麦粉の使い道がわかり、バルジオーザは納得する。彼にとっては初めて見る作業だったが、おそらく灰も何かを洗うのに使うのだろうと予測できた。
拭き取り用の布をいったん洗っては、また絨毯をふき取るという作業を、オリーヴは繰り返す。その間、彼女はずっと無表情だった。何を考えているのか、それとも考えないようにしているのか、バルジオーザには判別できなかったが、見ている限り体調は何ともなさそうだ。
その時、バルジオーザのいる草原部屋の扉がトントン、とノックされ、彼はぎょっとして振り向いた。
扉が開いてクリーチィが現れ、彼を見て目を見開く。
(そうか、そろそろ昼の食事時か)
バルジオーザは、食事の準備をするように顎で示した。クリーチィは廊下から盆を持って入ってくると、彼の横をすり抜けて中庭に出た。チィチィ、と、昼食を持ってきたことを告げている。
「え? 何……ああ。もうお昼なのね」
オリーヴは答えると、一度立ち上がって腰を伸ばした。クリーチィは作業台に食事の盆を置き、そして出て行く。
オリーヴは少しぼうっとした様子で、その盆を眺めていた。
そして──
もう一度かがみ込み、汚れ落としを再開した。
(食事は? 食事をとらないのか?)
バルジオーザはその後もずっと彼女を見つめていたが、彼女は昼食に手をつけない。絨毯は順調に綺麗になり、オリーヴはそれを物干しに干した。
そして疲れたのか、椅子に座って作業台に頭をのせ、しばらく目を閉じていた。
太陽が動き、時が流れた。
夕食を運んできたクリーチィが、さっきと変わらない位置に立っているバルジオーザを見てギョッとする。目を眇めて一歩後ずさりまでした。
(何だ、いつまでここにいようが我の勝手だっ)
不機嫌そうな彼をクリーチィはチラチラと見ながら、中庭に出て行った。オリーヴが顔を上げる。
クリーチィは、作業台の上の昼食に手がつけられていないことに気づいて首を傾げていたが、盆を取り替えてまたチィチィと鳴くと、廊下に去っていった。
オリーヴは黙って夕食の盆を眺めていたが──
盆をそのままにして立ち上がると、バルジオーザの覗いている扉の方へやってきた。彼はは急いで草原部屋から廊下へと出ると、手近な柱の陰に隠れた。
オリーヴは、廊下に出てくる気配はない。しばらく待ったバルジオーザが、再び彼女の部屋の前まで行ってそっと覗くと──
オリーヴはすでに、寝台に潜り込んでいた。寝台の脇に置いてあるランプも灯を落としてあったが、バルジオーザは暗くても様子が見える。
(……眠ってしまったのか)
彼は、途方に暮れた。朝食を食べたきり様子がおかしくなり、昼食も夕食もとらなかったオリーヴが、心配でならない。
(一体どうしたら良いのだ!? フォッティニア人は、食べなくては弱ってしまう。オリーヴには角がないから、我の力を受け止めさせることもできぬ!)
食事もとらず、根を詰めて仕事ばかりしていては、人間のオリーヴは衰弱してしまうだろう。
(そうだ! 気分転換をさせよう)
バルジオーザはパッと顔を上げた。フォッティニアの女が喜びそうなものを用意しよう、と思いついたのだ。
彼はそっと扉を閉め、急いでその場を立ち去った。