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25 同じ想いを返された時

 傷の痛みにうめきながら、バルジオーザはここ数日の出来事を、夢に繰り返し見ていた。


 黒枯の森の竜人族は、体躯はバルジオーザとそう変わりはしないものの、鱗が鎧のように身体を守り太い尾が凶器として備わっている。森で他種族と交わらずに暮らしている竜人族は、古の力をそのまま、今に伝えていた。

 バルジオーザが森に入っていくと、侵入者に気づいた一人の竜人が現れ、言った。

「立ち去れ。さもなくば、私と戦え」

「もとより、そのつもりだ」

 始まった戦いは、熾烈を極めた。

 バルジオーザが力を用いて投げつけた岩は弾き飛ばされ、翼に力を込めて飛ばした風は散らされた。負傷覚悟で、身体に力をまとい直接ぶつかっていったことで、ようやくまともに戦いになる。

 数日に及んだ戦いののち、竜人の膝を一度だけつかせることには成功したが、彼もまた、もう戦えないところまで追い込まれていた。しかし、竜人はバルジオーザの力を認め、彼がある程度回復するまで森にとどまることを許して、森の奥へと去っていった。

 休息はかろうじて、バルジオーザに飛ぶだけの力を回復させたが、イドラーバまで帰り着くのがギリギリという状態だった……


(……誰かの、気配がする)

 バルジオーザの意識が、ゆっくりと浮上した。

 寝台の柔らかな感触に、自分がどうにか城の寝室に帰りついたのだと知る。


 ふっ、と、目を開くと――


 愛してやまない、深い緑の瞳が、バルジオーザを見つめていた。

(なぜ、我の部屋に? これは、夢だろうか)


「バルジオーザ」


 愛らしい声に名を呼ばれ、ようやくバルジオーザははっきりと覚醒する。

(我の名を、呼んだ。彼女が、初めて 我の名を)

「オリーヴ」

 バルジオーザもかすれた声で、彼女の名を呼ぶ。

 寝台のすぐ横に、オリーヴがいた。彼を覗き込むその口元が、ほっとしたように少し緩む。

「……大丈夫なの?」

「無論、だ。心配、したのか」

「あなたが死んだら、皆が悲し……むかどうかはええと……とにかく、あたしのこと好きな人が死んだら、やっぱり気になるじゃない」

 オリーヴは口ごもる。バルジオーザは小さくうなずいて見せた。

「そうか。お前に愛を向けると、お前は我を気にするのか。我は、お前にとって、特別になるのか」


 オリーヴが今見ているのは、代わりのいる王ではなく、彼女を愛する『バルジオーザ』なのだ――そのことを、彼は心地よく感じる。


「それでは、これからもずっと、お前を愛し続けよう」

 バルジオーザがささやくように言うと、オリーヴは微笑んだ。

「ずっと、なんて、簡単に言うのね。数百年も生きるのに? あたしがあなたを好きにならなくても、ずうっと?」

 彼はためらいなく、答えた。

「ずっとだ」


 オリーヴが、ややかすれた声でつぶやく。

「バルジオーザ……」

 彼女の口からこぼれる彼の名が、バルジオーザを心地よく酔わせていく。痛みも薄れつつあった。


 やがて我に返ったように、オリーヴが手をバルジオーザの方へと伸ばした。彼の額に、柔らかな布が触れる。

(……布?)


 彼は、ハッと目を見開いた。オリーヴが、バルジオーザの顔を拭いているのだ。

「……何を、している」

「血を拭き取ってるだけよ。別にいいでしょ、今はあなた、あたしに何もできなさそうだし」

 オリーヴの手が、優しく彼の顔をなぞる。

 愛おしい気持ちが、ますます湧き上がった。その気持ちが力に変わり、バルジオーザの身体のあちこちを急速に癒し始める。


 完全に回復する前に、バルジオーザは無理矢理片腕を上げてオリーヴの手を止めた。

「い、いかん。離れろ。我がお前を抱いたら、お前は我に惚れてしまう!」

「はい?」

 オリーヴはちょっと赤くなりつつ、苦笑した。

「よほどご自分のアレに自信がおありみたいね」

(じょ、冗談ではないのだ)

 バルジオーザは焦った。


 オリーヴは知らないことだったが、イドラーバの民の性的な行為には、弱い媚薬のような働きがある。一度や二度交わった程度では何ともないが、例えば短期間にバルジオーザが何度もオリーヴを抱くようなことがあれば、オリーヴはその効果で彼の虜になってしまうのだ。

「愛し合う」こととは、イドラーバの民にとっては精神的なつながりから始まるのではなく、肉体的なつながりから始まるものだった。そして相手と何度も交わらなくては、子どもは生まれない。エドラのような混血も、そのようにして生まれてきた。逆にいえば、特定の相手と何度も交わることがあまりないため、子が生まれることも少なくイドラーバの人口は増えなかったのだが。


 バルジオーザは説得を試みる。

「オリーヴ、もう戻れ」

 オリーヴは、瞳を揺らした。

「怪我したあなたのお世話も、ダメなんだ……?」


 その瞳が、彼の心にある予感を生み出した。


(まさか。……まさか、肉体の交わりがなくとも、我とオリーヴは……)


「距離を詰めるの、バルジオーザは嫌なのね」

 オリーヴはささやきながら、今度はバルジオーザの首筋を拭く。

「なるべく、離れてることにする。でも、怪我してる今くらい、いいでしょ? あたし、バルジオーザのお妃らしいから」


 二人の視線が、絡み合った。

(ああ、あの視線だ。瞳が何かを語りかけてくるような、あの)

 バルジオーザは、彼女から視線が離せなくなった。

(おそらく、我も今、同じ視線でオリーヴを見つめている……)


 その瞬間。


 バルジオーザとオリーヴの間に、小さな光の点が生まれた。

 オリーヴが不思議そうな表情になる。

 その光は瞬く間に大きく膨れ上がり、一抱えもの大きさになったところで一度収縮し──


 ──そして、飛散した。


「きゃあ!?」

 両腕で顔をかばいながら、オリーヴが尻餅をついた。

「オリーヴ!」

 バルジオーザは転がり落ちるように寝台から降り、オリーヴを助け起こした。彼女はおそるおそる腕を下ろし、目を細めたまま辺りを見回す。

「今の、何……」

 そして、バルジオーザとオリーヴは、寄り添ったまま同時に――「それ」を見た。


 二人の目の前に、幼い子どもが立っていた。


 黒髪はくるくると巻きながら顔を縁取り、瞳は赤。ごく小さな二本の角を生やしている。オリーヴによく似た、女の子だ。

 子どもはにっこりと笑い、ふくふくした手を二人の方にのばして、よちよちと歩きながら言った。


「とーたま、かーたま」


「……え?」

 バルジオーザの腕の中で、オリーヴが身じろぎする。

「今、何て?」

 子どもは立ち止まり、不思議そうに彼らを見ている。


「お、オリーヴ」

 バルジオーザは呆然として、オリーヴを見つめた。

「我を、『愛した』のか?」

「はぁ!?」

 オリーヴは否定の声音でそう言ったが、彼はすぐに続けた。

「互いを愛する気持ちが限りなく近いものになったとき、イドラーバの民には子が生まれるのだっ」


 オリーヴは目を見開き、声を上げる。

「そんなっ!? 身体の交わりじゃ、ないのっ!?」

「イドラーバの民は、何度も身体を交わらせることで相手を必ず『魅了』し、心を近づけることで子を成す。肉体が先に、心が後から結びつくのだ。しかし、ごくまれに心だけで結びつくことがあるという。そうか、その場合、身体の交わりは食事と同じで生殖に必須ではなく、単に楽しめば良いということになるな……!」

「何その説明、やらしいっ……あっ、それであたしにちょっと冷たいっていうか、威圧的だったの!? あたしがあなたを好きにならないように!? 眠ってるときは、心は結びつかないから近づいたんだ!」

「そうだ。しかしこうして、我らの心は結ばれた!」

「ちょ、魔王、落ち着いてっ!」

「これが落ち着いていられるか! 初めて、同じ想いを返されたのだぞ!」

 彼がオリーヴの肩をつかむと、彼女は彼の胸に両手を突っ張って距離を取ろうとした。

「ちが、そんなわけないでしょ!? 一瞬、一瞬だけちょっと、(いたわ)りたい気分になっただけで……そんな、うそ……!」

「嘘ではない。見よ、我とオリーヴの子だ、この子が証明している」

 バルジオーザは子どもの方を向く。子どもはきょとんとした様子で、二人を交互に見上げていた。


 オリーヴはギョッとした様子で、素早くバルジオーザの腕を抜け出すと、子どもと彼の間に立ちふさがった。 

「こ、殺さないで! こんな小さい子を、ダメっ」

「何を言う、殺すものか!」

 彼が間髪を入れずに答えると、オリーヴは呆然とした。

「えぇ?」

「愛するオリーヴとの子……こんな気持ちになるとわかっていれば、ためらうことなくオリーヴに優しくしたものをっ。我がこやつを殺すわけがなかろうっ!」

「え、ええと? だって、イドラーバを滅ぼす……子……」

 戸惑う彼女に、バルジオーザは余裕を持って語りかける。

「あの予言はいつのことかわからぬ。数百年先のことかも知れぬ。それまで『家族』で過ごす時間を、自らの手で潰す気はないぞ!」


「そ、それでいい……の? あっ、ギルフさんっ」

 戸惑うオリーヴの視線をたどると、赤いカーテンの陰からギルフが目を丸くして顔を出していた。オリーヴは素早くしゃがみ込んで子どもを抱き寄せた。

「違うの、これはっ」

「何が違うのだ」

 バルジオーザは鼻を鳴らし、ギルフをにらんだ。

「覗きか、いい趣味だな」


「それをバルジオーザ様がおっしゃいますか。……いえ……急に、バルジオーザ様の力がもう一段階変わったので、様子を見に」

 ギルフは耳をぴんと立て、不思議そうに彼を見ている。

「先ほどまでは、いつの間にか力を吸収させていただいているような感じだったのですが……今は、まるで太陽の光が降ってくるように感じます。一体何が」

「何も問題はない。後でゆっくり説明してやる」

 バルジオーザは機嫌良く、ギルフを払いのける仕草をした。予言の子どもが生まれたために、彼の配下であるギルフが子どもを殺すのではないかと、オリーヴが先ほどから警戒しているのがわかったからだ。

「そうですか……まあ、好きにやってください。このような力がいただけるなら、文句はありませんので」

 ギルフは肩をすくめてそう言い、カーテンの向こうへ引っ込んだ。


「さてオリーヴ!」

 バルジオーザはオリーヴに向き直り、サッと両腕を広げる。もはや、さっきまで怪我で動けなかったことなど忘れていた。

「もう、子が産まれる産まれないは関係なく、我はお前に近づけるな! 嬉しくてたまらぬ!」

 サッ、とオリーヴの左手を取ると、彼女がビクッと身体を固くした。

「待っ」

「眠っている時にしか近づかなかったが、本当は近くで、起きているときに、お前の瞳を見たかった。……綺麗だ」

 バルジオーザがぐっと顔を近づけると、オリーヴの左手が彼の顎を押し返す。

「んがっ」

「いきなり触んないでっ! だいたい子どもの前で何する気!?」

「決まっているだろう、次は楽しく肉体を結びつけ──」

「誰がそんなことするって言ったよっ!?」


 オリーヴの右手が素早く動き、寝台の横の燭台をひっつかみ。

 バルジオーザの横から重みのある衝撃が──


 ──彼が気がついた時には、朝の光が寝室に射し込んでいた。

 窓からは珍しく、雲のない青空が見えた。

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