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24 「あたしは王妃です」

 その日の夕食を、オリーヴは食堂で、一人で食べた。


「魔王、どこに行ったんだろう」

 ぽつりと、彼女はつぶやく。

(何だかまた、様子がおかしくて……)


 昼間、バルジオーザに触れられた時、オリーヴは嫌だと思わなかった。前よりも近くにいること、好かれていること、優しくされることを嬉しいと感じ、このままイドラーバで暮らしてもいいのではないかとさえ、思った。

(もしかして、それを見抜かれたんだろうか)

 オリーヴは食べるのをやめ、ただフォークをもてあそぶ。

(だって、あたしが魔王のそばにいるのは誘惑のためでもあるって、魔王は知ってる。もし、あたしが子どもを作るために、魔王を受け入れるふりをしてるって思われたら……)

 バルジオーザはオリーヴと一度、はっきりと距離を置こうと考えたのかもしれない。そう、彼女は思った。


「オリーヴ様、食事、おいしくない? おなか痛い?」

 今日はエドラが来ており、オリーヴがあまり食べないのを見て心配そうに聞いた。彼女は首を横に振ったが、結局フォークを置く。

 そして、つぶやいた。

「今までより近づくことが嬉しいって思ったけど、魔王にとってはそうじゃなかったのかな。今まで通り、極端なくらい離れてた方が、魔王にとっては良いのかな」


 エドラは不思議そうにしていたが、やがてこう言った。

「王様から降ってくる力、昔より気持ち良くなったネ」

「気持ちいい?」

「昔と変わった。オリーヴ様を好きだからヨ!『好き』が変わったからヨ!」

「『好き』が変わった? それって、戦いを好きなのとあたしを好きなのとでは、魔王の生み出す力が少し違うってこと?」

「たぶん!」

「たぶんか」

 オリーヴは思わず突っ込みながら、考える。

 四百年戦い続け、欲望を満たして『王の力』を生み出していたバルジオーザ。今になって、全く別のことで欲望を満たしたら、力の質が変わった。力が食事の代わりだということは変わらないようだが、イドラーバの民は皆、変化に気づいて不思議に思っているかもしれない。


 その時、ノックの音がした。


 はっ、と、オリーヴは息を飲む。

(魔王……!?)

「はい」

 彼女が急いで答えると、扉が開いた。


 しかし、そこに立っていたのはバルジオーザではなく、黒い犬頭のすらりとした男──ギルフだった。

「バルジオーザ様は戻っておいでではないですか、戻ってらっしゃいませんね」

 ギルフは食堂の中を見渡すと、すぐに立ち去ろうとした。オリーヴは急いで呼び止める。

「待って! あの、魔王はどこに行ったの?」

黒枯(くろがれ)の森です」

 ギルフはさらりと答えた。

「黒枯の森……イドラーバの民の故郷だっていう森? どうして?」

「竜人族と戦いに行ったのです」

「えっ……竜人?」

 フォッティニアと隣合わせのイドラーバ、そのさらに向こうのことは、オリーヴは全く知らない。しかし、『竜人』とはいかにも恐ろしげな名前だった。

「竜人族、って……あの……そんな人たちがいるの? 強い、のよね?」

「我々の始祖にあたる存在です。我々の角は、竜の角の名残ですから。彼らは我々より長い年月を生き、竜に化身する者もいる。半端ない強さです」

 ギルフは軽くため息をつくと、オリーヴに言った。

「バルジオーザ様に、何をなさったんです?」

「えっ? あたし、何も」

 彼女が驚いていると、ギルフは続ける。

「色々我慢しきれなくなって、戦わなければ収まらないような感じでしたよ。フォッティニアに行くわけにはいかないから、森に行くとおっしゃっていました。色ボケを叩き直すつもりじゃないですか」


 オリーヴは愕然とする。

(あたしが、フォッティニアに行かないでと言ったから。あたしが、魔王との距離を詰めようとしたから……)

 

「負けたら、どうなるの?」

 彼女がつぶやくと、ギルフは当たり前のように答える。

「そりゃ、死ぬでしょう」


 その言葉で、オリーヴは思い出した。

 フォッティニアとの戦いの話をしたとき、「我らが負ければ、我らが死ぬだろう」と言っていたバルジオーザの言葉を。

 彼が本当に死ぬところなど、オリーヴには想像できない。しかし不死身ではないようだから、強いものと戦って負ければ、当たり前に、死ぬのだ。


「ま、バルジオーザ様が死ねば我々にはわかります。他の者に『王の力』が移り、その者から力が届くようになりますから。そうなったらオリーヴ様にもお知らせしますよ」

 ギルフは淡々と言って、食堂を出て行った。



 夕食の後、オリーヴは廊下の窓から外を眺めた。

 夜空は今日も曇っていて、星も月も見えない。遠くの方で、雷鳴が轟いている。

「クリーチィ、黒枯の森って、どっち?」

 聞くと、一緒にいたクリーチィが小さな手で、彼女から見て左手の方を指さした。はるか遠くに、黒々とした影しか見えない。

 しかしオリーヴは、しばらくその影の方を見つめ続けていた。


 翌日になっても、翌々日になっても、バルジオーザは姿を現さなかった。

 部屋でも、廊下でも、食堂でも。オリーヴがどこにいても、彼の視線を感じない。洗濯している時も、食事をしている時も。

 落ち着かず、オリーヴは夕食を厨房で取らせてもらった。

(……魔王がいないことが、寂しい、なんて感じる日が来るなんて……)



 そうして、バルジオーザがいなくなってから十日が過ぎた。


 夕食の後で、廊下のソファに腰掛けて茶を飲むのが、オリーヴの習慣になった。飲む間、彼女は窓の外を眺めている。黒枯の森の方を。


 その日は珍しく月が煌々と照っていて、夜空は明るかった。満月が壮絶に美しく、オリーヴの心の染みも綺麗に落としてしまいそうなほどだった。オリーヴは茶を飲むのも忘れ、窓から射し込む月光を浴びながら、空を見つめていた。


 そろそろ部屋に戻ろうと、彼女が立ち上がったとき。

 月を背に、黒い小さな影が、ふらふらと横切るのが目に入った。


「あ」

 オリーヴは窓に駆け寄り、見上げた。

 何かが夜空を飛んでいる。大きな翼、それにマントのような影。

 今にも落ちそうに揺れながら飛んだ影は、オリーヴの視界から消えた。しかしその影が消えた方角は。

(この城の、塔!)


「ま、魔王!」

 オリーヴは呼んでみた。

 しばらく待ったが、彼は現れない。どの扉の隙間からも、あの赤い瞳は覗いていない。

「クリーチィ! ギルフさん! 誰か、いる!?」

 廊下を見回しながら、彼女は声を上げた。すると、三つほど向こうの扉が開いて、黒い犬頭が姿を現した。

「お呼びですか」

(あの部屋、どっかとつながってたのか)

 オリーヴは思いながらも、ギルフに駆け寄って言った。

「魔王、戻ってきたんでしょ?」

「そのようで」

 いつもシラーッとしているギルフは、今日も同じ調子だ。彼女は言った。

「どこにいるの? そこに、あたしを連れて行って」

 今どんな状態なのか、オリーヴはどうしても確かめたかった。どうしてかはわからないが、胸が苦しい。どうしてかはわからないが、彼女はバルジオーザを心の底から心配している。

 ギルフは視線を窓の方に反らして言った。

「オリーヴ様を別棟から出して良いとは、聞いておりませんので」


 オリーヴは声を抑えながら、言った。

「何であなたに閉じこめられなきゃならないの。あたしは王妃です、魔王のところに連れて行きなさい」


「えええーっ! まさかの自覚!」

 ぱっ、とこっちを見て、珍しく目を見開く黒い犬。

(うるさいなぁ、あたしだって違和感バリバリよっ! でも、こうとでも言わなきゃ、言うこと聞いてもらえないでしょうが!)

 半分やけっぱちで、オリーヴは命令した。

「早く、連れて行きなさいっ!」

「かしこまりました、王妃様。でも、王妃様の命令だってことは、バルジオーザ様に言って下さいよ? 全くもう」

 ギルフはぶつくさいいながら、横目で彼女を見た。

「ところで、イドラーバの王妃と自覚なさったなら、『魔王』という呼び名はやめたらいかがです?」

 いぶかしく思ったオリーヴは聞き返す。

「え、何で」

 ギルフは淡々と言った。

「その呼び名は、フォッティニアから見てのものでしょう」


 言われてみると、バルジオーザが自分を『魔王』と呼ぶのをオリーヴは聞いたことがなかった。エドラやギルフも、『魔王様』などとは呼ばない。『バルジオーザ様』か『王様』だ。

(そうか。フォッティニアの人にとっては、謎の戦いを仕掛けてくる強い生き物こそが『魔』──災いをもたらす存在だから、『魔』。だから『魔王』なんだ)

 しかし、イドラーバの民にとっては違う。バルジオーザは、イドラーバの国王なのだ。


(それに……それに、あたしにとってももう、『魔』だとは思えない)


「で、どこから行くの」

「こちらです」

 オリーヴはギルフに導かれ、彼の出てきた扉の中に入った。そこは、立派な書き物机に椅子、本棚がいくつかある書斎で、本棚の一つが扉のように手前に開いている。

 その向こうから、ランプの灯りが漏れていた。

 ギルフが手で、そちらを示す。


 オリーヴはゆっくりと、本棚を回り込んだ。

 本棚の向こうは暗い洞窟のような空間になっていて、奥は赤みを帯びた光でぼんやりと明るい。進んでいくと、赤いのはカーテンの色であることがわかった。垂れさがった赤、ドレープを作った赤が、幾重にも道をふさいでいる。

 オリーヴはカーテンをかき分けて向こう側に抜けた。暗い部屋の中に大きな天蓋つきの寝台があり、ランプの灯りに浮かび上がっている。


 その上に、血だらけのバルジオーザが横たわっていた。

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