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20 痴話喧嘩もどき

 そしてオリーヴにとっても、それは呆然とするような瞬間だった。


 バルジオーザが彼女を好きなのではないか、ということは、すでに予想していたことだ。それを、彼の口からハッキリと聞いただけのこと。普通は愛の告白といえば、相手との関係を変えようとしてするものだろうが、バルジオーザは彼女がどう思うかは関係ないと言っていた。つまり、何も状況は変わらない。

 それなのに、『好きだ』というその言葉を聞いて呆然とした直後、オリーヴは激しくうろたえた。顔がカッと熱くなる。


(どうして、こんなに……ああ、そうか。だってあたし、異性に「好き」って言われたの、初めてだから)


 ガーヌでは領主の件があったため、オリーヴを恋人にしようなどという男はいなかった。彼女の方から好きになった男はいたが、近づくと、さりげなく避けられた。


 オリーヴは過去を振り払うために、一つ深呼吸をしてから、現在と向き合った。

 今、彼女に『好きだ』と言った目の前の存在は、異性どころか異種族である。動揺している場合ではない。

 今この時は、甘い告白の場面ではなく駆け引きの場面だ。冷静にならなくてはいけない。


 オリーヴはじっと、バルジオーザを見つめた。彼の表情は元々わかりにくいところがあるが、今は汗をだらだらかいている。

(……きっと、隠し事に慣れてないんだろうな)

 オリーヴはそう思う。欲望に忠実に生きるのがイドラーバの民なのだから、いつもは何も隠す必要がないはずだった。

(もしかして、あたしを好きだってことが、初めての隠し事だったの? どうして隠してたんだろう。自分を殺す子を産む女を好きになったなんて、認めたくなかった、とか……?)

 しかし今、彼は言ったのだ。オリーヴを好きだと。


「バカね……それを知ったあたしが次にどうするか、予想はしてるんでしょ?」

 唇を舐めて湿し、オリーヴは続ける。

「今、あたしの近くにいる男は、あなただけ。誰の子でもいいから、とにかく産んじゃえば、その子があなたを倒してくれる。そう、よね?」

 占いや予言というものは、受け取りようによってはどうとでも取れるものだという。しかし、『フォッティニアの敵』は昔からイドラーバだ。

(『フォッティニアの敵を滅ぼす』ということは、当然、イドラーバを滅ぼすことになるはず)


「ハハッ。我とオリーヴの子か。王族の子だ、さぞ強い力を持つだろう。次の王を産みたいのか?」

 バルジオーザは威圧感のある言葉を放ったが、彼が焦っていることがオリーヴには手に取るようにわかった。

 彼女は首を横に振る。

「ううん。それだけじゃ、イドラーバを滅ぼすことにはならない。あたしがあなたの子を産んだとしても、その子はあなたほどには強い力を持たない(・・・・)、ってことだと思う」

「……何だと?」

 バルジオーザは眉を上げる。

 オリーヴは、ここ数日ずっと考えていた予言の意味を、彼に向ってはっきりと言った。

「きっと、あたしの子に倒されたあなたの『王の力』は他の人に渡って、その人は王族ほど強くないのよ。そのせいで、フォッティニア軍に倒される。王族の血が絶えるんだ。イドラーバはそうしてどんどん弱くなって、滅びる。予言の通りにね。きっと、そう」


 そしてオリーヴは、静かに立ち上がった。

「……オリーヴ?」

 一歩、バルジオーザが後ろに下がった。二人の視線が、しっかりと絡み合う。

 オリーヴはその場を動かないまま、言った。

「お願い。側にいて。フォッティニアには行かないで」

 バルジオーザにねだる声が、少し震えた。

「あたしだって、自分の子に父親を殺させるなんて、したくない。でも、あたしはあなたを誘惑しつづける。だって、フォッティニアに戦いに行ってほしくないから。フォッティニアの人を殺さないでほしいから。フォッティニア軍の方は、あたしのことなんかもう見捨ててると思うけどね。……『魔王を倒せるのはオリーヴの子だけ』って予言だったら良かったのに。そしたら、あたしのこと、死にものぐるいで助けてくれたかもしれないのに」

 彼女は目尻ににじんだ涙を、手の甲で乱暴に拭いた。


 ガーヌの町には、オリーヴを『家族』にしてくれる人はいなかった。フォッティニア軍には、彼女を助けに来る力がない。もし何かの方法でガーヌに帰ることができても、あの予言がある今、彼女はすぐに誰かの子を産めと命じられるだろう。

(この人を……少し可哀想な魔王を、倒す子を)

『予言』の真実は、オリーヴから、フォッティニアに帰りたいという気持ちを奪いつつあった。


(でも、帰らないことを選んだら、私は故郷を裏切ってしまうことになるの? 母さんと暮らした故郷を、愛しているのに)

 板挟みになっているオリーヴは、それでも声を励ました。

「ねぇ、どうする? あたしは少しずつ、あなたを誘惑する。あなたはそれに耐えられる? あたしに飽きる日まで耐えるなんてバカバカしくない? 耐えられなくなる前に、あたしを殺した方がいいと思わない? 種族だって違うんだし」


 バルジオーザは、うっすらと唇を開いたまま、無言で彼女を見つめている。


 その視線から逃れるように、オリーヴは目を伏せ、ドレスのスカートを握り締めながら一息に言った。

「あたしなんか好きになるからいけないんだ。そんな気持ち、早く諦めた方があなたのためだよ。ね、すっきりしよう? 気が向いたらいつでも殺してくれていいから。できれば一息にやってね。それを言いたくて呼び出したの。じゃあ」

 そして、バルジオーザの返事を待つことなく、彼女の部屋の扉に駆け寄った。


「オリーヴ!」

 バルジオーザの声が、急いでオリーヴを呼び止める。

 その声に嬉しさのようなものがにじんでいるのを感じたオリーヴは、驚いて振り返った。

 赤い瞳が、まるで宝石のようにきらめいている。彼は言った。

「王族は、子を一人しか作らない、と話したのを覚えているか?」

 オリーヴはハッとした。

「あ……じゃあ……あなたが誰か他の女の人に子を産ませれば、あなたとあたしの間に子が産まれることは、もう、ない……?」

「そうなるな」

「じゃあ、そうすればいいじゃないのっ!」

 カッとなって、オリーヴは思わず叫んだ。

「仮にもイドラーバの王様なんだから、女の人なんて引く手あまたでしょ!? あなたがさっさとどこかで子ども作っちゃえば、あたしがあなたを誘惑したって、痛くも痒くもないじゃない! あとはあたしが他の男の子を産まないように閉じこめて、あたしを好きにできたのに、何でそうしないの!?」


 すると、バルジオーザは嬉しさを含んだ声のままで、自慢げに言った。

「我が好きなのは、お前だからだっ。他の女との間に子を作りたいと思わぬ!」


「ハァ!?」

 オリーヴは呆気に取られた。

「ま、魔王のくせに何言ってんの、それくらいやんなさいよっ! だいたい四百年間なにやってたのよ、ずっと独身!?」

「独身だっ。特定の女などいなかった!」

「四百年、童貞!?」

「それはっ……それなりにっ……とにかく一度も子が産まれることはなかった!」

「何その言い訳みたいなっ!」

(ああもう、これじゃあまるで、あたしが魔王の過去の恋愛を責めてる痴話喧嘩みたいじゃないの、ばっかみたい!)

 思わず頭を抱えるオリーヴを、バルジオーザは目を細めて見つめる。

(だから! 何でそんなに嬉しそうなの!?)


「……お前は」

 バルジオーザは陶然と、つぶやいた。

「怒っていても、美しいな」


「────! もう知らない!」

 オリーヴは部屋の扉を開けて中に飛び込み、思い切り音を立てて閉めた。 


 

 水差しから直接がぶがぶと水を飲み、彼女は口元を手の甲で拭いながら荒い息をつく。


「何なのよあの魔王は……っ。本当にっ、十代の少年じゃあるまいし、あれでもイドラーバの王なの!? やりたいようにヤリまくればいいのに、なんでそうしなかったのよっ!」


 荒っぽく吐き捨ててから、彼女はふと冷静になって考える。

 四百年もの間、「それなりに」女性とつきあってきて、一度も相手を妊娠させなかったなどということがあり得るだろうか。子どもができない体質だということなのか、それとも女性と付き合ってきたというのは見栄で、本当は童貞なのか。

(しつこいようだけど、四百年、やることやっていたとして)

 オリーヴは考え込む。

 特定の相手はいなかったとは言っていたが、行きずりの相手との間に子どもが産まれていて、それをバルジオーザが知らないだけということもあり得る。それとも、産まれたら必ずバルジオーザにはわかるのだろうか。だからこそ、さっき「一度も子が産まれることはなかった」と言い切ったのかもしれない。彼は隠し事や嘘は苦手のようであるため、その可能性は高かった。


 食事の仕方さえ、フォッティニアの民とは全く異なる、イドラーバの民。

 男女のあれこれや、子どもを産むことについても、フォッティニアの常識とは全く異なるということもあり得るのかもしれない……と、オリーヴは考えを巡らせた。

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