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15 予言録は語る

 しかし、喜び勇んで駆け下りたにも関わらず、階段は二階までしかない。オリーヴはまた、一階への階段を探してさまようはめになった。

 廊下は扉だらけで、階段は見あたらない。部屋の中か、部屋をつっきった向こう側に階段があるのかもしれないと考えたオリーヴは、片っ端から扉を開けていった。しかし小さな部屋ばかりで、階段や抜け道はないように見える。


 やがて彼女は、両開きの扉の前にやってきた。彫金も華やかな大きな扉で、ここなら中に階段や通路があっても不思議ではない雰囲気を醸し出している。

(最初から、ここを開ければ良かった)

 オリーヴは一気に、扉の取っ手を引いた。


 そこは、大きな図書室だった。

 といっても本棚はなく、壁には一面、文字の彫り込まれた石板がはめ込まれている。

 扉からまっすぐに通路が伸び、両脇に長机がいくつも並んでいた。机は平らではなく椅子側に傾斜していて、がっちりした革製の本が表紙を上に向けて何冊も載せられ、鎖で机に繋がれている。人間の方が読みたい本のところに移動して読むようになっているのだ。

 一番奥、突き当たりの壁に、もう一つの扉が見えた。向こうへ抜けられるらしい。


 オリーヴは、長机の間の通路をゆっくりと歩き出した。

 ちらちらと周囲に目を走らせていると、ささやき声が聞こえて思わず足を止める。まるで、図書室の中に何人も人がいて、声を潜めて話をしているようだ。

 しかし、部屋には誰の姿もない。


 オリーヴはハッとした。

(違う。この声は、本から聞こえてくるんだ……。本たちが、何か話をしている?)


『オリーヴ』


 名前を呼ばれ、彼女はパッと振り向いた。

「……誰?」

 ささやき声に紛れていたが、確かにオリーヴの名前だった。たった今通り過ぎた長机の、奥の方から聞こえたように思える。


 おそるおそる、彼女は左手の長机に近づいた。しかし、本に触るのは恐ろしく、置かれている本の表紙だけを順に眺めていく。

 赤い革の表紙の『建築書』、茶色の革に黒の鋲の打たれた『動物誌』、紺色に凝った銀の紋章の入った『天文学』。

 そして──真っ白な革表紙に金文字の入った、『予言録』。


(予言……)


 オリーヴは引き寄せられるように、その本に手を伸ばした。表紙をそっと開く。

 最初の頁の一番上に、『青陽歴二六五年 花の月』と書かれている。彼女が生まれるよりずっと前だ。


 その時、不意に声がした。

『神は、予言する』

 驚いて手を離したオリーヴの耳に、図書室中に響くようなその中性的な声は告げた。

『フォッティニアの玉座に、女王が登るであろう』


(女王……)

 今のフォッティニア王は男性だが、オリーヴが生まれる前には女王がいたと聞いたことがある。

「これは、今までの予言を記録した本なの?」

 緊張しながら、オリーヴはつぶやいた。 

 この本は、過去の予言を、予言者の声ごと記憶しているのだ。


 オリーヴは急いで頁をめくった。本は勝手に、すでに現実になった予言を次々と読み上げていく。イドラーバで異常気象が起こったこと、フォッティニアで大きな地震があったこと……


 そして彼女は、一番新しい予言の頁を見つけた。年と月は、彼女がガーヌからさらわれた時のものである。

(きっとこれが、あたしに関する予言)

 彼女の胸はどくどくと鳴り、手は震えた。


『神は、予言する』

 声が、響く。

『フォッティニア王国ガーヌの町に住む乙女、名をオリーヴ――』


(あたしの名前……さっき聞こえたのは、この本がこの頁をささやいていたからか……)

 声は、淡々と言った。


『――彼女が産む子は、フォッティニアの敵を滅ぼすであろう』


「……えっ……?」

 予言録は沈黙した。

 オリーヴは急いで、一度前の頁に戻り、それからもう一度、先ほどの頁を開いた。予言録は再び、淡々と告げる。

『フォッティニア王国ガーヌの町に住む乙女、名をオリーヴ。彼女が産む子は、フォッティニアの敵を滅ぼすであろう』


「ど、どうして」

 思わず、オリーヴはつぶやいた。

 バルジオーザが彼女に手を出さない理由は、確かにこれでわかった。手を出して子どもができれば、その子が『フォッティニアの敵』を滅ぼすからだ。フォッティニアの敵といえば、オリーヴの知る限り、昔からイドラーバ以外にない。

 しかし、それならばなぜ、バルジオーザはオリーヴを生かしているのか。なぜ、わざわざガーヌの彼女の家まで来ておいて、殺さずにイドラーバに連れ帰ったのか。


 オリーヴは混乱したが、今は逃げる好機であることをようやく思い出し、予言録を閉じる。

 そして小走りに、先ほどの扉に向かっていった。



 ――あちこちから、魔法の爆発による火の手が上がっている。

 気合いの声、馬のいななき、剣戟の音。


 そして、バルジオーザの目の前にはフォッティニアの軍人が一人、長剣を両手で構えて立っていた。

「あの娘は、生きているというのかっ」

 金髪の彼は、額から血を滴らせて言う。立っているのがやっとの様子だ。

「どういうつもりだ、我々をおびき寄せる餌にでもするつもりか!」

 バルジオーザは無造作に近づくと、剣を払いのけて軍人の襟首をつかみ、顔をぐっと近づけた。

「生きていたらどうだと言うのだ。お前たちは、オリーヴを助けに来るつもりなどないのだろう?」

「……っ……む、娘が生きている限り、子を産む可能性はっ……そうなれば、お前は滅ぼされる! 例えお前がオリーヴに生ませる子でもだ。予言は絶対だっ。それなのになぜ生かしておく!?」

 そう叫ぶ軍人は、顔を辛そうにゆがめている。


 この男は、オリーヴを心配しているらしい――バルジオーザはそう悟る。

 オリーヴが生きながらにして、地獄のような目に遭わされているのではないかと、彼は思っているのだ。なぜ生かしておく、と聞くのは、いっそ殺せという意味にもとれる。

(ふん、自分たちの非力で助けられないから殺せとは、勝手なものだ)

 バルジオーザは思いながら、軍人を嘲笑った。

「あの予言は、お前たちにとっては何の意味もない。なぜなら、我が滅ぼされたところで、次の王が生まれるだけだからだ。予言など、解釈次第でどうとでも取れるものだ」

 そして、金髪の男を突き飛ばしながら続ける。

「我にとっても、あまり意味はないな。我が命を惜しむとでも思ったか? まあ、今は楽しくて仕方がないから、命が惜しいといえば惜しいがな。ははは、残念だったなフォッティニアの民よ……オリーヴを我から保護し、ついでに誰でも良いからフォッティニア人の子を産ませて鍛え上げ、イドラーバに送り込むつもりだったのだろう?」

 転がった男は、かろうじて半身を起こすとバルジオーザを睨み付けた。

「よ、予言は、単なる切り札だ……誰の種であれオリーヴが産んだとしても、大きくなるまで待つつもりはないっ。その子しかお前を滅ぼせる者はいない、という予言ではないのだからな。俺がお前を倒してみせる……!」

「威勢だけは良いな」

 バルジオーザは爪を大きく伸ばし、とどめを刺そうと振りかぶり──


 ふと、あることに気づいて動きを止めた。


 今回の予言について把握したフォッティニアは、この男にオリーヴを迎えに行く役目を与えた。もしバルジオーザが彼女をさらいに行かなければ、彼女はこの男に誘惑されていたはずだ。イドラーバを滅ぼす子を、何も知らないオリーヴに産ませるために。


 目の前の男の腕にオリーヴが抱かれている所を想像し、バルジオーザの心は溶岩のようにどろどろと煮えたぎる。しかしその想像は、たった今まで男を殺すつもりだったバルジオーザの心を、別の方向へと変えた。

 戦いのたびに、こうしていたぶってやろう。そして、男に己の無力を痛感させ、己のものになるはずだった娘がイドラーバの王妃として暮らすのを見せつけてやろう……と。


「くくっ……せいぜい子が生まれるのを期待しつつ、我がオリーヴを可愛がるのを見ているが良い!」

 バルジオーザが高笑いすると、男は唇を噛む。

(……可愛がる、というのは、文字通りの意味だぞ? 痛めつけることを可愛がると表現したのではないぞ?)

 彼は心の中で付け加えたものの、もちろん面倒なので説明はしない。


「そろそろ飽いた。次までにはもう少し鍛えておけ」

 バルジオーザはそう言い捨てると、翼を広げて飛び立った。すぐに配下がそれに気づき、彼に続く。

 待て、と叫ぶ金髪男と、騒ぐフォッティニア人たちを尻目に、バルジオーザたちは悠々と空を飛んでイドラーバに向かった。


(我が死にたくないとすれば、その理由はひとつだけ)

 風を切って飛びながら、バルジオーザは心の中にオリーヴの微笑みを思い浮かべる。

(我亡き後、オリーヴが他の男のものになるかもしれない──それが許せない、ということだけだ)

 そして、そんな風に考えた己を不思議に思った。

「……誰にも渡したくないほど大事なものがあると、死ぬのが嫌になるものなのだな……」


 イドラーバの城に帰り着いたバルジオーザが、バルコニーから玉座の間に降り立つと、そこにはギルフがいた。

「バルジオーザ様。フォッティニアに行っておいでだったんですか?」

「そうだ。久々の戦いで、なかなか楽しかったぞ」

 彼は笑う。ギルフは目を細めて呆れた様子を見せた。

「供を一人しかお連れにならなかったようで。バルジオーザ様がやられて亡くなったら、次に力が強いのは淫魔のズィビオン……うわ、私はああいう男、苦手だな。ズィビオン様、なんて呼びたくないですね」

「その時は諦めろ。さて、そろそろ夕食の時間か」

 いそいそと、バルジオーザは食堂に向かおうとする。オリーヴとの食事には間に合うように戻ってきたのだ。

「遅れるとオリーヴが寂しがる、急がなくてはな!」


 すると、ギルフが後ろから話しかけてきた。

「王妃様は、今日はおいでになりませんよ」


「……何?」

 彼はゆっくりと振り返る。

「貴様……なぜオリーヴは来ないのだ。そしてなぜ、お前がそんなことを知っている」


「王妃様は、庭園で倒れていたからです」

 淡々と、ギルフは告げる。


「別棟を抜け出し、外への門が閉まっていたので出口を探しているうちに、気分が悪くなったようです。クリーチィとエドラが懇願するので、仕方なく元の部屋に運んでやりましたが、虫の息でしたから……もう死んでるかもしれませんね。バルジオーザ様がきっちり空間を閉めて行かないからです、彼女に近づいたからといって怒らないで下さいよ」

 そして、犬頭を「やれやれ」と揺らしながら玉座の間から出て行った。


(オリーヴが、どうした、と?)

 バルジオーザは一人、立ち尽くす。

(庭園で倒れて……虫の息? なぜだ?)


 頭では、彼も理解している。彼がいないことに気づいたオリーヴは逃げようとしたが、身体がついていかなかったのだ。


(なぜだ、オリーヴ。なぜ逃げようとした。我に笑いかけたではないか。共に食事をしたではないか?)

 バルジオーザは拳を握った。

(家族と、言ったではないか!)


 彼はバルコニーから飛び立つと、別棟へと急降下した。

「オリーヴ!!!」

 オリーヴの部屋に飛び込むと、寝台の横の椅子に座っていたクリーチィとエドラがパッと彼を振り返った。

「王様! オリーヴ様がっ」

「チィ!? チィチィ、チィ!!」

「いいからお前らは出て行け!」

 ぐわっ、と、バルジオーザの身体の中で力がうねる。エドラとクリーチィは目を閉じて耐える様子を見せた後、転がるようにして部屋から出ていった。


「オリーヴ……!」

 彼は寝台に駆け寄った。

 町娘姿の彼女は、白い顔をして横たわっている。豊かな胸は、よくよく見ないと上下しているのがわからないほど、かすかな呼吸しか表していない。

「オリーヴ、オリーヴ」

 バルジオーザはオリーヴを抱き起こし、胸に抱きしめた。草原部屋と、隣の中庭に満ちているフォッティニアの空気を、彼女が取り込みやすいように流れを整える。

「オリーヴ」

 彼には、名を呼ぶことしかできない。

 もしもオリーヴが死んだら、バルジオーザの力を吹き込んで生ける屍として蘇らせることはできるが、屍に表情はない。彼に微笑みかけることは、おそらく二度となくなってしまうだろう。

 そう考えたとき、バルジオーザの目頭が熱くなった。

「オリーヴ」

 その熱で彼女の冷たい肌を温めようと、彼は額や頬を彼女の顔にすり付ける。なぜか、濡れた感触がした。


 ぴくり、とオリーヴの身体が動いた。


「……魔王……?」

 フォッティニアの民がバルジオーザを呼ぶときの呼称で、彼女は彼を呼んだ。しかし、声はかすれ、意識は朦朧としているようだ。

「……どうして」

 オリーヴの瞳が、彼を探すようにゆっくりとバルジオーザの方を向く。しかし、視線は合わない。

 乾いた唇が、動く。

「どうして……あたしを……殺さないの」


「お前が美しかったからだ。ひと目で、欲しいと思ったからだ」

 バルジオーザは急いで言う。オリーヴはゆっくりと瞬きをした。

「……あたし……ひと目惚れは、信じない……だって、外見だけってこと、だし……」

「我は、『この女だ』と思った。他の女ではない、『この女』だと。お前が良い、それだけだ。お前がどう思おうが関係ない!」 

 あたしは関係ないって、ひどい、とオリーヴはつぶやき──また、目を閉じた。


 バルジオーザはオリーヴを抱いたまま、全力で空気の流れを整え続けた。長い時が過ぎる。

 体温がやや上がったような気がして、彼はオリーヴの顔を見た。ほんの少し顔色が戻ってきている。

 死の危険からは、脱したのだ。

 大きくため息をつくと、バルジオーザはもう一度オリーヴを抱きしめた。柔らかい身体、温かな肌、あの匂い。


 しばらく堪能してから、彼は名残惜しく彼女を寝台に横たえ、離れた。

 完全に意識を取り戻す前に、離れなくてはならない。ずっと抱いていたかったが、離れなくてはならない。

(あの予言がある限り、我は……)

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