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12 恋と戦い

 翌日の朝食は、オリーヴは自分の部屋の寝台の上でとった。これはどうやら、イドラーバの王族の習慣らしい。昼食はどこで食べてもいいようだったが、クリーチィが部屋まで運んできたので、洗濯を中断して中庭で食べた。

 しかし夕食時にはまた、クリーチィに案内されて食堂に行った。


「お前は、どんな食べ物を好むのだ」

 バルジオーザは今日もテーブルの彼方にいて、あまり食べ物を口にすることなく葡萄酒ばかり飲んでいる。

 オリーヴは食事の手を止め、何と答えればいいか素早く考えた。フォッティニアでしか食べられないようなものを言ってしまうと、バルジオーザはまたフォッティニアで食料を奪ってくるかもしれない。

「あの……魚の味、忘れられないな、なんて……」

「魚」

「ここにきて、最初に出してもらった食事です。あれ、イドラーバで獲れた魚……ですか」

「国境の川で獲れたものだ。ふん……」

 彼はちらりと、側に控えているクリーチィを見た。クリーチィが髭を動かす。何か伝えたらしい。


 魚といえば、あれもおそらくエドラが調理したものだろう……と思ったオリーヴは、ふと辺りを見回した。

「エドラさんは、厨房の料理人さんですよね。あとクリーチィと……あまり、ひと気がないみたいで、あの、他にはいないの?」

「いるが、お前が会う必要はない」

 ふん、と鼻を鳴らして、バルジオーザはグラスを傾けた。


 あまり印象のいい質問ではなかったようだと気づき、オリーヴは急いで付け加える。

「いえ、あの、王様って他にもお妃様がいるんじゃないかって。あたしは何番目の花嫁なのかなって……」

「一番に決まっているだろう!」

 だん、とバルジオーザがグラスをテーブルに置き、葡萄酒がはねた。


 驚いたオリーヴは、身体を竦ませる。しかし、彼が言っていることは、彼女がさらわれた花嫁でさえなければ、喜んでいい内容かもしれない。


 が、その時オリーヴの口をついて出たのは、こんな言葉だった。

「あっ、服が」

 葡萄酒が、バルジオーザのシャツにはねたのだ。

(全くもう、白を着てるんだから気をつけるべきだって……あっ。服、ダメにしたらまたフォッティニアから新しいのを奪うつもりなんじゃ!?)


 オリーヴは急いで言った。

「すぐ脱いで下さいっ」


「な」

 バルジオーザが、固まった。

「ここで? 我に、すぐ脱げ、と?」


 バルジオーザの顔が、じわり、と赤く染まるのを見て、オリーヴは逆に自分の顔から血の気が引くのを感じた。

(ま、まずい……本当に、怒らせちゃった、かも……)


「ご、ごめ、なさ、そうじゃ、なくて、すぐに洗おうと……よ、よけいなこと、言っ……」

 反射的に立ち上がった拍子に椅子につまずき、足にドレスが絡まった。よろけて転びそうになり、どうにか身体を立て直して彼女が顔を上げると――


 バルジオーザはいなかった。


「……あれ?」

 彼女がキョロキョロしていると、バルコニーの窓からバルジオーザが入ってくる。いつの間に外に出たのか、そのあまりの素早さにオリーヴはただただ呆然とした。

 彼はマントを身体に巻き付けるようにしていて、腕を片方出すと、シャツらしき白い布地をテーブルに置く。

 そして、口を開いて何か言おうとしたが、結局二、三回口をぱくぱくさせただけで、バッ! と身を翻して窓の外へ飛び出していった。


「……バルコニーで脱いでたんだ……早業……」

 オリーヴはテーブルに沿って彼の座っていた方へ歩き、シャツを手に取った。そして、ワインの染みのついた箇所を確認すると、一つため息をついてから、それを手に食堂を出て自分の部屋に戻っていった。


 バルジオーザがしばらくして食堂に舞い戻った時には、食堂はがらんとしていた。

(クリーチィは、オリーヴが魚を好むことをエドラに伝えただろうか)

 そんなことを考えながら、バルジオーザは小さくため息をつき、椅子に腰掛ける。

 彼はテーブルに手を載せた。そこに置いておいたシャツは、なくなっている。


 今頃、オリーヴはあの中庭──バルジオーザとオリーヴの出会いの場に似ている(とバルジオーザだけが思っている)あの場所――で、彼のシャツを洗っているのだろう。彼はそう思いを馳せる。

 見に行こうと腰を浮かせた彼は、思い直してもう一度椅子に座った。

(いや、たまには想像だけ楽しむのも良い。彼女の触れたあのシャツが、明日か明後日にはあの匂いと共に、我の肌を包むのだ……)


 バルジオーザがうっとりしていると、声がした。

「ここにおいででしたか」


 ギルフがバルコニーから入ってきたところだった。

「私はフォッティニアに行って参りま……何なんですか、その格好は」

 犬顔の鼻にしわを寄せ、ギルフは言う。

「マントの下は全裸とか、王妃様に一体どう思われたいんですか」


「下は穿いているっ! ほら見ろ!」

 バルジオーザは立ち上がって片足を上げてみせる。

「無礼者め。それでフォッティニアがどうした!?」

「いえ、予言の娘を奪われたフォッティニアがどうしているか、明日あたり少々偵察でもしてこようかと」

 ギルフは立ったまま淡々と言う。バルジオーザはもう一度座り、肘をついた。

「フォッティニア軍が、オリーヴを取り戻しに来るというのか?」

「可能性は、なきにしもあらずかと」

「……いや。ないな」

 バルジオーザは赤い目を窓の方に向ける。

「オリーヴを取り戻しにこの城に乗り込めるくらいなら、直接我を狙うだろう。今までそれができなかったフォッティニア軍に、オリーヴがさらわれたからといって城までたどり着くことができるとは思えん」

「……ごもっとも」

「まあ、偵察してくるのも良いだろう。奴らはどう思っているだろうな? 我がオリーヴを殺さずに連れ去ったということは、あの予言が成就する可能性がまだ残っているということ。しかし、今もオリーヴが生きているかどうかは、奴らにはわからんだろうに」

 バルジオーザは低く笑っていたが、不意に立ち上がり、マントをバッと広げた。

「ふふ……所詮、フォッティニアの人間どもは我の手の上! はっはっは!」


 ギルフが淡々と言った。

「そろそろシャツをお召しになってはいかがです?」


「うるさい」

 バルジオーザはとりあえず、広げたマントをもう一度身体に巻きつけながら言った。

「とにかく、フォッティニアにとってのオリーヴは、今は『危険を冒して助けに行くほど重要ではなく、生きていれば儲けもの』程度の存在であろう。オリーヴは怒るかもしれんがな」

 そして彼は、ふと思いを巡らせる。

「オリーヴは、怒っても美しいであろうな……」

「はいはい。まあ、この城に攻め込めるほどの力はなくとも、例えば魔導師の一人が魔法を使って忍び込み王妃様に近づく、程度はできると考えるかもしれませんよ、あっちは。そうすれば子どもは作れるじゃないですか」

「何だとっ!?」

「可能性の話ですよ。一応、様子を見に行くことにします」

 ギルフは言うと、バルコニーに出て翼を広げ、飛び立って行った。



「……こんばんは」

 翌日の夕食の席に、オリーヴはバルジオーザのシャツを持って現れた。

 前に彼女が洗ったシャツの匂いは、消えかけていたところだった。新たにあの匂いをかぐことができるのだと、バルジオーザは機嫌をよくする。

(ふむ、数日おきにオリーヴの匂いを補給するのも悪くない。いや、むしろ良い。激しく良い)

 シャツはオリーヴからクリーチィに渡され、クリーチィがテーブルの反対側に回ってバルジオーザに渡した。彼は思わず、その場でシャツを顔に近づけてフンカフンカと匂いを嗅ぐ。

「あの……染みが、残って? ちゃんと落ちたと思うんだけど」

 心配そうに言うオリーヴ。彼がシャツを不満げに確認していると思ったのだ。

「問題ない」

 バルジオーザはサッとシャツを顔から離し、脇に置いた。


 静かな食事が始まった。オリーヴは小さな口でもくもくと食事をし、バルジオーザはその様子を楽しみながらグラスを傾ける。

 今日のオリーヴは、また町娘の格好に戻ってしまっていた。自分で洗って着たのだろう。

 もうあんな服は取り上げて、ドレスを何着か用意するか……とバルジオーザが考えていた時、オリーヴが手を止めてふと言った。

「……ほんとに、食事、しないんですね」

 そして、続ける。

「魔お……あなたは、イドラーバの民を生かす力を生み出すと聞いたわ。あなたは戦うのが一番好きで、そういう好きなことをすると、欲望が満たされて力が生まれるんだって。……それじゃ、これからもずっと、フォッティニア軍と戦うの……?」


「フォッティニア軍が弱体化しなければ、な」

 愛らしいオリーヴの声に聞き惚れながら、バルジオーザは答える。

「戦っているうちに、我の血は騒ぎ、身体の深い場所が燃え、力があふれてくる。甘美な時間だ」

その時の感覚が、オリーヴを見つめている時と似ていることに気づきながら、彼は続けた。

「しかし、そうして戦いながら力を生み出し、加速させていくと、相手があっさりやられ始める。つまらん。強き相手と戦いたいものだ。束になってかかってきても良い、戦いを楽しみたい」


「……単に、殺すことが、好きなのかと、思ってた」

 オリーヴはバルジオーザを見つめながら、ためらいがちに言う。彼はそのふっくらした唇を見つめながら答えた。

「激闘の末、相手を殺すのは快感だ。達成感があるからな。しかし、大勢が虫けらのようにボロボロ死ぬのは好かん。何の面白味もない」

「でも……」

 オリーヴは視線を泳がせている。

「あなたたちと違って、人間は、戦ってるうちに疲れてくるわ」

「そうだな。そうすると死に始める。つまらんからそこで引き上げる」

「そう、なの……? に、人間の血肉が好きなのかと……」

(まったく、オリーヴは我らをどんな民だと思っているのだ)

 バルジオーザは心外に思いながら答えた。

「食うつもりもない生き物を殺すなど、無駄だ。目的は戦うこと。戦った結果、負けた方が死ぬ、それだけだ。自然の掟だろう。我らが負ければ我らが死ぬ」

 そして彼は、少々胸を反らす。

「まあ、イドラーバの王が人間ごときにやられるとは思えんがな!」

 直後、彼はハッと口をつぐんだ。

(……しまった。自慢してしまった。女は強いものに惚れてしまうのではないか?)

 バルジオーザは急いで嫌みな表情を作り、付け加える。

「お前を戦場に連れて行き、フォッティニア軍が敗退する様を見せつけてやろうか? 我の強さを目の当たりにすれば、逆らう気も起きまい。フッフッフ」

 本当は、自分の強さを見せびらかしたいバルジオーザである。


 オリーヴはあわてたように首を横に振ると、どもりながら言った。

「そ、そんなことよりっ、あたしは他の物が見たい。ええと、お城の外、とか……だってほら、あたしは元々小さな町で暮らしてたから、イドラーバの町ってどんな風かなって……」

 バルジオーザは首をゆるゆると振り、優しく諭すような口調で言った。

「わが花嫁は、無茶を言う。城の外も、中ほどではないとはいえ、慣れぬ身体にはキツいぞ」

 オリーヴは黙ってうつむき、食事を続ける。バルジオーザはまたグラスを傾けてから、彼女を見た。

「まあ、いずれ我が外に連れて行こう。花嫁を、イドラーバの民に知らしめねばならんからな」

 言いながらも、うわの空で彼女を見つめる。

(しおれている花も、風情がある。どんな表情も我をとらえて離さない、美しい花だ……)


 すると、オリーヴは視線を上げ──微笑んだ。

「じゃあ、慣れたら、お願い、します」


(……っあぁ!?)

 バルジオーザは瞬きをした。

(離れていても構わぬから、二人で町散策をしたいと! そういうことなのだな!!)


 オリーヴが町を歩きながら、時々彼を振り返って微笑む場面が脳裏に浮かぶ。彼はしばらくボーッとしてしまった。

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