11 二人で夕食を
「…………」
緊張した様子のオリーヴに、バルジオーザは扉の隙間から言う。
「似合うぞ……我の見立て通りだな」
そしてすぐに我に返った。
(しまった、オリーヴには黒が似合うと思って我自身がドレスを選んだことを、バラしてしまった。彼女が我に惚れたらどうするのだ、近づいてきてしまうではないか!)
一人で混乱しながら、彼は急いで続ける。
「い、イドラーバの王族そのもののようだ。洗濯など似合わぬことはやめて、それらしくしたらどうだ。お前は我の花嫁、もうここの住人なのだからな!」
彼としては嫌みっぽく聞こえるように言っているのだが、全部本当に思っていることでもあった。オリーヴは王妃なのだから、仕事など必要ない、と彼は考えている。
すると、オリーヴはうつむいた。
「……い、イドラーバの花嫁って、皆こんな風なんですか」
そして、つぶやくように続ける。
「ひたすら一人で時間を過ごして……別に、あたしはいいけど」
その時、きゅうん、と、バルジオーザの胸が締め付けられた。
一体、この気持ちは何なのかと、バルジオーザは戸惑う。
愛おしいのに、辛い。彼女の表情が美しいと思うのに、苦しい。
おそらくオリーヴは、一人で放っておかれるのが寂しいのだ……と思ったバルジオーザは、彼がオリーヴに近寄らない理由をぶちまけたくなってしまった。
(しかし、オリーヴが『あの予言』の内容を知れば、どんな行動に出るか……)
「あの」
オリーヴが顔を上げ、口を開く。
「何だ」
バルジオーザは即座に聞き返す。
(望みがあるなら何でも言え、近づく以外なら何でも叶える!)
オリーヴはつっかえつっかえ言った。
「あたし、その……く、食い意地が張ってて、イドラーバの食べ物も食べてみたいなって……最初に食べた魚も美味しかったし。だから、あたし一人だけフォッティニアの食べ物じゃなくても、あの……」
彼女の話の真意がすぐにはわからず、バルジオーザはオリーヴの心を読みとろうとした。
確かに、エドラがオリーヴに出している食事は、フォッティニアから奪ってきた食材を使っている。
直後、ようやくひらめいて、彼は内心指を鳴らした。
オリーヴは、一人で放っておかれていることに孤独を感じている。食事も何もかも別であることがそれに拍車をかけていて、寂しいのだろう。そのため、イドラーバの民と同じものを食べたいのだ。
しかし、この件に関しては一言、釘を差しておかねばならない。
「お前はイドラーバに慣れていないと言っただろう。いきなりイドラーバのものばかり食べて苦しみたいかっ」
バルジオーザが脅しつけると、オリーヴはまたうつむいてしまった。彼は急いで一気に続ける。
「そんなに寂しいならたまには食わせてやってもいい、我が見張っているところでならな!」
オリーヴは彼を見つめ、目を見開いた。
「寂し……? 見張る?」
「おとなしくしていろっ」
バルジオーザは扉を閉め、身を翻した。
少しずつなら、イドラーバのものを食べても問題ないだろう。彼が見張り、具合が悪くなるようならすぐに何か手を打てばよい。
(それに、今までなぜ気づかなかったのだ)
彼は息を荒くする。
オリーヴは彼の花嫁なのだ。予言のせいで近づくことはできず、寝台を共にすることはできないが――寝台を共にしたら確実に手を出してしまう――、食事なら離れていても、顔を見ながらできるのだ。
(我らは夫婦なのだからな!)
「夫婦っふっふっふ」
ぴょん、と廊下の窓から外に飛び出したバルジオーザは、翼を広げると、玉座の塔に戻った。そして、配下を呼びつけた。
「食堂を整えよ!」
やがて、バルジオーザが楽しみにしていた夜がやってきた。
クリーチィに案内され、オリーヴが食堂に現れる。緊張した面持ちだ。
先にテーブルについていたバルジオーザは、彼女を促した。
「そこへ座れ」
二人は、向かい合って座る。
「……テーブル、長っ……」
オリーヴはつぶやいてテーブルを眺めている。
縦長のテーブルは、イドラーバの晩餐会用のものだ。バルジオーザとオリーヴはその両端にいて、普通に話す声がかろうじて届く距離にいる。
テーブルを一通り眺め渡したオリーヴは、次に広い食堂を見回した。
大昔にこの城に住んでいた人間たちが使っていた食堂だが、イドラーバの民は普段あまり食堂というものを使わないため、バルジオーザが使用人に急いで掃除させたのだ。テーブルも何もかも磨き上げられている。
エドラが、ワゴンに食事を載せて運んできた。
「オリーヴ様、今日はここで食事! 王様と一緒、素敵ですよネ!」
彼女の前にずらずらと料理の皿を並べながら、エドラは解説する。
「これ、この果物は『ウーヤ』。イドラーバの。美味しいのヨ。はい、こちら王様のですネ」
「お前は早く下がれ」
バルジオーザは手で宙を払う仕草をする。
エドラは肩をすくめ、彼の前には葡萄酒の瓶とグラス、それに果物の載った皿だけを置くと、
「たくさん食べて下さいですネ!」
とオリーヴに話しかけてから下がっていった。
オリーヴは、自分の皿とバルジオーザの皿を見比べて戸惑った様子を見せたが、
「あ、そうか……こっちの人は食べなくてもいいんだ……」
とつぶやいた。
バルジオーザはグラスを手に取り、掲げた。
「我が花嫁との、初めての晩餐に、乾杯」
(……少々、格好をつけてしまった。オリーヴが我に惚れたら困るな)
バルジオーザは急いで促す。
「さっさと食え」
あまりゆっくりしていると、またオリーヴの身体に影響が出てしまうだろう。
オリーヴは小さくうなずき、食べ始めた。
(寂しいからイドラーバのものを食べたいなどと、まことにオリーヴは愛らしい)
バルジオーザは、彼女の様子をうっとりと見つめる。
(まるで、イドラーバの──我の色に染まりたい、というかのようではないか。我はオリーヴの洗ったシャツの匂いに包まれ、オリーヴは我の色に染まる。実に! 夫婦らしい!)
彼はオリーヴの姿を肴に、グラスを傾けた。
こんなに酒を美味く感じたことは、今までなかった。
――そんなバルジオーザを、オリーヴはちらちらと見ながら食事を続ける。
(意外とあっさり、イドラーバのものを食べるの、許してくれたよね……)
彼女はスプーンでスープをすくいながら、考えた。
先ほど、バルジオーザは「寂しいならイドラーバのものを食わせる」と言ったが、オリーヴにはいまいち意味がわからなかった。寂しい、などと口にしたことなどないからだ。
もちろん、口に出さなくとも寂しいに決まっている。故郷から引き離され、このような場所にたった一人で閉じ込められているのだから。しかし、今はそんなことを言っている場合ではない。
とにかく、彼女が部屋から出てイドラーバの空気に触れることも、イドラーバの食べ物を食べることも、バルジオーザは禁じていない。オリーヴにはそれが不思議だった。入浴も、結局はイドラーバの湯に全身浸かったということになり、この国に馴染むのに一役買っているような気がする。
(さらっておいて閉じこめておくんじゃなく、まるで慣れて欲しいみたい。逃げやすくなるのに、いいの?)
「お……お前を」
バルジオーザが何か言いかけて、一度咳払いをしてから言い直した。
「お前をさらいに行ったとき、お、男がいたな。あれは誰だ」
オリーヴは軽く首を傾げたが、すぐに思い出す。
「ああ……あの軍人さん……」
「知り合いか」
「いいえ」
彼女は答えながら、考える。
オリーヴがフォッティニアからの助けをいまだに期待していることなど、バルジオーザはお見通しだろう。しかし、そんな素振りを見せることは弱味を見せることのようで、彼女は嫌だった。
「あたし、元々軍人は苦手なので」
彼女は意識して、そっけなく言う。
(本当に軍人は嫌いだから、嘘はついてないし。魔族だって嫌いだけどね!)
「軍人が苦手? なぜだ」
面白そうに、バルジオーザはグラスを揺らす。
「あたしの父が、軍人だったらしくて」
オリーヴは正直に言う。父と思われる男が誰なのかはわからず、大好きな母は既に亡いのだから、彼女の弱みにはなりえない。
「母が身ごもったときに、その人は自分の子だと認めず、母を捨てたそうです。だから、軍人は嫌い」
「そうかそうか」
バルジオーザはなぜか、彼女の目にはとても機嫌が良さそうに見える。
(ほんとに、変。魔王は、あたしといて楽しいの?)
それならその方がいいのかもしれない、と、彼女は考える。なぜなら、バルジオーザがもしも退屈したら、おそらくフォッティニアに戦いに行ってしまうからだ。一番好きなのは戦うことだと、エドラが言っていた。
(……惹きつけておくことって、できるかな)
オリーヴはふと、そう思った。
どういうわけか、バルジオーザは彼女に近づいてこない割に、彼女を気に入っているらしい。もしオリーヴが少々思わせぶりな態度を取れば、彼はもっと喜び、戦いになど行かなくなるかもしれない。そうすれば、フォッティニア人が死ぬこともなくなるのだ……
(な、何を考えてるの、あたし。魔王を誘惑しようって?)
ちらりと視線を上げる。長い長いテーブルの向こうで、白銀の髪の陰から赤い瞳がこちらを見つめている。
変な汗をかきはじめたオリーヴは、それをごまかすようにイドラーバの果物に手を伸ばした。元々の形はわからないが、食べやすいように丸くくり抜かれたそれをスプーンですくって口に運ぶ。口の中に甘い果汁が広がり、さわやかな後味を残して消えた。
「どうだ」
バルジオーザが尋ねてきた。
「……美味しい、です」
オリーヴは答える。
そして、彼女は少しだけ、笑って見せた。
バルジオーザは目を見開き、口も半開きという状態で、そんな彼女をじっと見つめている。オリーヴはひるんだが、やがて一度ゴクリと唾を飲み込んだ。
「あの」
彼女は意識的に視線を料理に落とし、続ける。
「また、ここで食事をしても、いいのかしら……。寝台じゃ、食べにくくて」
「もちろ……か、勝手にしろっ」
バルジオーザは勢いよく言った。そして、くわっ、とグラスの葡萄酒を一気に飲み干した。
(……言っちゃった。まるで、あたしが魔王と一緒に食事をしたがってるみたいな言葉を……)
オリーヴはこっそりと、ため息をつく。
こうしてその日の夕食は、バルジオーザはひたすらご機嫌、オリーヴは戸惑いと緊張のうちに終わった。