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10 脳裏をよぎる過去

 そんな風にギルフがバルジオーザを公務に集中させていたおかげで、オリーヴは誰に覗かれることもなくゆっくりと、湯につかることができた。


「あー。悔しいけど、いいお湯でした……」

 オリーヴは名残惜しく思いながらも、湯から上がる。肌がすべすべする、と思いながら自分の身体のあちこちを眺めると、がさがさだったはずの手がほとんど治り、綺麗になっていた。

「私の手って、仕事で荒れていないとこんな風なんだ……」

 自分の手ではあったが、見とれてしまう。髪も指通りがいい。囚われの身でなければ、もっと楽しめただろうと思いはしたものの、その不思議な効果のある湯は確かにオリーヴの心身を癒していた。

 

 クリーチィが置いておいたらしい布で身体を拭いた彼女は、現実に引き戻された。

「こ、これ、着るの……?」

 置かれていた服を、両手で広げて目の前にぶら下げ、思わずつぶやく。黒いそのひらひらした布は、向こう側が透けて見えていた。

「透け透け……あ、待って、まずこっちの胸当てを巻くから、胸は透けないのか。スカートも透けないし、新しい下着もちゃんとあるけど。うーん」

 高級な布地ではあるものの、まるで踊り子のような色気のある服だった。そのような格好をさせられるということは、やはり今日、バルジオーザに何かされるのだろうか……と、オリーヴはためらう。

 しかし、他に着る服もない。着てきた服はクリーチィが持ち去ったらしく、小部屋にはなかった。

彼女は仕方なくそれを身につけると、腕で身体を抱くようにしながら扉を開けた。

 廊下に出ると、クリーチィが待っている。

「あの、クリーチィ、あたしの服」

 言いかけた彼女を、クリーチィは少し急いだ様子で促した。先に立って歩き出しながら、「チィチィ!」と手招きする。

「何……あ」

 一歩踏み出したとき、軽いめまいを覚えて、オリーヴはクリーチィが急いでいる理由を理解した。彼女の身体はまだ、イドラーバに慣れてないのだ。


 部屋に戻ったときには、オリーヴはフラフラになっていた。クリーチィが先に寝台に駆け寄り、いくつかの枕を背板のあたりに積み上げてくれ、オリーヴは寝台に上るとそこに寄りかかるようにして倒れ込む。

 クリーチィが水差しからグラスに水を注いで、彼女の口元に持ってきた。それを飲むと、だいぶ楽になった。

「ありがと……」

 オリーヴが微笑んでうなずくと、クリーチィは安心したようにひげをピコピコさせ、そして部屋を出ていった。


 目を開けていると視界がぐるぐるして気持ち悪いので、オリーヴは目を閉じる。

 もし今、バルジオーザが現れたら、こんな状態では何をされても抵抗できない。本当の意味で、花嫁にさせられてしまうだろう。

(魔王に抵抗したって、無駄なのかもしれないけど……せめて、初めては、普通の人間が良かったな)

 朦朧としながら、彼女はそんな風に思った。

(でも、ガーヌの町にあたしと付き合ってくれるような男はいなかったんだからしょうがない。あたしと仲良くして領主様に睨まれるのなんか、誰だって嫌だもん。男だけじゃない、町の誰だって……)


 目を閉じているせいか、過去の出来事が目蓋に浮かぶ。

 最初に脳裏に現れたのは、オリーヴの母だった。黒髪も艶やかな、オリーヴの自慢の美しい母。

 しかし、そんな母にガーヌ領主の息子が目をつけた。妻にするのは領主が許さず、反発した息子はある日突然、オリーヴの家に押しかけて来た。そして、母を無理矢理連れ出したのだ。

 数日後に見つかった時には、母は変わり果てた姿に――


 急いで目を開くと、その光景は一瞬で消えた。

 オリーヴは息をつく。

(あたしも、母さんのように、知らない空の下で死ぬのかな。ガーヌを、離れていれば良かったのかな……)


 昔の記憶と、気分の悪さにしばらく耐えているうちに、ようやく意識がはっきりして気分が直ってきた頃。

 トントン、とノックの音がした。バルジオーザではないか、と、オリーヴは怯えて扉をただ見つめる。


 しかし、入ってきたのは彼ではなく、盆を捧げ持ったクリーチィだった。

 クリーチィは脚付きの盆をオリーヴの膝に置くと、盆の蓋を取る。

 今日も、美味しそうな食事が並んでいた。エドラが腕によりをかけたのだろう。

 

 ──オリーヴはだんだん、ムカムカしてきた。

 具合が悪いためではない。怒りのためだ。

  

 フォッティニアから奪ってきた食料は、今はこうして調理されオリーヴに出されている。しかし、彼女が食べることを拒否し、食材が余れば、イドラーバの民の口に入るのだろう。そんなことでいいのだろうか、と彼女は思う。

 オリーヴはしばらく料理を見つめたのち、パンに手を伸ばした。

(……食べよう)

 パンにかぶりつく。

(これはあたしの、フォッティニアのものだ。あたしが食べるんだ)

 

 オリーヴは逃げなくてはならない。そのためには、イドラーバの空気に少しでも慣れ、食事をしっかり取らなくてはならない。ならば、食べよう。そんな風に彼女は考えたのだ。

(フォッティニアの人たちも、きっと許してくれる!)

 クリーチィが彼女の様子を見て、ひげをピコピコさせて出て行った。


 食べられるだけ食べ、食事を終えたオリーヴは、また部屋を出た。適当な部屋からテーブルクロスを持って戻ると、中庭で洗い始める。

(魔王が来たって、綺麗なドレスが濡れたって、構うもんか!)

 厨房でもらった灰を水に入れておいた上澄み――灰汁と、ガーヌの町の近くで採れる特別な土、それにオリーヴがガーヌの近くで見つけたハーブを混ぜた水に、テーブルクロスを浸ける。揉んだり、板の上で棒で叩いたりしながら、汚れを落としていく。

 洗濯に使う特別な土の採取場所は、オリーヴの母が、オリーヴの祖母から受け継いだ秘密だった。この土には、油汚れを吸う力がある。そしてオリーヴもその秘密を受け継いだため、染み抜き屋も評判のいいままで受け継ぐことができた。

 ガーヌを離れてしまえば、土をとりに行けなくなり、受け継がれた大切な秘密も手放すことになる。そのために、町で色々なことがあっても、彼女は町を離れる気にならなかったのだ……


 考え事をしながら無心に洗っているうちに、テーブルクロスはすっかり綺麗になった。ゆすいで絞ったそれをオリーヴは物干し竿に干し、ぴんと張る。

(よし、目標、百枚! この城の布を毎日少しずつ洗って、百枚洗う頃には、きっとイドラーバの空気に慣れてるはず!)

 自分を励ました彼女は、ふとあることに気づいて「あ」と声を上げた。

「あたしにフォッティニアのものを食べさせるために、魔王はこれからも、食材を奪いにフォッティニアに行くの? それは困る……な」

 そうさせないためには、どうすればいいだろう。

 考え込んだオリーヴは、一つの案を思いついた。

(あたしが、イドラーバのものを食べるようになればいい。そうよ、イドラーバのものを食べた方が、身体が早く慣れるんじゃ?)


 イドラーバのものを食べたい、とバルジオーザに言ってみようか。しかし、どんな理由をつければ聞いてくれるだろう。オリーヴは考え込む。


 その時彼女は、草原部屋と中庭を繋ぐ扉が、細く開いているのに気づいた。

 赤い瞳が覗いている。バルジオーザが来たのだ。


 バルジオーザは元々、ギルフの報告を聞いたらオリーヴのところに行くつもりだった。

 そこにクリーチィがやってきて、オリーヴが入浴後しばらくして食事をしたと伝えたのだ。


「うむ、ご苦労!」

 彼は機嫌良くクリーチィをねぎらうと、玉座の間のバルコニーから飛んだ。いつものように開いた窓から別館の廊下に降り立つと、彼女の部屋に向かう。


 オリーヴは、中庭にいた。洗った布を干している。

 ドレスからすらりと伸びた腕、艶やかな髪。ベストの薄布から透けて見える、腰のくびれ。傾けた顔のすべらかな頬は薄紅色で、体調も良さそうに見えた。

(よしよし、やはり入浴させたのは正解だった。オリーヴは気分転換したかったのだな!)

 バルジオーザは嬉しくてたまらない。

(フォッティニアから連れてこられたのだから、鬱々とすることもあるだろう。死なないように気をつけてやらねばなるまい。これからも入浴は自由にさせてやろう。そして覗こう。いやいやいやいや)


 ──気がつくと、オリーヴが彼の方を見ていた。

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