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9 薄紅色の妄想

 廊下の奥の方を振り向いたクリーチィは、珍しくいらだった声を上げた。

「チィチィ!!」

 柱の陰から、角のある人影が現れる。もちろん、様子を見に来たバルジオーザである。


 彼は文句を言った。

「お前がさっさと報告しないからだっ! 新しい服は置いたのだろうな!?」

「チィッ」

 クリーチィは返事だけはしたが、その後はつんと鼻先を上げて浴場の扉の横に立っている。オリーヴが入浴を終えるまで、そこで見張るつもりなのだ。

「ふん。我は玉座に戻る。今度は報告を怠るなよ!」

 バルジオーザは肩をいからせながら、窓を開け外に飛び出した。


 イドラーバの城は崖の上にあり、いくつもの塔がつながった形になっている。玉座は中央の最も高い塔にあり、長の年月で階段の一部が崩れているため、オリーヴのようなごく普通の人間が上るのは難しい。

 そしてオリーヴが暮らしているのは、尖塔群のすぐ横に独立して建つ、低い建物だった。その建物のあちこちと尖塔群のあちこちを、バルジオーザの力で繋いだり切り離したりすることで、彼はオリーヴの生活を調整している。


 クリーチィに命じて、オリーヴを浴場のある塔へと案内させたのは、バルジオーザだ。

 女は綺麗にすることが好きなはずだ、それはイドラーバの女もフォッティニアの女もおそらく変わらぬはず――そう彼は考えた。

(イドラーバの誇る温泉をひいた、我が居城の浴場なら、きっとオリーヴも気に入るに違いない!)


 オリーヴが喜び、気分が良くなることで、食欲を戻してくれることを彼は期待した。死んでしまったら、彼女のあの薄紅色の頬が見られなくなってしまう。

 オリーヴが弱って息絶えるところを想像すると、バルジオーザは胸が苦しくなる。まだ生きている誰かが死ぬところを想像して苦しくなるなど、彼にとって今まではなかったことだ。


 自身の、今までにない心の動きを、バルジオーザは不思議に思いながら――

 クリーチィがオリーヴを浴場に案内する後をつけ、二人が中に入った後は浴場の前をうろうろしていた。オリーヴの様子を知らせるように、クリーチィに命じてあったのだ。

 しかし、クリーチィは彼女と浴場に入ったきり、戻ってこない。


(クリーチィは何をしているのだ。何かあったのだろうか)

 浴場が気に入らず怒っているとか、食事をしていないために具合が悪くなっているとか、様々な可能性が彼の頭を駆け巡る。

 キリッ、と、バルジオーザは浴場の扉を見て、決断した。

(覗くしかないではないか。うむっ!)

 

 バルジオーザは廊下の扉から、脱衣所として使われている小部屋に入った。ザアア、と湯の流れる音はするのだが、静かだ。オリーヴとクリーチィの気配はするのだが、なぜこんなに静かなのだろう、と彼は不思議に思う。

(オリーヴは、入るか入るまいか迷っているのだろうか。それとも、もしや、もう全裸で湯に浸かっていて……クリーチィは何か手伝いをしていて出てこられないだけ、ということも……手伝いって何だ、背を流すとかそういうことか。オリーヴの、裸の背中を……)

 浴場に通じる扉が、細く開いている。扉だけでなく、湯気まで薄紅色に染まっているような気がした。

 バルジオーザはふらふらと扉に近づき、中を──


 ──覗いたのが、ちょうどオリーヴが服を脱ぎ去る瞬間だった。

 

 ブホッ。


 彼は鼻を押さえて斜め後方にのけぞり、そのまま横に一回転ひねりして廊下へ飛び出した。 

(ふ……服の上からではわからないものだ……何だあの下着姿の身体の線は、乳房の盛りは! けしからんっ!!)


 バルジオーザは素早く力を使い、鼻血を止める。しゅうっ、と鼻から煙を噴きながら荒い息をついていたところへ、クリーチィが出てきたというわけだ。

 クリーチィにしてみれば、覗いていたことをオリーヴに隠しただけ、バルジオーザには感謝してほしいものである。


 クリーチィが扉の前から動かないので、バルジオーザは仕方なく窓から外へと飛び立ったものの、玉座に戻る前に少し寄り道をした。

 浴場の外側に回り、換気用の窓のところまで行く。

 しかし窓は細く、中には湯気が立ちこめていた。

(ううむ、何も見えな……いや、何か肌色のものがうごめいて……曲線が……)


「何をしてらっしゃるんですか」


 突然、バルジオーザの背後から低い声がした。

 バッ、とマントを翻して、彼は振り向く。


「隙だらけですよ、バルジオーザ様」

 翼をはためかせながら、呆れた声で言ったのは──

 黒い犬の頭部を持つ、長身の男。バルジオーザの側近であり参謀の、ギルフだった。


「視察から帰ってみれば、なぜフォッティニア人の女が城にいるんです」

 ギルフはバルジオーザの肩越しに、軽く首を伸ばして浴場の窓を見た。

「見るな!」

 バルジオーザは翼を大きくはためかせると、ガッ、とギルフの襟首をつかんで舞い上がった。


「あれが予言の娘?」

 ギルフは鼻にしわを寄せ、首を振った。二本の角が揺れる。

 バルジオーザの執務室で、彼とギルフは向かい合わせにソファに腰かけていた。

「殺しに行ったんじゃなかったんですか?」

 いぶかしげに尋ねるギルフに、バルジオーザは足を組みながら答えた。

「美しかったので連れ帰った。我の花嫁にする」

「はぁ? 花嫁ったって……」

 ギルフはまだ鼻にしわを寄せたままだったが、やがてため息をついた。

「バルジオーザ様が、フォッティニアの女にそれほど執着なさるとは。イドラーバにもいくらでも女はいるではないですか」

「オリーヴが良いのだ!」

「何でその女だけなんです? 私にはよくわからないな」

 ギルフは首を傾げる。特定の女に執着する男はイドラーバでは珍しいため、彼には理解しがたいのだ。


 バルジオーザ自身でさえ、理解できない。女など、いくらでも代わりはいるのに、なぜこうもオリーヴでなくてはならないのか。

 しかし、理解できなくとも、彼はイドラーバの王らしくやりたいようにやるだけだった。


「我にもわからんが、花嫁はオリーヴでなくてはならんのだ。他の女はいらぬ」

「まあ、バルジオーザ様がそれでいいなら、私は何も言いませんがね。『あの予言』の通りになってもいいってことでしょう?」

「男を近寄せなければいいだけの話だ。お前が近寄ることも禁ずる。いいな」

 彼は威厳たっぷりにギルフをにらみつけ、続けた。

「禁を破れば、お前とて容赦はせぬ」

「え? いや、私が近寄らないのはいいんですけど……花嫁とか言いながら、バルジオーザ様も近寄らないってこと、ですか?」

 ギルフは耳を立てて目を見開いた。

 そして、空気を漏らすような笑い声を立てた。

「フフ……それでああやって、浴場の外からチラチラと……フフフ、笑えますね」

「笑わなくていいっ。とにかく、お前は館にも近寄るなっ」

 バルジオーザはローテーブルをバン、と叩いた。その拍子に、テーブルの上のグラスが割れる。ギルフは軽く肩をすくめた。

「はいはい。じゃあ、あの別館は、どこぞの国の『後宮』みたいにするわけですか? バルジオーザ様以外の男は近づけず、エドラやクリーチィなど女だけが出入りする……。またよりによって、面倒な女を囲ったもんですね」

 そしてギルフは、笑いを納めて淡々と尋ねてきた。

「で、結婚式はいつになさいます?」 


 バルジオーザは目を見開いてのけぞった。

「けっ、けっこん、しき!?」

 ギルフは首を傾げる。

「あれ、『花嫁』とおっしゃったので、一応ご結婚なさるものと。イドラーバの民に、王妃を知らしめないんですか?」


 その瞬間、バルジオーザの脳内に、一気に妄想の世界が広がった。その世界は、先ほど覗いた浴場のような、薄紅色の湯気に包まれている。


 湯から上がったオリーヴは、小部屋で新しい服を身にまとうだろう。バルジオーザが用意したものだ。

 それは、イドラーバの人型魔族の中でも、位の高い女が着るドレスだった。黒の胸当てに、葡萄酒色の腰穿きの長いスカート、その上に透ける素材の黒く長いベストを着る。ベストには光る糸で刺繍が施され、腹あたりの透ける肌にその模様が這う。


(あのドレスを身にまとい、我の伴侶になることを誓うオリーヴ! 城のバルコニーで、ちらっと我を見て恥じらいながらも、民に向かって手を振るオリーヴ!)

 バルジオーザの妄想は止まらない。彼女が結婚を喜ぶはずがないのはわかっているのだが、なぜか胸が熱くなるのだ。

 しかし――

 さんざん妄想したところで、オリーヴは予言の娘だ。『あの予言』がある限り、バルジオーザは彼女に近づくことはできない。


 彼女が、予言の娘でさえなければ。

 そう思いかけたバルジオーザは、首を振った。予言があったからこそ、彼は彼女を見いだしたとも言える。

(もちろん我は、オリーヴに近づいて触って抱きしめてあれこれしたい。が、それができなくとも彼女を、なるべく近くに置きたいのだ。あの姿をいつでもじっくり見つめて愛でられるのなら……。くーっ)

 彼は拳を握り締めた。

(た ま ら ん)


 ハッ、と彼が我に返った時には、ギルフがため息をつきながら部屋を退出しようとしていた。

「待てギルフ、視察の報告はどうした!」

「ああ、覚えておいででしたか」

 ギルフが向きを変えて戻ってくる。

「一応ちゃんと聞いて下さいよ、イドラーバの国王であらせられるのですから」

「わかっている、さっさと報告しろ!」

 バルジオーザは手の甲で鼻血を拭った。

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