2. 再会
ジャックが再びこの街にやって来たのは、それからちょうど一年後だった。
今までの経験から、ジャックは人を信用しない男だったのだが、冷たい風が吹く頃になるとあの商人の娘の顔がちらついた。
妙だとジャックは思った。
今まで旅をしてきた中で、その街はなんら変わりがなかったのにもかかわらず、一年間ジャックの記憶に留まり続けていた。
ジャックははじめ、シャルロットが自分のことを忘れてしまってはいないかと懸念していたが、別れ際にシャルロットが嬉しそうに手を振っていた様子が頭をよぎり、やはり約束したからにはと再び街にやって来たのだった。
寒空の昼下がり、ジャックは通りを歩いていた。
去年はごちそうに豪華な客室と盛大にもてなしてくれたことを思い出し、パーシーズ親子になにか手みやげでも用意すればよかったと考えていた時だった。
急に強い風がジャックの顔に吹きつけた。
それは一年前の風と同じようにジャックの頭から帽子をさらい、空を舞った。帽子はすぐに落ち、石畳の地面を転がって一人の町娘の前で止まった。
ジャックは帽子を拾ってくれた娘の元へ駆け寄った。
服装が粗末だったために町娘だと思っていたが、近くで見るとどこかの屋敷の小間使いかメイドのようだった。
「やぁ、すまない。ありがとう」
ジャックがそう声をかけた時、娘は顔を上げた。
彼女の顔を見た瞬間、ジャックは目を疑った。
「シャルロット……?」
そう、その粗末な服装に身を包んだ少女は、まぎれもなくあの豪商の娘シャルロットだった。
彼女の方も偶然のめぐりあいに驚きの声を漏らした。
「まぁ、ジャックさん……!」
「一体なぜ、ここに……ああ、例の活動か。君の心構えは賢明だが。さすがに君の父上は小言を……」
シャルロットは帽子を手渡しながら、悲しげに微笑んで言った。
「……父はもういないのです。その、3ヶ月前に……」
死にましたの。シャルロットがそう言ったのに、ジャックは驚きのあまり愕然とした。
「なに……? だ、だが……あんなに元気そうだったじゃないか! 一体どういうことだ。事故にでもあったのか?」
シャルロットは下を向いて唇を噛み締めていたが、ゆっくりと顔をあげた。目には涙を溜めて首を振った。
そういう死に方ではなさそうだった。
殺されたのか。
ジャックは眉を潜めた。
「説明してくれ、何があった」
「説明するほどのことは……。後ろから刺されたということしかわからず、犯人はわからないままですの。父はいろんな人と関わって来ましたから、誰かに恨まれていたのかもしれません」
シャルロットが両手で涙が溢れるのをおさえている様子を見て、ジャックは同情した。
パーシーズ氏が亡くなって、彼女は心に相当な痛手を負ったに違いない。彼は慰める術を知らず、ただシャルロットが泣き止むのを待つばかりであったが、彼女の粗末な服装を見て疑問を抱いた。
「今はどうやって暮らしている? 屋敷はどのくらいまで維持できそうなんだ? パーシーズ氏の財産なら……」
「いいえ、ジャックさん」
ジャックの言葉をシャルロットは遮った。
「もう今はあそこに住んでいません。屋敷と財産は、私の叔父に相続されましたの」
「君の叔父?」
「ええ。私は結婚していませんし、父のような仕事はできません。叔父には、父の……パーシーズ家の屋敷を維持できるほどの経済力がありますから」
シャルロットの暗い表情から、ジャックは薄々と状況を感じとった。彼女は叔父にそう言いくるめられたようだ。
シャルロットは続けた。
「私も最初の頃は、自分で働いて貯めたお金で屋敷を取り戻すつもりでした。でも……」
シャルロットは自分の粗末な服装を見下ろして自嘲するように笑った。
「メイドの仕事では一生かかっても無理ですわよね。ジャックさんが前に、私を支えてくれる男と結婚しろとおっしゃっていた理由が今になってやっとわかりました。でももう後の祭り。持参金のない私など、だれもお嫁にもらってくれませんわ」
無邪気で天真爛漫だったシャルロットが、こんな笑い方をするようになってしまったとは。
ジャックはしばらく沈黙していたが、やがて言った。
「……俺は約束は守る。今夜もあの屋敷に泊めてもらうぞ」
「無理ですわ! 叔父は父とは違います。私ですらあの屋敷に足を運ぶことは許されません。私が今、小間使いをさせていただいている屋敷に泊めてもらえるよう頼んでみますわ。とても良い人達ですのよ」
ジャックは笑って首を振った。
「わかっていないな。俺はピョートル・セルビーノだぞ? 今夜までに屋敷を取り返してみせよう。第一、君には借りがある」
そういうと、ジャックはシャルロットから帽子を受け取り、不安そうな顔の彼女を残してまっすぐにパーシーズ邸へ向かった。
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シャルロットの叔父、ベンジャミン・パーシーズは自室の寝椅子で酒瓶を片手に昼寝をしていた。
ベンジャミンはシャルロットの父セドリックの弟であり、正義感の強い兄と違って影の裏社会で生きている人間だった。
昔、彼は死んだ父親の遺産と屋敷を兄セドリックと分けたのだが、兄は遺産は一切受け取らず、屋敷だけを選んだ。というのも、セドリックには自分の営む仕事と財が多少なりともあったためである。妻と娘と共に安定した暮らしを送るためには、莫大な金よりも暖かく馴染みのある屋敷の方が必要だった。
弟ベンジャミンは喜んで同意し、遺産を受け取って数年遊んで暮らした。だがやがて金庫は空になり、屋敷を選べば良かったと後悔しはじめた。
どうすれば自分のものになるか遺産交渉人と相談して、結局兄が死ななければどうにもならないと分かった。
また兄が死んだとしても、彼の一人娘のシャルロットに屋敷が渡ってしまう可能性もあった。
彼女が結婚して屋敷に権力を持った男と暮らし始めたら、それこそもう手が出せない。今のうちに手を打っておかねば……。
強欲なベンジャミンは焦った。そして、ついに3ヶ月前、それなりの職業の者に頼んで兄の暗殺を成功させたのだった。
姪のシャルロットも容易に言いくるめて屋敷から追い出すことができた。兄の莫大な財産を手に入れる事もできた。ベンジャミンは有頂天の暮らしを送っていた。
窓はカーテンで閉ざされ、薄暗い部屋にはベンジャミン以外にだれもいなかったーーいや、いないように見えた。
ベンジャミンはかすかな物音で目が覚ました。首に冷たい物が当たっている。なんだこれは。頭を動かそうとした瞬間何者かに首を押さえつけられていることがわかった。それでも無理に動かそうとすると、次に首にスッと痛みが走った。自分の首には短剣が押し付けられているのだ!
ベンジャミンは慌てた。
「だ、だれだ! 一体何のつもりだ!」
するとすぐ耳のそばで世にも恐ろしい声がした。
「それに答える前に、お前が3ヶ月前に死んだセドリック・パーシーズ氏の弟ベンジャミンなのか確かめたい」
ベンジャミンは、その低い声に本気で怖じ気づいてしまい、震える声で言った。
「そ、そ、そうだ。きさ、貴様は何者だ? 悪魔の手先なのか? 何しにきた?」
短剣を持った人物は低く笑った。
「名誉な褒め言葉だが、残念ながら俺は悪魔ではない。この辺りではピョートル・セルビーノとして知られている」
それを聞いて、ベンジャミンは凍りついた。
ピョートル・セルビーノ。
この街一体の裏社会に属する人間なら、誰でも知っている名前だ。生業は謎、大金を要求するが、彼の手にかかればできないことなど存在しない。そして驚いたことに、彼の姿を見たものはだれもいないという話だ。ある者は悪魔の使い、またある者は悪魔に魂を売った男と噂している。それゆえに、どの組織も彼を畏怖していた。
「知っているなら結構。そしてこれも知っての通り、お前の兄、パーシーズ商会の主人が、3ヶ月前に何者かに暗殺された。あれは殺し屋アドルフォ・ガッソの手口だ。奴は大金さえ約束すれば巧妙にやり遂げるが、同じく大金を積めば口を割るのも早い。誰の指示で動いているのかすぐに吐いた」
ベンジャミンは暗闇で目が慣れてきても一向に姿が見えない相手とその話に、怯えきっていた。声は続けた。
「何の思惑で誰が誰を殺そうが、俺の知ったことじゃないが、お前の兄が殺されるのは俺にとって不都合だった、非常に。不都合を起こさせた障害である人間を、俺は生かしておかない性分なんだ。そういうわけで、今日俺はあんたの元に来たんだ、兄殺しのお前の元にな」
ベンジャミンは恐怖のどん底に突き落とされていた。殺される。死んだ兄が地獄から遣わした男が来ているのだ。
「な、な、なんでも」
やっとのことで、声を絞り出した。
「なんでも致します、だから、ど、どうか命だけはお助けを……お慈悲を……」
その蚊のなくような声を聞いて、声は少し黙ってから言った。
「兄を殺した後、彼の娘に相続権があったにもかかわらず、お前が横取りしたときいた。その娘がお前の唯一の生き残るチャンスだ」
なぜそんなことまで。ベンジャミンは相手の人物が本気で悪魔だと確信した。
ピョートル・セルビーノは続けた。
「今すぐに遺産交渉人を呼んで、残った遺産と屋敷を彼女に返すんだ。今日の真夜中までに彼女が屋敷に着いていなければ命はないと思え。それ以降は認めない。そしてお前は明日の朝にはこの国を去り、二度と戻るな。それが生き残る条件だ」
最後の言葉が部屋に反響すると共に、いつの間にかベンジャミンの首の下にあてがわれていた短剣が消え、人の気配もなくなっていた。
出先から戻り、夕方から星が空に輝くころまで、シャルロットはずっと貴族の屋敷のキッチンで働いていた。給仕係からの命令を受けて、何人もの同僚と晩餐の仕度に取りかかっていた。
豪邸に住む娘として育てられたシャルロットには下働きの仕事は苦であったはずだが、彼女にとっては、労苦よりも最愛の父親を失ったことが最大の悲しみであった。5歳で母を亡くしてからずっと父と2人だったのだ。セドリックの存在は大きく、今でも時々夜に枕を濡らしていた。
だが、今日ジャックの姿を見て、気持ちが和らぎ悲しみから少し救われた気がした。約束通り、またこの街を訪れてくれたのだ。彼は旅人だけど、私にとっては大事な味方だわ。そう思うことが彼女を強くさせていた。
晩餐が終わり、その後片付けとして皿洗いをしていた時、キッチンの裏口からノックの音がした。
給仕係がドアを開けると、きっちりした身なりと髭の男が立っていた。
「こんばんは。夜分にすみません。私は遺産交渉の会社で働いている者です。失礼ですが、この屋敷でパーシーズ氏の令嬢、シャルロット様が働いているときいたのですが、いらっしゃいますでしょうか?」
給仕係は驚いてシャルロットの方を見た。
シャルロットもびっくりして言った。
「私がシャルロット・パーシーズですが……」
それを聞いた交渉人は安堵した顔をして言った。
「ああ、よかった! 見つけるのに苦労しましたよ。シャルロット様、あなたに亡きお父上、セドリック様の屋敷が遺産として相続されることになりました。パーシーズ氏の弟君、ベンジャミン様がそう保証しています」
シャルロットは目を見開いた。
「お、叔父様が……? どうして急に?」
交渉人は肩をすくめた。
「さぁ、私も詳しいことは存じませんが、 今夜中にあなたに屋敷を引き渡すように言われました。ひどく慌てたご様子でしたが」
シャルロットには訳が分からない。葬式のとき、あんなに自分に冷たかった叔父が急に心変わりしたのだろうか。
交渉人が加えて言った。
「申し訳ありませんが、今すぐ屋敷に向かっていただけますでしょうか。というのも、真夜中までにあなたを屋敷にご案内しなければならないとのことでして」
交渉人が追い立てるままに、シャルロットは雇ってくれている主人に事情を話してすぐにパーシーズ邸へ向かった。交渉人はシャルロットを屋敷の出入り口まで案内するとほっとしたように去っていった。
屋敷には小さなあかりが灯されている。
ベンジャミン叔父様かしら……?
シャルロットは緊張しながら、久しぶりに触れる玄関の扉を開けた。ロビーには誰もおらず、静まりかえっていたが、燭台には火が灯り、どこからか人に見られているような気さえした。
シャルロットはどぎまぎしながら、懐かしい屋敷の中を歩いてまわった。と、二階の方から物音が一瞬聞こえた気がして、シャルロットは顔をあげた。
泥棒や盗賊の住処になっていたら……と、不安になったが、勇気を出して二階への階段を上り始めた。
階段の燭台にも灯りが灯されていて、まるで父親が死ぬ前のころに戻ったようだった。そうよ、あの時は召し使いやメイドたちがいつも明るいままにしてくれていたのだわ。
シャルロットは上りながら、懐かしい日々のことを思い出していた。しかし、もうあの頃のようには戻れない。彼らを雇っていたのはセドリックなのだ。父がこの世を去った今となっては、彼らをもう一度雇う金を用意することは彼女にはできなかった。叔父に屋敷と一緒に父親の残した財産まで巻き上げられたのだ。屋敷が戻ったとしても、浪費家の叔父が財産を残しているとは思えなかった。
階段を上り終えると、暗い廊下に出た。
ズラリと並ぶドアの1つが少し開いていて、その部屋からあかりが漏れていた。あそこは居間だ。
どうやら誰かがそこにいるようだ。シャルロットは緊張したまま、震える手でドアを押し―――驚きの声をあげると同時に、安堵の笑みを漏らした。
「ジャックさん……!」
そこには、帽子、包帯に琥珀色の眼鏡を身につけたままの男が、燭台の灯った明るい部屋の椅子に座っていた。見回しても他には誰もいない。叔父の姿もなかった。
「屋敷の主人がやっと帰ってきたな」
ジャックの言葉にシャルロットはわけがわからないというように首を振った。
「どうしてあなたがここに? 叔父様は……?」
「約束は守ると言っただろう。君の叔父上を、まぁ……説得したんだ。彼は納得してくれたから、この屋敷は永久に君のものだ。財産もわずかながら残っている」
正確には“残させた”のであるが、この際あまり変わりはしないだろう、とジャックはひとりごちた。
シャルロットは少し考えてから言った。
「ありがとうございます、ジャックさん。でも、叔父はあなたが思っているような生易しい方ではないと思うの……またいつか現れて屋敷を私から奪ってしまうと思いますわ」
せっかくジャックさんが取り戻してくれたとしても、あの叔父ならまたやってくる。シャルロットは諦めたような顔をしていた。
「ところがあのベンジャミンは、君が思っているよりずっと臆病な男だ。手は早いが度胸は全くなかった。もう二度とこの街には姿を現さないだろう」
ジャックは彼の怯えた顔を思い出して鼻で笑った。
それから少し沈黙した後、シャルロットをしっかりと見据えると、少し厳しい口調になって言った。
「だがな、お嬢さん。屋敷もそうだが、自分の身は自分で守れるくらい強くならないと生きていけないぞ」
シャルロットは目をぱちくりさせて言った。
「強くなる……?」
「そうだ。守ってくれる存在がいない今、君自身が自立しなければ、叔父上以外の人間に狙われたとき、またやられてしまうことになる。それではだめだ、シャルロット。強くなれ。策略を仕掛けてきた相手を負かせるくらい強くなるんだ」
「で、でも、どうやって……?」
シャルロットはどうしたらいいかわからないというように、不安そうな目でジャックを見上げた。一人で生きていくなんて、考えもしなかったようだ。
ジャックもそれが彼女にとってどれだけ厳しいことなのかは理解していた。しかし、そういった道もあるのだということは知っておくべきだ。
「君のお父上はどうやって生計を立てていた? パーシーズ商会とやらは、残っているのだろう。工場も事務所も従業員も、お父上の友人に託されたときいた。それを受け継ぐのが、君に残された屋敷を維持するための道なんじゃないか?」
シャルロットは呆然とした様子だった。父の仕事を引き継ぐ? この私が? シャルロットはゆるゆると首を振った。父はこの辺りでも名の知られた豪商だったのだ。彼が切り盛りしていた商いを自分がやるなど、到底無理だ。
「……もし自立できないというなら、誰かと結婚するしかない。金持ちの男なら、お父上のように屋敷も君も守ってくれるだろう。めぼしい相手はいないのか?前に求婚してきた連中の中で、一人くらい助けてくれそうな奴はいるだろう?」
シャルロットはさも嫌そうに首を振った。
「いません。彼らは金銭目当てだったのよ。父のいない今の私を救ってくれる方なんて、誰も……」
と、その時何か思いついたように、シャルロットの目が輝いた。
「いました! 唯一信頼できる、強くて優しい男性が」
「そうか! 誰だ、今すぐ連れてきて結婚させよう」
ジャックは立ち上がって扉の方へ歩みだした。
シャルロットは彼の背中に向かって言った。
「あなたですわ、ジャックさん」
ジャックの動きがぴたりと止まった。彼は振り向いて、聞き違いかと思い聞き返した。
「……な、なんだと?」
シャルロットは真剣なまなざしで言った。
「ジャックさんこそ、私が結婚したい相手です。私はあなたに二度も救われました。あなた以上に信頼できる方はこの世にはいませんわ!」
ジャックは何と返そうか迷いながら言葉を探した。
「ちょ、ちょっと待て。前にも言ったが、俺は裏の社会の人間だ。いろいろと良からぬことをして生きている。君には最もふさわしくない。君は俺のことを何も知らないだろう?」
シャルロットは胸を張って言った。
「知っていますわ、あなたはジャック・ウィルソン。私の命の恩人で、広い世界を旅している方でしょう。良からぬことをしていようとも、私を助けてくれたことには変わりはありません。あなたのお人柄に偽りはないもの。あなたは根っからの悪人ではないはずだわ」
自分の心に入ってくるシャルロットの言葉に、ジャックは返事ができなかった。
確かに、自分がそういう影で生きるようになったのは、普通の身体ではないせいだということははっきりしていた。それがなければ、日影の生活などしていなかったのだろうか。
正規の仕事をしていたなら、俺は彼女との結婚を承諾するのだろうか。
ジャックは振り切るように言った。
「だ、第一にだ。俺と君とは生きている環境が違いすぎる。俺にとって君は高嶺の花どころじゃない」
「そんな……! 私は商人の娘だっただけで、今はもうこの屋敷しか残されていない、何の身分も持たない女ですわ」
「第二に、俺は旅人で、いろんな場所でいろんな顔を持っている。その身元整理をしてからでないと、自由がきかない。夫としてこの街に留まることが難しい」
「帰りならいつまでも待ちますわ!」
「第三に」
ジャックは咳払いをして言った。
「俺は自分の身は自分で守れる女でないと結婚しない」
彼女が引き下がると確信できる完璧な条件だった。いつも父親に守られていた彼女にとってこれほど難しい課題はない。
案の定、シャルロットは言葉に詰まっていた。
彼女がジャックをこれほど信頼するのも無理はなかった。一度はおいはぎから、二度目は叔父の陰謀から救ったのだ。とは言えど、彼女の夫となるには、自分は手を黒く染めすぎているとジャックは感じていた。
相手が誰であれ、彼女には以前のような安定した生活を送ってほしかった。彼女を笑顔にするのは俺じゃない。自分と結婚すれば彼女は後悔するに違いないのだ。
ジャックはそう思案していたが、やがてシャルロットが口を開いた。
「……自分で自分を守れるくらい強くなれば、ジャックさんは私を娶ってくださると、そうおっしゃるのですね?」
ジャックはシャルロットの言葉に眉を寄せた。
「本気でそう思っているのか? だめだ、俺のことは忘れて他の男を……」
「約束してください」
シャルロットは強い口調で言った。
「私が強くなって自立したら、夫になると。もしあなたに他に恋しい人がいなければ、この街に留まってくださると」
シャルロットの真剣な目には、希望と決意、そして情熱が感じられた。昼間街で会った時にはなかった光だ。ジャックはシャルロットのわずかな変化に、言わんとしていた言葉を飲み込み、静かに頷いた。
「……いいだろう。お父上のように自立し、何にも臆さない強い人間になったら、君を妻としよう」
きっと強くなろうと足掻いているうちに、それ相応の男と知り合うだろう。ジャックはそう考えていたが、シャルロットは彼の返事に瞳を輝かせた。
「私、強くなってみせます! あなたが他の場所での仕事を終わらせて、身元整理を終えてこの街にまた戻ってくるまでには必ず……!」
その夜、ジャックは一年ぶりに、シャルロットは3ヶ月ぶりに、パーシーズ邸のやわらかいベッドの中で眠りに落ちた。
シャルロットの決意は、ジャックが思っているよりも、ずっと固かった。自分を二度も助けてくれたこの男のためなら、なんでもやってのけてみせると決心していた。
次の朝、一年前と同じようにジャックは屋敷を去った。
旅立つ前に、ジャックはこう言った。
「来年、また来る。それまでに誰かと結婚しておくんだ。わかったな」
シャルロットは笑顔で首を振り、ジャックの眼鏡の奥を見つめて言った。
「いいえ。来年までにはあなたが驚くほど強い私になってみせますわ」