14. 奇跡
夏の暑さがやわらぎ、時折涼しい風が吹くようになった。トビアスがシャルロットの屋敷を訪れたのは、突然のことだった。
「シャルロット、朗報だ! ジャックさんは生きているよ、フランス海軍からジャックさんの情報が手に入ったんだ!」
シャルロットは目を見開いて「ほんとう!」と椅子から立ち上がった。
「ほんとうなの、トビアス! ジャックさんが……!?」
突然部屋に飛び込んできた彼に、シャルロットは手を震わせて口元にやった。
トビアスは急いでやって来たらしく、額に汗を浮かべている。
「ああ、直接聞き込んだ男から聞いたから間違いない。とにかく、全部話すよ」
トビアスは通された客間の椅子に座ると、メイドのルチアがお茶を淹れるのも待たずに、早速話し始めた。
「前に話したね、ジュリアンのことは。得意先の友人で、海軍の中尉の男だ。彼に頼み込んで、ウィリアム・ドンバスの船が沈没してから1ヶ月以内の間に、アンティル諸島北部に流れ着いた難破船の被害者で、どのような人物がいたかを調べてもらったんだ。あそこは小さな島々が多くてね、ずいぶんな手間を取らせてしまったよ」
シャルロットは両手を握りしめて頷いた。顔も知らぬジュリアン中尉に感謝の念を捧げる。
トビアスは嬉しそうに続けた。
「おかげでこんな情報が手に入った……元々無事だった乗組員の名前の中にはジャックさんの名前はなかった。まあそっちはあてにしていなかったんだ。つまりこうだ、聞き込みによると、小さな小さなテールという島に、顔もない、手足もない、姿の見えない男が流れ着いて、2週間くらいそこで暮らしていたらしい」
シャルロットは息をのんだ。
姿の見えない男。間違いない、ジャックだ。
「彼は2人の兄妹の家に住んでたけど、ふと現れたアイルランド人の若い男と一緒に島を出ていった……。ジュリアンの調べでは以上だよ。その後はどこに向かったかはわからない」
シャルロットは目を瞑ると、行ったことのないカリブの島に思いを馳せた。
彼は生きていたのだ。ハリケーンで海に流されてしまったが、島に流れ着いて、生きていた……!
ああ、ジャックさん、少しでもあなたの生死を疑った私をお許しください。
トビアスは続けた。
「……流れ着いた場所も運が良かった。あの辺り一帯はフランス領土だ。キューバやジャマイカの方だったら聞き込みなんて無理だったってジュリアンは言っていたよ」
「よかった、ほんとうに、生きていたんだわ、よかったわ……」
シャルロットはほうっと胸を撫で下ろしていた。
トビアスは真剣な表情で言った。
「ジュリアンはその後はわからないと言っていたけど、僕にはわかる。ジャックさんはきっともうすぐ帰ってくるよ」
シャルロットは目を潤ませて頷いた。
「ええ、そうね……ありがとう、トビアス」
シャルロットもそう確信した。
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秋の社交シーズンに向けて、シャルロットの営む絹織物のパーシーズ商会は繁忙期を迎えていた。
綿織物ばかりが市場に出回るとは言え、上質な絹は古くから伝統を重んじる貴族には変わらず重宝されたし、また綿を売りにきた遠方の商人からも人気があった。
シャルロットは、女商人としてすっかり社交界で有名な存在になっていた。多くの貴公子が彼女を見とめ婚姻を申し出たが、シャルロットは「婚約しておりますので」と断るばかりだった。
9月のはじめのある夜、北町のマルグリーチェ家の屋敷で、大きな舞踏会が催された。
シャルロットも、桃色の美しいドレスを着て参加した。手に入ったばかりの桃色の生地は艶々と光り、裾は故意にしている針子によって見事な花の刺繍が施されている。
シャルロットは、会場でまるで大輪の花のように輝いていた。
衣装だけでなく、その凛とした美しさに、人々はため息を漏らした。
「なんて美しいのかしら」
「まだご結婚されていないらしいぞ」
「慈善家でもあるときいたわ」
「商人にしては珍しいな」
人々は口々に噂し合ったが、シャルロットは、どこ吹く風のようにちらちらと人を探していた。
会場には色とりどりの花が飾られており、音楽が演奏され、もうすでに踊り始めているカップルもいた。
その中からトビアス・ホプキンスとマーガレットの姿を見つけ、シャルロットはほっと息を吐いた。2人は到着したばかりのシャルロットにすぐに気づくと、ダンスをやめてこちらへやってきた。
トビアスは相変わらず派手な服をまとい、妻のマーガレットの方はおとなしいデザインだったが、夫妻の服装は不思議と似合いだった。
「まあまあ、シャルロットさん! まるで花の妖精が来たのかと思いました」
「ありがとう、マーガレットさん。あなたもすごくきれいですわ。旦那様とお似合いで少し驚きました」
「生地からデザインまで、全て僕が選んだからね。似合って当然さ」
トビアスが鼻高々と言ったのに、シャルロットはちょっとからかうように言った。
「まあ、女性の楽しみであるドレスのデザインも、あなたが勝手に決めてしまうのね」
シャルロットの言葉に、トビアスは焦ったようにマーガレットの方を向いた。
「えっ!? そ、そうだった……? マーガレット、もしかして、他に着たいドレスが……!?」
「もう、トビアスったら」
シャルロットは呆れたような笑みを浮かべた。この友人は相変わらずのようだ。
「少しはそういうところも考えなきゃ……でも、彼女のドレスとあなたのその服ととっても似合ってるわ。ほんとうにセンスがいいのね」
シャルロットの言葉にトビアスはえへへと照れたように笑った。「それに」とマーガレットも言った。
「私は、自分ですぐに決められないから……トビアスに選んでもらった方が確実ですし、嬉しいのですよ」
マーガレットは嬉しそうに夫に微笑んだ。
トビアスは眉尻を下げて「ありがとう」と妻に微笑みを返した後、シャルロットに言った。
「仕事の方はどうかな? うまくいってるかい?」
「おかげさまで。あなたがアドバイスしてくれた通り、いろんな人を顧客にしているわ。この前はトルコから来た方と取引したのだけど、言葉のやりとりが難しかったわね」
トビアスは笑い声をあげた。
「商人の第2関門だよ。僕はそこで挫折しかけた。ぜひ頑張って僕を抜いてくれ……ひょっとしたら、ピョートル・セルビーノという人物に目をつけられるかもしれないから注意しておくんだな」
「ええ、そうね……できればお会いしたいものだけど」
ピョートル・セルビーノ。
ずいぶんと懐かしい名前だ。会ったばかりだった時、ジャックはそう名乗っていた。
あの時は全然知らない名前だったが、今のシャルロットは彼のような裏社会の人間もひと通り把握していた。その上で、やはり彼は誰からも恐れられていた人物だったらしいということを知った。だが、もう今では過去の存在となっている。
ある組織の頭ではないかという噂もあったが、トビアスがドマーニュの港まで行きその疑いも晴れた。
ジャックさん、あなたを迎え入れる準備はこちらは万全ですのよ。
シャルロットがぼんやりとしてしまったのに、トビアスは「シャルロット」と真剣な目で呼びかけた。
「大丈夫さ。彼は絶対帰ってくるよ」
シャルロットも笑顔を浮かべて頷いた。
「わかっているわ」
ホプキンス夫妻は、またホールの中心で踊り始めた。
その幸せそうな様子を、シャルロットはカーテンで隠れた壁際の長椅子に座ってホールの人々を眺めていた。
いつもは顧客とドレスや生地の話をするのだが、今夜の舞踏会の主催は、綿織物商会のマルグリーチェ家だ。シャルロットはおとなしくしているつもりであった。
何人もの貴公子が彼女に声をかけたり、ダンスを申し込んだりしたが、彼女は首を横に振っていた。別段彼らと踊ってもかまわなかったが、なぜだか「約束した人がいますから」と断ってしまっていた。
どのくらいそうしていただろうか。
1人の男性が、またシャルロットに声をかけてきた。
「1人か?」
その声に聞き覚えがある気がして、シャルロットはさっと振り向いた。
目の前に立っていたのは、着いたばかりなのか、外套も帽子も身につけたままの紳士だった。
上品な黒い帽子に黒いジャケット、清潔な白いシャツ、白い手袋、そして顔全体を覆った白い仮面をつけている。
初めて見る男だった。
「ええ、約束した人を待っておりますの」
なぜ声に聞き覚えがあるのだろうと、シャルロットは首をかしげながら答えると、もう正面を向いてしまった。今までの貴公子はそう言われればすぐに立ち去ったのだが、彼はそうではなかった。
黒い服の紳士は、少しの間シャルロットの後ろに佇んだままだった。じっと彼女の後ろ姿を見ていたようだったが、やがて言った。
「……君は、その男が海賊の船に乗っていたとしても、帰りが遅くなっても、ずっと待ってやるつもりなのか」
シャルロットは驚いたように目を見開き再びさっと振り返ると、すっくと立ち上がった。
何も言わずに男の前に歩み寄ると、彼の仮面に手をかけ、それを外した。
仮面の下には、何も見えなかった。
シャルロットの目に涙が浮かぶ。シャルロットは震える唇で、その人物の名前を呼んだ。
「ジャックさんっ……!」
思わず彼の胸に飛び込んだ。
ジャックもしっかりと彼女を抱きしめる。
「遅くなってすまなかった、シャルロット。今帰った」
そうだ、これはジャックの声だ。懐かしい彼の声も優しいこの腕も、ちっとも変わらない。シャルロットは彼の腕の中で涙を溢れさせた。
「どんなに……どんなに、お会いしたかったか……」
しばらく2人は固く抱き合っていたが、ジャックはシャルロットの背中が震えているのに気づき、ぎこちない手で撫でてやった。それに気づいたシャルロットは、彼の腕に収まったまま鼻をすすり、ふふふと笑い声を漏らした。
「初めてあった日みたいですね。あの時もこうしてジャックさんがなだめてくれたわ」
「……そうだったな」
ジャックは少し考えていたが、そのままの態勢で言った。
「シャルロット、きいてくれ。俺は、長いこと君を待たせてしまった。海賊に手も貸したし……謝らなければならないこともある。それでも、俺は君を……」
見捨てないでくれるか。
ジャックのすがるような言い方に、シャルロットはゆっくりとジャックから身体を離して、彼を見上げると背のびをして一瞬だけ彼の唇にキスをすると微笑んだ。
「もちろんよ。どんな姿でも、あなたはあなたですもの……。おかえりなさい、ジャックさん」
ジャックはぐっと目頭が熱くなるのを感じた。
この姿になって、ずっと一番言われたかった言葉だった。自分が泣き出す前に、ジャックも一番言いたかった言葉を絞り出した。
「ただいま、シャルロット」
そう言って彼女にキスを返そうとしたーーその時だ。
突然目の前がーージャック自身が白い光でいっぱいになり、シャルロットは眩しさのあまり思わず目を瞑った。
一体何?
光はすぐに消えた。
そうしておそるおそる目を開けると、驚きのあまりに息が止まりそうになって思わず後ずさった。
目の前に見知らぬ男性の顔があったからだ。シャルロットよりも一回りほど歳上のようで、憂いを帯びたような顔つきをしている。誰なの、まさか……?
その紳士は、シャルロットの驚きぶりを見て、はっとし慌てて手袋を外した。
そこには透明ではない、人間の肌の手があった。懐かしい自分の手だった。指にはあの婚約指輪が嵌められている。
「シャ、シャルロット……俺は、元に戻った……戻ったんだ! 俺だ、ジャックだっ!」
信じられない、奇跡が起きた! ジャックは嬉しそうに声をあげると、すぐ目の前にいるシャルロットの手を握った。
シャルロットは目を見開いて、姿の見えるジャックを見つめた。
初めて見る彼の顔は、思ったより精悍で、彼女を見つめる彼の黒い瞳には、並々ならぬ強さを感じた。シャルロットはジャックの方にそっと手を伸ばすと、すっかり見えるようになった彼の首に触れた。
前と同じ、彼の温かさを感じる。
シャルロットは、微笑んだ。
「ジャックさんなのですね。誰の顔でもない、ジャック・ウィルソンさんの顔で、安心しました」
ジャックはその言葉が嬉しくて、歯を見せて笑うと、再びシャルロットを抱き締めた。
トビアスは、マーガレットを椅子に座らせて休ませていた。二曲も続けて踊ったが、疲れさせてしまったようだ。マーガレットは舞踏会にまだ慣れていない。最近ようやくこのような場に参加するようになったのだ。
トビアスは自分が社交界に慣れすぎているとは気づかずに、マーガレットに無理をさせないためにはどうしたらいいかを考えていた。
と、トビアスの肩が叩かれた。
さっと振り向くと、シャルロットが嬉しそうな笑みを浮かべて立っている。こんな笑顔を見るのは、久しぶりだった。
「あれ、シャルロット。どうかしたのかい」
自然と彼女の隣にいる人物に目を移すと、見知らぬ男が緊張したような顔をして立っていた。
誰だ。トビアスは、眉を潜めそうになったが、商人らしくお決まりの笑みを貼り付けた。
「ええと、こんばんは。どこかでお会いしまし……」
「トビアス」
男は急に彼の名前を呼んだ。
そうして、すっと手を差し出した。手には何かが握られている。
トビアスはなんだろうと不思議に思いながらそれを受け取った。
あちこち錆びついているが、これは……望遠鏡だ。僕がジャックさんに渡した望遠鏡……。
トビアスは、はっと顔をあげた。
「ジャックさん……? ジャックさんなのですね!?」
呼ばれた目の前の男は微笑んで頷いた。
「そうだ、トビアス……久しぶりだな」
トビアスはぐんっと彼に顔を近づけた。
「うわあ、突然帰ってきた上に……見える、見えている……顔が……姿が見えるようになったんですね!」
その言い方に、ジャックは苦笑いを浮かべた。
「ああ、ついさっきだ。その、それなんだが……壊さないように気をつけていたが、海水でやられてしまった。高価な物なのにすまない」
ジャックが望遠鏡の事を言っているのに気づくと、トビアスは嬉しそうに、手に持った物を見下ろして笑った。
「約束を……返してくれるという約束を、守ってくださいましたね。信じていました」
「一度は海に流されたんだが……友人が拾ってくれてな」
「……船が難破したとききました。ほんとうにご無事でよかった」
トビアスが言ったのに、ジャックは少し驚いたような表情になった。
「知っていたのか」
「ええ、その情報を聞いた時は、気が気じゃありませんでしたよ」
ジャックは目の前の男に申し訳なさを感じた。すっかり心配をかけてしまったらしい。
「……ピョートル・セルビーノの汚名を返上してもらって感謝している。それに、シャルロットの事も。長い間留守にしていて悪かった」
トビアスは首を振った。
「何を言っているんですか、海賊に捕まった僕の身代わりをしてくれたのはあなたですよ……! ご無事で帰ってきてくださって、何よりです」
ジャックは、トビアスの後ろにいるマーガレットの存在に気付いた。
「ホプキンス夫人。留守の間シャルロットを支えていただいて、感謝している」
マーガレットはあわてて首を振った。
「とんでもない! 私の方がシャルロットさんに支えていただいております。あなたはすばらしい奥様をお持ちになられますわ」
帰りの馬車に揺られて、ジャックは目の前のシャルロットをちらと眺めた。桃色のドレスに身を包み、前に会った時よりさらに美しさを増している。ジャックの頭では、マーガレットが先ほど言った言葉がぐるぐると回っていた。
『あなたはすばらしい奥様をお持ちになられますわ』
彼女が、俺の妻?
もうずっと前から決めていたことなのに、人からそう言われて、ジャックは信じられない気持ちになっていた。
あの事を言っておかなければならない。
「シャルロット」
ジャックは言った。
「君に謝らなければならないことがあると言ったのを覚えているか」
シャルロットは頷いた。
「ええ、何かあったのですか」
真剣な目を向けてくれる彼女に、ジャックは少し迷った後に言った。
「俺の乗っていた船が難破したことは知っていたらしいな」
「はい。ジャックさんからの手紙を受け取った後、すぐにトビアスからききましたの。正直、生きた心地がしなかったわ」
ジャックはシャルロットに優しい目を向けた。
「心配をかけてすまなかったな。その難破の後、俺は浜に打ち上げられたんだが……気がついた時は、記憶を全て失っていたんだ」
シャルロットの目が見開かれた。
「記憶を? すべて?」
ジャックは頷いた。
「なんにも覚えていなかった。姿が見えないわけも、今までやってきた仕事も、なぜあっちの新世界の方にいたのかということも、俺自身の名前も……君のことも」
シャルロットの瞳が揺れた。
同時に馬車もガタゴトと音を立てて揺れる。
ジャックは続けた。
「身体の調子が良くなっても、自分が何者なのかもわからないから、そのまましばらく流れ着いたその島で過ごした。助けてくれたのは、君より歳下であろう青年と、その小さな妹だった。彼女は盲目だった。姿の見えない俺の存在に気付き、兄と一緒に介抱してくれた」
ジャックはさらに続けた。
「記憶が戻るまで、俺は自分から行動しようとしなかった。島の暮らしに馴染みつつあったんだ。だが、一緒の船に乗ってた海賊の男が俺を探しに来てくれて、俺が思い出せるように気を配ってくれた。彼には君のことを話していたから。それで、やっと全部思い出したんだ」
シャルロットはほっとしたような表情になった。ジャックは少し下を向いた後、シャルロットの方を向いて続けた。
「記憶がまだ戻らなかった頃、その男は、俺には結婚を約束した人間がいる、だからヨーロッパに帰った方が良いと言ってくれていた。だが、俺は……そうしなかった。抵抗があったんだ。顔も名前も覚えていない女性と会って、結婚するということを受け入れられなかった」
ジャックはいつのまにかシャルロットから目を逸らし、また下を向いていた。
「君と結婚できるということが、どれだけすばらしいことなのかわかっていたはずなのに、あの時はそうは思っていなかった。許してほしい」
しばらく沈黙がおり、馬車のガタガタする音が響いていたが、やがてシャルロットがくすりと笑い声を漏らした。
「ジャックさんは、やっぱり変わっていませんね」
下を向いていたジャックがおそるおそる顔を上げると、シャルロットは微笑んだ。
「初めて会った時と同じ、律儀な方。私はあなたのそういうところがほんとうに素敵だと思いますわ」
「……律儀?」
ジャックは眉を寄せた。そういえば、ドンバス達にも同じようなことを言われた気がする。
シャルロットは頷いた。
「ええ。ちゃんと思い出すまでは帰れないと思っていたのでしょう。自分にも、私にも真面目に向き合っている証拠よ。謝る必要はありません。あなたはちゃんと思い出してくださったのですから」
シャルロットの言葉は、ジャックの心の中にあった罪悪感をすうっと消し去った。ジャックは呟くように小さな声で言った。
「ありがとう、シャルロット」
シャルロットは微笑んだ後、しばらく迷っていたようだが、やがて言った。
「私も弁解をさせてくださいませんか」
ジャックは目を瞬かせた。
「弁解?」
「ええ。あなたの乗っていた船が難破したという話を聞いてから、何日も何日も情報が入って来なかったんです。私はそれに耐えきれなくて、ある時……あなたが死んでしまったということにしてしまおうと、トビアスにお葬式を提案してしまったの」
ジャックは、目を伏せたシャルロットを見つめた。彼女がそう思っても仕方なかった。あんな手紙を送ってしまったから、余計に苦しめてしまったかもしれない。
シャルロットは言った。
「でも、トビアスはとても怒ったわ。そんな風に思うことは、ジャックさんにとても失礼だと。ジャックさんが私を信じているのに、私は信じないのかって。その時、自分の弱さに気づきました。あなたを待ち続けた結果に死んだと知らされた時、それがとても怖かったんだわ。ちっとも強くなんかなってなかった。あなたが生きていると信じることが、ほんとうに強くなるという意味だったのだと感じました。あなたの妻になる資格はこれだと思ったんです」
ジャックは顔を歪めて首を振った。
思わず「俺は」とシャルロットの手を取った。
「俺は君がもう十分強くなったと思っている。さっきの屋敷に着いたばかりの時、君がもしかしたら他の男と一緒になっているかもしれないと思っていた。それほど君を待たせていたからだ。だがシャルロット、君は他の誰かと踊りもせず、ずっと、あそこに座っていた。俺が声をかけた時も、約束した男がいると言っていただろう。俺は……俺は嬉しかった。君の後ろ姿を見ていて、君みたいな女性に出会えて、ほんとうに幸運だと改めて思った」
ジャックは、彼女の目をまっすぐに見つめて言った。
「君が俺を死んだことにしようとしたことも、俺が君のことを忘れてしまったことも、もしかしたら、同じ時だったのかもしれない。だが、そういうことがあっても俺達は結局互いを信じたから、また会うことができたんだ」
シャルロットも微笑みを浮かべた。
「そうですね。私達、あんなに離れていたんですものね。信じることって、奇跡みたいなものなのだわ」
シャルロットがそう言ったのに、ジャックもその距離に思いを馳せた。
ほんとうに離れていた。少し前まであんなに遠くの小さな島にいたのに、今はこの街でこうして彼女に会えている。彼女の言う通り、奇跡のようだ。
「もう、絶対に君を一人にしない。海賊船に乗っている時に自分に誓ったんだ、再会したら、もう二度と君から離れないと」
シャルロットは「嬉しい」と頬を赤らめた。そうして次に、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「それなら、楽しいカリブ海の冒険の話を全部きっちり聞かせてもらいますからね! あなたの舌が疲れてしまってもよ。それから、今はもう夜ふけですから無理ですが、明日は朝から教会です。帰ったらすぐに結婚すると言ったのはジャックさんですからね」
シャルロットがそう言ったのに、ジャックは歯を見せて笑みを浮かべた。
「わかっている。その約束は絶対に守りたい」




