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10. 海賊救出劇


フレッチャーは、ジャックを探していた。


ジャックを乗せた海賊船は、目的地港町テライアの手前にあるバルバドス島の港に入った。

ここでひとまず食糧調達である。救出した後は海軍から逃げるため、港に寄っている暇はないかもしれないのだ。

乗組員は久しぶりの陸に、嬉しそうな表情を浮かべて全員降りた。


ただし、ジャックはひとり、船を降りることを許されず、船室に閉じこめられた。

ドンバスの命であったが、ジャックが船から逃げなかったのは、自分なりの判断であった。

ここバルバドスには、多くのならず者が集まっている。ジャックは自分の目立つ容姿から、もめごとが起こるのを避けたかったのだ。

自分の透明な姿を見れば、ドンバスのように仲間にしたがる連中もいるだろうし、利用しようとする者も現れるだろう。厄介事に巻き込まれれば、出港は遅くなる。船の中でおとなしくしていることが一番良いことだと思ったのだった。






フレッチャーは船室に入ると、探していた人物を見つけた。

ジャックは、机に向かって何か書いているようだ。


「せっかくの陸なのに、何しに来た?」


ジャックは顔をあげてフレッチャーの方を見た。

フレッチャーは肩をすくめた。


「船長の命令さ。あんたが逃げていないか見てこいってね」


「……ふん、ご苦労なことだ。船長が心配性だと部下も大変だな」


ジャックは鼻で笑ってまた紙にペンを走らせる。

しばらく沈黙が流れたが、フレッチャーは口を開いた。


「あんた、逃げないんだな」


ジャックは驚いたように顔を上げた。フレッチャーは自分がほんとうに逃げるのではと思っていたらしい。

ジャックは再び視線を落とし、手を動かしながら言った。


「約束したからな。破るつもりはない」


フレッチャーは目を細めてジャックを見ていたが、急におどけたように言った。


「律儀なこった。あんたがほんとうに裏社会で生きていたのか、ときどき信じられなくなるよ」


「報酬のかわりに仕事はきちんとやる。俺の主義だ」


「暗殺者の鏡みたいな奴だな……ところで」


フレッチャーはジャックの手元に目を向けた。


「さっきから何を書いてるんだ?」


ジャックは書きながら答えた。


「シャルロットに宛てた手紙だ。あれからずいぶん日が経ったし、帰りが遅くなりそうだからな」


そう言ったところで、ジャックはようやく顔を上げた。書き終わったのだ。

フレッチャーはにんまりして言った。


「なるほど、恋人へのラブレターってわけか」


「ずいぶん心配させているからな……。もしかしたら、もうとっくに俺のことを忘れて、他の男と一緒になっているかもしれないが」


「まあ、普通の女だったらそうするさ」


フレッチャーは肩をすくめた。


「けど、あんたみたいな男と結婚したいだなんて酔狂なことを言うお嬢さんなんだろ? まあ、ちゃんと待っててくれてるんだろうな」


フレッチャーの、その慰めているのか馬鹿にしているのかわからない言い方に、ジャックは苦笑いを浮かべた。そしてインクの乾いた便箋を折って分厚い封筒に入れた。


「そうだと信じて、これを送るんだ……フレッチャー、悪いがこれを町の定期船窓口のところに届けてくれないか」


ジャックは、住所を書いた封筒をフレッチャーに差し出した。

フレッチャーは歯を見せてにかっと笑った。


「結婚の前に逃げた言い訳でも書いたのか? 中身をチェックして口説き文句を書いてやってもいいんだぜ。俺には弁論の才能が……」


「いいから、早く届けてくれ……間違っても中身を見るなよ」


フレッチャーの話をさえぎってジャックは封筒を押しつけ、後半は殺気を漂わせながら低い声で言った。


「そんなに心配なら、自分で届ければいいじゃないか」


フレッチャーが口を尖らせると、ジャックは呆れたように言った。


「お前、ドンバスに俺が逃げていないか調べてこいって言われたんだろう……ちゃんと届けてくれると信用しているから、お前に頼んでいるんだぞ」


「アイアイ・サー! この俺に任せとけ」


ジャックの言った言葉に、フレッチャーは満面の笑顔になった。全く単純な男だ。


「この愛のこもった手紙が必ず、恋人の元に届けられますように!」


フレッチャーは、手紙を胸にあててふざけた調子で言うと、スカボローフェアの歌を口ずさみながら、甲板の方へ上がっていった。


ジャックはその様子に小さく笑うと、開け放たれたままの船室の扉を閉め、箱のようなベッドに身体を横たえた。そして、先ほど自分が口にしたことを思い返す。


もし、俺のことなんか忘れてとっくに別の男と結婚していたら。

ジャックはその状況を思い浮かべようとしてやめた。


俺は何を考えているんだ。

シャルロットは俺が帰ってくると信じてずっと待ってくれている。一年前も、たった今この瞬間も。


ジャックは上着の内ポケットに入っていた指輪を取り出した。指輪はランプの灯りに反射して金色に光った。同じ指輪を彼女が持っている。

再会した雪の日の翌日、二人でこの指輪を買い、式を翌日にしようと決めた。あの時の彼女の笑顔を、ジャックは忘れられなかった。

シャルロットは自分との結婚を心から望んでいるのだ。ふいに、ジャックはシャルロットに会いたくてたまらなくなった。

早く帰ろう。もう一度会ったら、もう二度と離れるものかと心に決めた。







夜中にバルバドス島を出たドンバスの海賊船は、夜明け前に港町テライアの沖合に着いた。掴んだ情報では、ドンバスの仲間が処刑されるのは今日だった。

船は沖の岩陰に待機させ、ドンバスやジャック、フレッチャー、その他6人ほどの乗組員達はボートで港へ向かった。

まず3人の乗組員に要塞を、もう3人は処刑場の様子を探りに行かせ、ドンバスはジャックとフレッチャーを連れて、町の様子を探ることにした。


港町テライアは朝の市場で賑わっていた。船乗りやぼろをまとった貧民も多く、奴隷やターバンを巻いた者すら見かけるほどだったので、海風にさらされてみすぼらしい格好をしたドンバスやフレッチャーも、包帯を巻きつけたジャックも、あまり目立たなかった。


「さあさあ船乗りの兄ちゃん! 焼きたての燻製だよ、持って行きな!」


市場で肉売りの太った女性が、燻製肉を持ってフレッチャーに押しつけてきた。

フレッチャーは苦笑いしながら小銭を出して肉を受け取る。


「おばちゃん、そういうの押し売りって言うんだよ……おお、うまそうだな」


「何言ってんだい! あんたたち、そんな痩せた顔して何日も肉を食ってないんだろ? まけておくから少しは腹の足しにするんだよ。そんな顔じゃあ、いくら金を積んでも女達は寄ってこないよ」


フレッチャーは軽く笑い声をあげた。


「へへっ、お気遣いどうも。確かに肉は食ってなかったからありがてえ……。それより今日は町で催しかなんかあんのか? 前に来た時より船着場の兵士の数が少ない気がするんだが」


「おやおや、知らないのかい? ちょいと前に西のニアレス港の方でスペイン軍の襲撃があったとかで、向こうに兵士がどっと移ったんだよ。まあもちろんこっちのテライアの要塞が空っぽってことはないけどさ」


「へえ、ニアレスに。海軍も大変だなあ」


「そりゃあね。まあ、もうじき本国から新しく軍艦が来るっていうから、ここいらもすぐにまた兵士でいっぱいになるよ。スペインやフランスの連中とも戦わなきゃならないのに、海賊の相手もしなきゃならないから、人手がいくらあっても足りないって話さ」


「海賊の相手ね……。ここは監獄も処刑場もあったな」


「そうだよ。そういえば、今日は処刑があるってきいたね」


肉売り女将の言葉にドンバスもジャックも伏せていた顔をあげたが、フレッチャーは慌てることなくのんびりと会話を続けた。


「へえ、処刑か。見物できるのかな、何時頃なの?」


「確か正午とかきいたよ。見物するなら早めに行きな、時間きっかりじゃないかもしれないからね。それと、強制徴募隊に捕まらないように気をつけな」


そう言って女将は多めに燻製肉をフレッチャーに渡してくれた。フレッチャーはにっこりとひと好きのする笑みを浮かべて「ありがとう」と礼を言った。






「あいかわらずお前の人懐こさには恐れ入るぜ」


ドンバスが言った。

フレッチャーから「はいよ、ジャック」と言われて、ジャックも燻製肉を礼を言って受け取った。


「それにこの肉だ。毎日ビスケットか魚だったからな……なにより時間も状況も知ることができた」


フレッチャーは美味しそうに肉を噛みながら言った。


「まあ、海軍のことだ、正午きっちりに決行するかどうかはわからんねえけどな」


ドンバスは笑ってフレッチャーの肩を叩いた。


「とりあえず時間がねえ、急ぐぞ」






全員が処刑場の片隅に集まった時には10時をまわっていた。処刑場を探りに行った乗組員の話によれば、肉屋の女将からきいた正午の処刑時刻は間違いなかった。


要塞や処刑場で情報を探った乗組員らの話をまとめるとこうだ。

今日刑が執行される囚人達は4人。全員ドンバス達の仲間だ。彼らは処刑の30分前に監獄から出され、処刑場へ連れて来られる。罪状が読み上げられると囚人たちは台に上がる。そして正午に太鼓が鳴り止むと、まとめて台が落ち、彼らの首が吊られる。これらはすべて頑丈な要塞の中での一連だ。


「処刑場に出た時は、すでに見物人と兵士達で埋め尽くされているはずだ。そこで奇襲をかけても、俺たちが自滅するだけだ。よって連中がここに向かう前が狙い目となる」


ドンバスは要塞の地図の真ん中をトントンと叩きながら言った。

乗組員の1人がフレッチャーからもらった肉を頬張りながら言った。


「だがよ、囚人にはそれぞれ6, 7人かそれ以上の兵士がついてるはずだぜ。こっちは全部で9人だから、手分けしたら2, 3人になる。そんな数を切り抜けられるか? 俺はそっちの方が自信がねえ」


それには別の乗組員も頷いた。


「そうだ……ウィルなら10人いたって大丈夫だろうが、俺たちはせいぜい2, 3人ってとこだ。それに、牢にいて弱ってる奴らを助ける余裕はねえぞ」


ドンバスは小さく笑った。


「おいおい、10人なんぞ俺だって無理がある。それに最初からバラバラに手分けするつもりはない」


「え? それじゃあいつ奇襲をかけるんだ?」


ドンバスはにやにやしながら答えた。


「忘れたか、こっちにはジャックがいるんだぞ。正々堂々と戦うつもりは毛頭ない。いいか、作戦はこうだ……」




*********************




イギリス海軍少尉ロナルド・トムソンは、執務室で今日の正午に執り行われる処刑の報告書を見直した。少尉の心はいつになく浮き足立っていた。彼らの処刑を心待ちにしていたのだ。

2321号テッド・ライヤー、2322号ロビン・カーター、2323号デニス・マーモット、2324号ボリス・カイザーの4人。皆、海賊で絞首刑となる。

数ヶ月前から、国王の名の下彼らには公平な裁判が行われていた。トムソンは不満げに鼻を鳴らしながら、じれったい裁判が済むのを傍聴席でみていた。縛り首になるのはわかっているのに、この無駄な時間はなんだ。そんな権利すら与える価値のない者たちなのに。

しかし、ようやく今日、決行の日を迎えた。新たに海賊を捕らえ、この新世界一帯からならず者を無くしてしまおう。

軍の報告書は、すべて一字も違えることなくきれいな文字で書かれてあり、最後に必要なのは一番下の欄に【決行済み】と記入するだけだった。


トムソン少尉は、自分の懐から鎖時計を取り出した。そろそろ時間だ。引き出しからじゃらりと音を立てて鍵を取り出すと、席を立って上着を羽織り、執務室の扉を開けた。


「行くぞ」


廊下に控えていた兵士6人に声をかけると、少尉は2321号の囚人の牢屋へと向かった。囚人達が結託して脱走しないように、4人は一つ一つの牢へ、それも階や廊下を分けて捕らえている。他の部下達にはすでに2322号、2323号、2324号をそれぞれ兵士4人に十分に警戒して処刑場へ連れて行くよう命令を下していた。


2321号を幽閉している地下は、靴の音がやけに大きく響いて聞こえるほど静かで、ランプの灯りでやっと足元が見えるほど真っ暗だった。


少尉は眉を寄せた。暗いあまり牢屋の奥が見えないので、ランプを持った部下に牢の錠前にあかりを近づけさせ、少尉は腰に下げた鍵で格子の扉を開けた。


少尉は言った。


「2321号、時間だ。出ろ」


暗いため、誰かが動く様子は見えない。音もなかった。


「2321号、出るんだ、早くしろ」


返事はなかった。

後ろから部下が言った。


「眠っているのでは……あるいは死んでいるのではないでしょうか」


少尉は眉を寄せた。死んだ? 獄中死はあり得ることだ。灯りを持った部下は、牢の奥へずんずん入っていった。足元ばかりしか照らさないランプで小さな牢の奥まで行くと、そこにはぼろきれとバケツが転がっているだけで人の姿はなかった。


「少尉……いません……囚人がいません!」


「なに?」


驚いた少尉は、部下の後に続いて牢の奥へと入っていったが、何しろ暗くてわからない。だが、死体が下に寝転がっているようではなかった。


「灯りを……もっと灯りを早く持ってこないか!」


少尉の大きな怒鳴り声に、飛び上がった部下達3人は慌ててランプを取りに地上への階段を上がっていった。少尉のそばでぼろ切れを手にとって暗闇の床を探っている兵士が当惑したように言った。


「し、しかし、脱出なんて可能でしょうか? 地下牢への入り口は、必ず誰かが見張っていたはずです」


「見張りが甘かったのだろう……だが、ここの鍵は私しか持っていないはず……おや?」


少尉は腰に下げている鍵の束を手にとろうとしてそれが消えていることに気づいた。

と、背後の格子の扉がガチャンと閉じる音がした。まさか。

ランプを持った兵士が慌てて駆け寄ったが、扉は閉ざされ鍵はすでにかけられていた。


「なに……!?」


驚きの声をあげた少尉は部下からランプを奪い取り錠前を照らした。鍵はない。何者かに鍵を奪われ、牢に閉じ込められたのだ。


「誰だ!」


慌てて辺りを見回しても、暗闇の中には何も見えなかった。


「くそっ! 誰がこんなことを……」


「おおーい、早く誰か戻ってこーい!」


声の限りに叫び、どやどやと4人の兵士がランプを持って階段を降りてきた。

ランプの灯りでようやく辺りが見渡せるほどになる。兵士達は2人が閉じ込められているのを見て驚きの声をあげた。


「少尉?! これは一体……?!」


「いいから早く開けろ!」


と、その時バタンと扉が閉まる音が響いたーー階段の上の方から。

ランプを持った兵士達はまさかと顔を見合わせると、慌てて駆け上がった。


「どうしたんだ! 何が起きている!?」


牢に入ったままの少尉の怒鳴り声への兵士達の返答は信じられないものだった。


「大変です、扉が……! 地下室の扉に鍵をかけられました!」


「おい誰だ、開けろ!! ここを開けるんだ!!」


兵士達の声と、彼らが拳でガンガン叩く音が地下牢に響き渡った。





ジャックは透明な姿で、地下室への扉の前でふうと息を吐いた。

先ほどジャックが牢から出したテッドという男は、ジャックに怯えながらもふらふらと窓から逃げ、ドンバスのところへ向かったようだ。

彼に味方だと信じてもらうのは、牢の鍵を破るよりも骨が折れた。

と、そこへ制服を着崩したような兵士が息を切らしてやってきてキョロキョロと見回した。


「おい、ジャック。いるんだろ?」


ボタンをかけ間違えシャツがはみ出しているこの若者はフレッチャーだ。どうやらうまく制服を奪えたらしい。ジャックは手に持った地下牢への鍵を彼の方に掲げた。


「いる。テッドはうまく逃げたぞ」


「よし。ひとまず1人済んだか……それにしても、身体が見えないどころか、スリも牢破りも得意とは恐れ入ったね」


「人より多く脱獄の経験があるんだ……お前さんも制服が似合っているぞ」


フレッチャーは眉をしかめた。


「よせやい、変装だから我慢してるが、俺は海軍がだいっきれえなんだ、イングランドは特にな」


と、その時奥の廊下の方を5、6人の兵士達が横切っていくのが見えた。おそらく囚人を迎えにいく連中だ。

ゆっくり雑談している暇はない。


「ぬかるなよ」


「あんたもな」


ジャックの言葉に返事をした後、フレッチャーは奥の廊下へ駆けていき、できるだけ大きな声で先ほど目にした兵士達を呼んだ。


「おおーい! 誰か来てくれ、地下牢に少尉達が閉じ込められた!」








フレッチャーが多くの兵士達を呼びこみ、地下牢の出入り口で兵士達が鍵を開けられずに難航している間、手薄になった牢獄にジャックは急いで足を向けた。

先ほど忍び込んだ少尉の執務室には、囚人の閉じ込められている牢獄の場所が地図で示されていた。ジャックはその記憶を頼りに3階の牢へ向かった。

2324号、ボリス・カイザーはそこにいるはずだ。


1階の階段下以外には、運良く見張りはいなかった。2階の廊下の突き当たりには大きな窓があった。あそこから抜け出すのが一番得策だろう。上がった3階にはいくつか牢があったが、人の姿があったのは一つだけ。

冷たい石造りで窓も拳ほどしか開いていない小さな牢に、若い男がぐったりと腰を下ろしていた。

ジャックは少し考えてから声を発した。


「ボリスか?」


呼ばれた彼は、やつれた顔をはっと上げてキョロキョロ辺りを見回した。


「だ、誰だ! 俺はまだ行かねえぞ!」


ボリスの切羽詰まったようなわめき声からすると、自分の処刑が本日行われる事を知っていたようだ。

ジャックは極めて安心させるような声で言った。


「俺はウィリアム・ドンバスの船に乗ってる者だ。あんたの脱獄に協力するよう、奴から頼まれている」


ボリスは落ちくぼんだ目を見開いた。


「ウィルが……! ここに来てるのか!?」


ジャックは頷いた。


「そうだ、すでにテッドという男はもう逃げた。今度はあんたの番だ」


「そ、そうか、そいつはありがてえ……! ところで……なんで隠れてるんだ? 見張りはここにはいねえぞ」


「あー、隠れてなどいない。その、俺は……」


ジャックは咳払いしながら錠前をガチャガチャといじる。とうとうガチャンと音を立てて錠が開き、格子の扉をギイと開けた。さっきの地下牢の錠と構造が同じであったことにほっとしながらジャックは言った。


「俺は、透明人間なんだ」


突然勝手に開いた格子の扉を、ボリスは恐怖に怯えた目で見つめた。


次の瞬間「ぎゃあああああああっ」という男のさけび声が、人気のない3階の牢から要塞中に響き渡った。





****************





ガンッと大きな音を立ててテーブルの上に瓶やグラスが置かれる。


「乾杯だ、乾杯! 今夜は久しぶりにうまい酒が飲めるぜ!」


「仲間が揃うってのはやっぱりいいもんだなあ」


ウィリアム・ドンバス船長率いる海賊船は、晴れた星空の下の沖合で、仲間の帰還を祝う盛大な酒盛りが行われていた。

港町テライアの灯りはもう全く見えないほど、遠く離れていた。

喧騒の中、大瓶を持ったドンバスが一際大きな声を出した。


「テッドにボリス、デニス、そしてロビン! よくぞ戻って来た! 俺は喜んでお前らをこの船に再び迎え入れよう」


それに対して乗組員達は、あちこちから相づちをうつ。


ドンバスは続けた。


「捕まっちまってる間も、俺たちの行き先も拠点も何もバラさなかったときいた。今日までよく耐えてくれた!」


再び乗組員達の相づちが揃う。

同時に脱獄したロビンやボリス達も返事をした。


「ありがとよ、ウィル!」


「きっと助けに来るって信じていたぜ!」


ドンバスは満足気に頷いてさらに続けた。


「今回の計画に大きく貢献してくれたやつがいる……新しく仲間になったジャックだ!」


船長の言葉に、酒瓶を掲げた乗組員達は大きな声で相槌を打ったが、肝心の呼ばれた男はそこにはいなかった。しかし、それも心得ているのか、ドンバスはその後「全員今日は大いに飲んでくれ!」と締めくくり、いよいよ酒盛りが始まった。




ジャックは1人彼らから離れて、後甲板の手すりに寄りかかっていた。


「今日は大手柄だったな」


ふいに声をかけられて振り向くと、フレッチャーが2本の酒瓶を手に立っていた。


「ラムだ。お前も一杯やれよ」


ジャックは首を振った。


「遠慮する」


「そんなこと言うなよ、俺からの祝いだ」


しかし、フレッチャーが酒瓶を押しつけてもジャックはやんわりと押し返した。


「気持ちだけで十分だ」


フレッチャーは「なんだよ」と言って、自分が一口煽った。


「くーっ! うっまいぜ! 病みつきにならぁ」


「……よくそんな匂いのきついものを飲めるな」


ジャックは嫌そうに首を振った。

ずっと前にどこかの宮廷に忍び込んだ時、調理場で似たような匂いを嗅いだことがある。匂いのきつさから調味料として使うような代物だと思っていた。

あんなものを飲むなんて、自分にはとてもじゃないが無理だ。


フレッチャーはそんな様子のジャックに、へへへと笑って上甲板で騒いでいる乗組員を見ていたが、やがて静かな声で言った。


「俺は嬉しかったんだぜ、ジャック」


フレッチャーはまた一口煽った。


「……港に上陸したら、姿をくらますことだってできたんだ。けど、あんたは最後までやり遂げてくれたーー俺を、助けてくれた」






ジャックがテッドを逃し、怯えるボリスに手を焼いている頃、フレッチャーは少尉達が必死で地下室の扉を開けようとしているところにいた。

フレッチャーが大騒ぎして兵士達を一箇所に呼んだので、その間に他の乗組員達は警備の手薄になったデニスやロビンを助け出すことができた。

そして地下室の扉はなかなか開かなかったので、恐ろしさのあまりに半泣きになってぐずぐずしているボリスを、ジャックはなんとか要塞の外まで連れていくことができた。

しかし、扉が開いてからの兵士達の行動は速かった。トムソン少尉はすぐに要塞全体に逃げた囚人を捕まえることを指示すると、1人制服を着こなせていないフレッチャーに気づいた。そうしてすぐさま彼を捕らえてしまったのである。






フレッチャーは酒瓶を握りしめて目を細めた。


「ウィルはもう船の中だって聞いてたし、弱ったボリス達もいる。俺が自力で戻らない限りは無理だって思った」







トムソン少尉は、仲間を助けに来た海賊なら、今捕らえている兵士に変装したこの若者も誰かが助けにくるに違いないと踏んでいた。狙い目はそこしかない。


「奴らは絶対に来る。今度こそ逃すな!」


すでに4人に逃げられているのだ。この大事な餌で連中を捕まえてやる! トムソン少尉はギリッと歯を噛みしめた。


縛りあげられたフレッチャーは、要塞の処刑場で大勢の兵士達に囲まれてため息をついた。今回は流石に見送るしかないのかもしれない。ここまで警戒されては、ドンバス達も助けに来ることはできないだろう。何よりあの少尉の殺気。フレッチャーを見た時は目で射殺さんばかりだった。

フレッチャーが諦めかけていたその時だった。

ドーンと大きな音がした。


「なんだ、どうした!」


少尉はフレッチャーのそばから離れなかったが、数人の兵士達が音のした方へ駆け寄った。


「要塞が襲撃されたようです!」


少尉は眉を寄せた。なぜこんな時に……?

またドーン、ドーンと続けて大砲の音が鳴った。

少尉は舌打ちした。


「攻撃準備にあたれ。どうせ海賊船の挑発だろう」


その場にいた兵士達が命令に従い処刑場から大砲の方へと向かっていくのを、少尉は見送った。


と、その時である。

突然フレッチャーを縛った縄を手にしていた兵士が「うっ」と呻いて倒れた。


「どうした!?」


銃の音はしなかった。他の兵士が駆け寄って確認しても、刺された傷もない。と、確認していた兵士も、また突然呻いて折り重なるように倒れた。

少尉は目の前の出来事に、目を瞬かせた。


「な、なんだ……何事だ?!」


毒針でも飛ばしているのだろうか? 未開の地にはそうした民族が多数いるときいている。しかし、彼らが海賊と結託したとはきいていない。

少尉が考えている間に、また1人兵士が目の前で倒れた。まるで誰かが至近距離で打撃を与えて気を失わせているようだ。


「だ、誰だ!」


縛られている若者は両手がふさがっている。

また、1人倒れた。


「の、呪いだ……」


フレッチャーが呟いた。


「呪われてんだ。ここの場所がそうだ。ここで処刑された海賊達の呪いだ。俺に手をかけようとする奴はみんなみんな、死んでいくんだ!」


まるで芝居がかった言い方であったが、その発言を証拠づけるかのようにまた1人兵士が倒れた。

フレッチャーの周りにいた兵士達は恐れを抱いたのか、恐怖に顔を引き攣らせて、がたがたと震えだした。

そうして1人また倒れると、彼らは「うわあああ」と言って逃げ出して行ってしまった。


処刑場に残ったのは、縛られたフレッチャーと、トムソン少尉、そうして気を失って倒れた兵士達だけだった。

トムソン少尉はフレッチャーの縄を掴むと警戒するようにあたりを見回した。


「誰だ……! 誰かいるのはわかっている」


要塞の方からは、がやがやと声がするが、処刑場は不気味なほどにシンと静まり返っていた。


と、急にフレッチャーが「あれっ」と声を漏らした。縄が切られて腕が自由になっている!

少尉は目を見開いた。


「う、動くな!」


少尉はすぐに、フレッチャーの動きを止めるべく剣の刃を彼に向けたが、動揺した表情は隠せていなかった。

フレッチャーは頭をかいた。


「……やめといた方がいいぜ。あんたに敵う相手じゃねえ」


その言葉に少尉は「なんだと」と言ったが、次に目の前で起こったことに、驚きのあまりに声を途切らせた。

倒れている部下の腰から、剣がひとりでに立ち上がり、少尉の首に刃を向けたのである。


「い、一体どういう……」


すると、世にも恐ろしい声が少尉の耳に飛び込んできた。


「2対1だ、少尉殿。俺はこいつの味方だ」


少尉は恐ろしさのあまり気を失って倒れた。









フレッチャーは嬉しそうな表情を浮かべて瓶を握りしめた。


「あの時、本気で惚れちまうかと思った! かっこよかったなあ!」


「俺はただ脅しただけで、剣を振り回してもいない」


ジャックは肩をすくめた。

と、その時だ。


「何をぬかしてやがる、フレッチャーのことを俺たちに知らせてくれたのはお前だろう」


突然ドンバスが割り込んできた。手にはフレッチャーと同じく酒瓶を2本持っている。

ドンバスは顔を赤くしていたが、しっかりした声で操舵手に言った。


「ボリスを引きずって来たかと思ったら、お前を助けるから、兵士達の注意を引きつけておいてくれと頼んできやがったんだ。結構な数の兵士だったらしいな」


「……ただ注意を引きつければよかったのに、大砲で要塞を攻撃するとは思わなかった。船を出した時に追われる可能性があったのに」


ジャックの不満そうな言葉に、ドンバスは豪快に笑った。


「大砲が一番手っ取り早いんだよ。細かいことなんぞあんな時に考えてられるか」


フレッチャーはジャックの肩を叩いた。


「まあ、指示出しする少尉の奴が小心だったからよかったよ! 結局あの後もあんたを恐れて船が追ってくることはなかったんだ……お前は俺の命の恩人だぜ」


ジャックは心底嫌そうな声を出した。


「やめてくれ。俺は仕事を果たしただけだ……ドンバス、約束は守ってくれるんだろうな」


確かめるような言い方に、ドンバスはへっと口を歪めた。


「仲間になりゃあいいのにな。お前みたいな奴がいればなんだってできる」


「言ったはずだ。俺は海賊にはならない」


ジャックは頑なにそう言った。じっとこちらを見つめているような視線を感じ、約束を守れと言われているようだった。

ドンバスはしばらく沈黙していたが、やがて言った。


「……しかたねえな。次の港で降ろしてやるよ。約束は約束だ」


その言葉に、ジャックは初めて嬉しそうな声を漏らした。


「言ったな、言ったな! やっとか……! やっと帰れるのか!」


その珍しい様子に、フレッチャーとドンバスと顔を見合わせた。

やはり彼も人間なのだ。

フレッチャーは笑い声を上げた。


「よおし、そうと決まれば餞別の歌だ。歌ってやるからよおく聴け。俺は歌がうまいんだぞ」


フレッチャーが歌い出すと、上甲板の乗組員達が相槌を取り出した。それはだんだん大きくなっていった。ジャックも仕方ないというようにきいていたが、表情は見えずとも、ドンバスにはどこか嬉しそうに見えた。





****************




しかし、次の日ジャックは港で降ろされることはなかった。

ハリケーンが船を襲ったのである。

朝起きた時、暗雲が立ち込めていた。


ドンバスが顔を歪めて「早いうちにどっかの島に上陸した方がいいな」と言っていたのを、ジャックは聞いた。

昼には雨が降り始めたが、風向きが悪く、なかなか上陸できる島にはたどり着けなかった。


「トップスルをたため!」


「ロープの緩みがないか調べろ……二重に結んでおけ!」


ジャックは船内が嵐に備え始めたのに、今日島にたどり着くのは無理なのだということを悟った。


旅ばかりしていたジャックは、船に乗って嵐を迎えるのは何回も経験していた。

しかしこの新世界に発生するハリケーンは、ジャックの想像をはるかに超えていた。帆は全部たたまれ、船内に入ってくる水をかき出す作業に明け暮れていたが、とうとう船は小さな岩肌に当たって座礁した。

ジャックも含め、海賊達は全員、荒れ狂う海へと投げ出されたのだった。





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