砂の村 ヒスカ
こことは違う、海に覆われた青い惑星があった。
その北半球、赤道の少し北側に、楕円に似た形の小さな大陸があった。
大陸の上には一つの大きな国家、アールザード王国があった。その北西、海からはほど遠い内陸に小さな寂れた村、ヒスカがあった。
アールザード王国の環境は東と西で大きく変わる。リリアーヌや『水の都』シルメリア、『花の都』ハルモニアなど、人が住みやすく比較的自然豊かなのが東側。一方で砂漠や岩石地帯など、人が住みにくい過酷な環境なのが西側。ゆえに人口も現在では東側の方が圧倒的に多い。
ヒスカも、大陸西側の例に漏れず、砂漠の端に位置する村だった。ここ数十年の砂漠化の影響を多大に受け、今にも砂漠に飲み込まれようとしていた。
しかしそんな環境だからこそだろうか。そこに住む人たちは、多くが様々な事情を抱えているが、一人ひとりが手を取り合ってたくましく生きている。
孤児院で暮らす少年、カルマ・ローウェルもその一人だった。
「おーい、早くこっち来いよ」
カルマは砂に溢れた地面を走っていた。走るたびに砂がくたびれた靴の中に入るが、彼は気にしない。よくあることだからだ。
カルマの後を三人の友人が追いかけてきた。
一人はカルマと同じやんちゃ坊主、ワンダ。
「ちょっと二人とも速すぎ……、待ってくださいよ」
一人は色白ですこしおとなしめのニコ。
「ふっ、ふっ」
一人はぽっちゃり体系の食いしん坊、トリオ。
彼らは毎日のように孤児院の内外で楽しく遊んで暮らしていた。
しかし、この貧乏な孤児院でただ遊んでいるだけの彼らを快く思わない人もいた。
「ちょっとあんたたち! ちょっとは家事を手伝いなさいよ!」
「お、ナディア」
カルマがナディアと呼んだ少女はこめかみに青筋を浮かべながら大声を上げていた。少し日に焼けた褐色の肌と銀髪が特徴的で、遠くからでもよく目立つ。
カルマたちより少し年上の彼女は、十七歳という若さにして、この孤児院の家事等の運営のほとんどを切り盛りしていた。
「あんたたちより小さい子の方が、よっぽど手伝っているじゃない! 悪影響でもあったらどうすんの!」
叫ぶナディアの傍らには、小さな子どもたちがわらわらと彼女の回りを取り囲んでいた。あの光景だけでもナディアの人望が測れるというものだ。
「やだよー。人手足りてんじゃん。頑張ってねー」
カルマはそう言ってアッカンベーしてみせた。ワンダもそれに続いてアッカンベー。
ナディアの体がプルプルと震える。
「き、今日という今日は許さん……。待たんかゴラー!」
「げっ、ナディアがキレた!? みんな逃げろー!」
つかの間の本気鬼ごっこが始まった。相手はまさに鬼の形相をしていた。
* * *
夕方。孤児院の食事の時間。
お手伝いによって綺麗に拭かれた大きなテーブルに、一人分の食事を乗せた皿が所狭しと並んでいる。子どもたちは皿の前の椅子に陣取って、匂いを嗅ぎながら、食事の時間を今か今かと待ち焦がれていた。
「いただきまーす!」
小さな灯りたった一つに照らされた、薄暗い空間に異口同音に子どもたちの挨拶が響く。下は三歳から上は十七歳まで、実にバリエーションに富む。
「……ーす」
そんな中で、カルマたちはか細い声を出してから食べはじめた。頭には大きなたんこぶができており、ジンジン痛む。
メニューはカルマの大好物なのに、どうしても箸が進まない。気分が乗らないのだ。
「ふん、これに懲りたらもうちょっと手伝いなさい」
「うるさいな。ほっとけよ」
ふてくされてそっぽを向く。食べるのを止めて自分の部屋に戻ろうとしたとき、
「もう……。お母さんもなんとか言ってやってよ」
ナディアの一声に、カルマの動きは固まった。
テーブルの端で食事をしていた女性へと自然に視線が向いた。
マザー・ローウェル。みんなから母と呼ばれ親しまれている。孤児院の誰もが、ナディアも、絶望の淵にいたところを彼女に救われた。まさに人生の救世主だった。
カルマははっきりと覚えていた。自分を絶望から救い出してくれた、頼れる大人の女性の後ろ姿を。尊敬していた。昨日のことのように思い出せる。
今でこそ年老いて、ナディアに運営の大部分を任せてはいるものの、カルマの彼女に対する思いは決して変わらない。
「カルマ……」
「……はい」
「年頃だから思い切り遊びたいのも分かるけどね。でも少しだけでいいから、手伝ってあげてね」
静かに、でも何よりも鋭くカルマの耳に刺さる声。昔より大分嗄れているが、確かに響く。
カルマはこの声には逆らえない。
「……わかったよ」
ナディアが、自分の分のおかずを切り取って、カルマの皿の上に乗せた。
「まあ、殴ったのは悪かったわよ。だからこれであいこね」
しんと静まり返った悪い空気を仕切り直すように、もう一度みんなで「いただきます」を言った。カルマは、さっきよりは食が進むようになっていた。