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七月十九日


 はいどうぞ、と渡された細長い封筒に視線を落としつつ私は首を傾げた。

「これは…」

「相楽さんからですよ」

「…さがら、さん?」

 聞き覚えのない名に顔を上げると、運転手はいつかのように帽子のつばを軽く持ち上げた。

「相楽武史くん、いつも貴女とお喋りしている彼です」

「あぁ…、タケシくん」

 封筒をひっくり返すと、男の子らしい豪快な文字が踊っていた。相楽武史。差出人の名をなぞり、私は小さく笑った。

「初めて知りました、フルネーム。…でも、何故手紙を?」

「今回は乗車されないと言うことで、お手紙を。配達員の真似事のようなものですが、きちんとお届けしますよ。なので、もしお返事を出される場合は私にくださいね」

 それでは、と運転手は一礼した後電車へと戻って行く。その後ろ姿が乗客の波の間に消えるのを見送り、私は指定席となりつつあるベンチへと向かった。

 ベンチに腰掛け、改めてての中の封筒を眺める。表側に宛名はなく、裏側には先程見た武史くんの名前だけ。糊付けされた封を慎重に剥がせば、破れることなく封筒は口を開いた。封筒の両端を親指と人差し指で押さえ筒状にし、上下に振るとするりと便箋が滑り落ちてくる。封筒と同じ白色の便箋は端と端が少しずれたいびつな三つ折りだった。

 かさかさと音を立てるそれを開くと、お姉さんへ、と言う一文が目に飛び込んできた。

「…おねえさん」

 前回前々回と、私を『お姉ちゃん』と呼んでいた男の子のささやかな変化に、彼はまた大きくなったのだろうかと私は目を細めた。なんだか、滅多に会えない遠縁の子供の成長を目の当たりにした気分である。…遠縁の子供なんていないのだけれど。

 しかし、横書きではなく、縦書きの文章とはこの年の子にしては珍しいな。


『お姉さんへ

 お元気ですか、武史です。僕も史郎も母も元気です。

 今日は電車に乗れないので、運転手の人に手紙を渡しました。ちゃんと届いていますか?』


 映画などでよくある、君がこれを読んでいるということは僕はもう…、という台詞をふと思い出し笑ってしまう。彼にそんな意図はないのだろうけれど、まさかこんな台詞を実際に目にする日が来るとは。

 おかしく思いながら、届いているよ、と届くはずのない返事を呟き続きを読み進めていく。


『届いていたら今度教えてください。』


 ……返事は要らないのだろうか。


『この間、僕は十五になりました。史郎ももうすぐ十になる頃です。

 昨年から僕は家を出て、寄宿舎のある学校に通っています。校則が厳しくてなかなか家に帰らせてもらえないので、しばらくはお姉さんとは会えないと思います。正月と盆は帰れるそうです。まだまだ先です。

 学校に来てから、僕は背が伸びました。多分、お姉さんと同じくらいかちょっと高いくらい。制服は大きめなのでまだ袖が余っています。いつか史郎へのお下がりになるので、破ったり汚したりしないよう気をつけなさいと母に言われました。でももう裾は擦り切れているし、膝には何度か穴が空きました。

 …制服って高いのかな、僕に買えるくらいの値段だったらお年玉を使ってもいいかなと思います。史郎も、きれいな制服の方がうれしいと思います。』


 なんだか作文を読んでいるようだ。微笑ましい内容に和みながらも、冒頭にあった『僕は十五になりました』に驚きが隠せない。やはり私と彼とでは時の流れが違うのだろう。たった三ヶ月の間に彼はどんどん大きくなっていく。

 別世界だとか、別次元だとか、恐らくそう言った言葉がふさわしいのだろう。次に会えるのがいつになるかは分からないけれど、その時には武史君は私を追い抜かしているに違いない。身長も、…年齢も。

 常識では考えられないその逆転現象に武史君は気付いているのだろうか。便箋に並ぶ、学校生活を語る文字を見つめても、勿論彼の答えは書かれていない。二度目に会った時にもそれに気付いた素振りは見られなかった。

 初めて会った日のことを思い出す。あれは武史君には十年近く前の出来事だが、私にはまだ半年前の出来事だ。成長期の武史君のように背が伸びることもなく、せいぜい変わったことと言えば長袖が半袖になった程度の私。


 ――次に会った時、彼は私を見て何と言うのだろうか。


「お返事は書かれますか?」

 不意に振ってきた声に驚き、便箋を持つ手に力がこもる。くしゃりと紙が潰れる音がした。

「おや、驚かせてしまったようで」

 皺の寄った便箋に目をやり、申し訳なさそうに運転手は笑った。

 いいえ、と私は首を振り、そそくさと便箋を封筒に突っ込んだ。中身を見られる、と思うより先に動いた両手の素早さに我ながら呆れながら、感じが悪かっただろうかと目の前の運転手をそっと窺った。

 見上げた運転手は私ではなく背後の電車を見ており、駆け足でホームへやってくる乗客の数を数えている。

「返事を書けば、届けてもらえるんですか?」

 藍色の背中に声を掛ければ、えぇ、と運転手は前を向いたまま頷いた。

「郵便配達の真似事です。配達速度は本職に負けますが、確かにお届けしますよ」

 この電車は一周するのに酷く時間が掛かる、と運転手は呟く。

「一周…?」

「この電車には始発も終点もなくて、…そうそう、環状なんです。たまに点検をする時以外はひたすら走っていましてね。勿論、駅には停まりますよ。ただ、線路は果てなく続いていますから、一巡りするのに恐ろしく日が掛かるんです。そうだ、路線図見ます?」

言いながら、運転手は首から下げた黒いがま口に手を突っ込み、ごそごそと中をかき回し始めた。程なく幾重にも折り畳まれた紙が取り出され、運転手はそれを慣れた手つきで広げていく。あっと言う間に新聞紙大になった紙を促されるまま覗き込むと、そこにはひとつの大きな楕円と、その線上に連なる無数の長方形が書かれていた。よくよく目を凝らして見つめた長方形の中身は、細かな文字で地名――この場合は駅名か――がびっしりと埋まっている。どれも見覚えのない名だ。

 その中のひとつを運転手の指が示す。

「これが此処ですね、『凪ノ三叉路』。そして此処からぐるっと回って…此処」

 運転手の言葉に合わせ、指先が楕円を滑っていく。丁度正反対の位置で指は止まり、そこにある長方形を二度叩いた。

「この『水の吹き抜け』が相楽さんのお宅の最寄り駅で、そこから六つ……おや七つですね、行った先の『星の溜め池』が相楽さんが今いらっしゃるところです。確か、寄宿舎付きの学校でしたか」

「みずのふきぬけに、ほしのためいけ…」

「童話に出てきそうでしょう?」

 そう言って、運転手は再び指を動かした。ぐるりと楕円を巡って戻ってきた先は、私たちが今居る『凪ノ三叉路』だ。

「これだけの駅が並ぶ線路を各駅で進むのですから、大変時間が掛かるのです。停車時間もたっぷり取っていますからね――と言ったところで何ですが、そろそろ出発致します」

「……返事、書いてないんですけれど」

「では、ささっと書くか、次の停車時までにお持ちいただくか。お好きな方をお選び下さい。多少なら時間は取れますよ、まだ帰ってきていない方が何人かいらっしゃるようなので」

 静かに佇む電車に目をやりながら、運転手は笑った。つられてそちらを見るが乗客の顔を把握していない私には、運転手の言葉が正しいのかは分からない。

「じゃあ、ささっと書きます」

 分からないが、とりあえずその言葉に甘えておこうと、私は傍らに放り出したままの鞄に手を伸ばした。確か、未使用のルーズリーフが何枚かあった気がする。中を覗き込めば予想通りそれはあり、筆箱も鞄の底からすくい上げる。

「それでは、私はあちらにいますので」

 運転席を一度振り返った運転手はその言葉通りそちらへ戻っていった。

「……さて」

 書くと言ったはいいが、実はまだ手紙を全て読み切っていない。どうしたものかと苦笑しつつ、手にしたペンのふたを取った。

 時間がないので続きは帰ってから読むことにして、武史くんへ、と宛名を書く。下敷きに丁度いいものがなく、仕方なく膝の上で書いたそれはお世辞にも綺麗とは言えないものだった。それでも構わずに、武史君に倣って『お元気ですか』と書き連ねていく。一度書いてしまえばするすると言葉が出てくるのだから不思議なものだ。

「よし」

 書き終えたルーズリーフを半分に折り畳む。封筒がないので小学校以来になる便箋の折り方を必死に思い出し、なんとか勝手に開かないよう封が出来た。何か…シールでもあればよかったのだけれど。

 ふぅと息を吐き顔を上げると、出発の合図の為だろう、旗を手に取った運転手と目が合った。運転手は旗を振る為に挙げようとしていた手を背に回し、反対の手で帽子を少しだけ持ち上げた。

「書き終わりましたか」

 乗客の靴音に消されることなく、よく通る声はそう尋ねた。足早に私の元へやってきた運転手にルーズリーフを手渡すと、物珍しいものを見るような顔で私とルーズリーフを見比べた。

「これは…変わった折り方ですね」

「小学校で流行ったんです、小学生女子必須スキル。案外覚えているものですね」

「ははぁ…器用なものですねぇ…」

 運転手は路線図を取り出した鞄にルーズリーフを突っ込むと、確かに受け取りました、と一度頷いた。

「相良武史さんへお届けします」

「はい、お願いします」

「では、私はそろそろ。白線の内側までお下がり下さいね」

 構内放送でお馴染みの台詞を口にし、運転手はすぐに元居た場所へと戻っていく。そういえばベンチに鞄を置いたままだった。慌てて振り返ると、鞄は最後に見た時と同じ場所にくったりと倒れていた。盗られて困るものなんて入っていないけれど――悲しいことに財布の中身は空に近いのだ――それでも放って置くわけにはいかないとベンチへ帰る私の頭上で、最早聞き慣れてしまったベルの音が鳴り響いた。じりじりと耳に痛いベルの音。次に聞くのはいつになるのだろうとふと思った。数ヶ月後か、それとも数年後か。

「出発しまーす」

 騒音といっても差し支えのない大音量にも負けない運転手の声が聞こえる。そちらに向き直ると、丁度運転席の窓が閉まるところだった。車内の明かりに照らされ黒い影になってしまった運転手と乗客たちを見つめていると、がたん、と一度大きく電車が震える。二両編成の、おもちゃみたいに小さな電車が走り出す。ヘッドライトが真っ直ぐに闇を貫く。

 その目映い光は何処までも白く、地の果てすらも照らせそうだった。


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