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三週目

 さらに、一週間後。

 僕は梶山倉庫に向かっていた。

 派遣会社から電話が来た時、「他に現場はないですか」とつい口走りそうになったが、「大竹さんのことをご指名ですよ」という一言でつい引き受けてしまった。

 人に頼られるといい返事をしてしまうのが僕の欠点で、早いうちに改めないといつか痛い目を見ることになるだろうと僕自身危惧している。

 実際のところ、僕はあの中国発のコンテナの中に入りたくなくなっていた。

 それどころか、先週から閉所か闇所恐怖症みたいなおかしな精神状態になりかけていた。

 暗くて狭い場所―――例えば電灯をつけていないトイレのような場所―――に入ろうとすると足が竦むのだ。

 電気を点けて明るい状態なら構わないのだが、多少薄暗いだけでその症状がでかけるのだから厄介だった。

 とにかくあのコンテナを思わす場所に近寄ることを、身体というか全身が拒絶するのだ。寄り付きたくないのだ。

 例えるなら、一度車に轢かれた猫の死骸を踏みそうになった場所では、常に死骸がないか確認してしまうというイメージだ。何もなくても意識してしまう。

 理由をつらつら考えると、先週、仕事の帰りに変な想像をしてしまったからだろうか。

 あれ以来、どういうわけか夢見が悪いのも関係していると思う。

 それでも、来てしまった以上は仕方なく待機場所で田辺くんと合流して、コンテナ卸しの搬入口に向かう。

 僕と違って、彼は全然平気そうだった。

 それどころか、珍しく饒舌で、昨日のサッカー日本代表の試合なんかの話題を楽しそうに振ってくる。

 僕はサッカーどころではなかったので、その話に曖昧な相槌を打つことしかできなかったが、さすがに奇異に思われたのか心配そうに尋ねられた。

「…大竹さん、具合悪そうっすね」

「うん、ちょっと」

「少し省エネで行きます?今日、今年で一番熱くなるらしいですから」

「無理そうだったら、ヨロシク」

「アイアイ」

 剽げた口調の田辺くん。

 どうやら僕の不調は暑さのせいだと思われたらしい。それはそうだ。

 バイト先のコンテナの中の出来事について悩んだあげく精神に異常をきたしかけているなんて、普通は想像できない。

 その証拠に、まったく田辺くんには怖気づいた様子はない。

 まあ、僕だけなんだろうな、おかしな妄想にとらわれているのは。

「よお、また、あそこのコンテナだよ」

 羽生さんが嫌そうに吐き捨てた。

 目眩がした。

 もう三回目になろうという見慣れた色のコンテナがそこにはあった。

 無骨な鋼鉄作り。どこにも隙間がなさそうな一枚板の側面。

 僕はその時になって初めて、コンテナを牽引するトラックの運転手が運転席にいることに気づいた。

 確か、先週はいなかったはず。

 僕は気を紛らわせるためもあり、開け放った窓から運転手に挨拶した。

「おはようございます」

「お疲れ様ー」

 わざわざ扉を開けて応対してくれたのは、五十代ぐらいの気の良さそうなおじさんだった。

「また、このコンテナですね。重くありません?」

「ああ、四tどころか倍以上は詰まっているからね。曲がるときとか超面倒だよ」

 話をしてみたが、運転手は特に何も知らなそうだった。

 知らないことは幸福なことかもしれない。でも、僕は知ってしまったので、改めて別の何かを知るために訊いてみた。

「なんか、変なことありませんでした?」

「変なこと?」

「はい。なんでもいいんですけど」

「…特にないけど。…ああ、プルーン食うか? この荷物の分けをしてた中国の営業の奴がくれたんだけど、量が多くてなあ。早く食わないと傷んじまうが、一人じゃおっつかないんだ」

 運転手さんは、一キロは入るんじゃないかという大量の紫色のプルーンが入った袋を助手席から僕に掲げた。

 こんなに入っていると口にする元気というものがなくなりそうだ。

 それでも半分はなくなっている。

「半分も食べたんだし、一人でいけるんじゃないですか」

「いやあ、俺はさ、プルーンなんて食べすぎたら腹壊すタイプなんだけど、これは全然大丈夫なんだよ。気がついたらこんなに減っているけど、腹の調子も悪くない。まあ、こんなに食べた覚えはないんだけどな」

「無意識に半分も食べちゃうぐらい好きなんですよ」

 正直、中国産のプルーンなんて食べたくないので僕は必死に断った。

 それにしたって食べ過ぎでしょ。

 どんなにお腹に優しいプルーンだって食べ過ぎは壊しますって。 

「結構、おいしいからさ、ひとつ食べなよ」

 何度も勧めてくる運転手さんの熱意に負けて、僕は袋の中のプルーンを一つ摘んだ。

 他人の手が入った袋の中の生ものを口にしなければならないかと思うと、酷く憂鬱になったがこういう誘いを断りきれないのが、僕の優柔不断さだ。

 だから、たまに行きたくもない現場に派遣されたりもする。

 手にとったプルーンは、五センチぐらいの意外と大きめのベタっとした生暖かい品で、食べたらお腹を壊しそうだった。

 ただ袋の中のプルーンはだいたい同じ大きさなので小さなものを選ぶこともできず、僕は我慢して口に入れた。

 咀嚼はほどほどにしてさっさと飲み込んでしまう。味よりも早く飲み込んで腔内から消去したかったからだった。

 だから味がどんなだったかはよくわからない。

 あとで、奥歯に微妙な甘味が残ったのがわりと不愉快だった。

「大竹ちゃーん、そろそろ頼むよー」

「はーい」

 羽生さんに呼ばれたので、ようやく運転手さんから離れて、僕は開閉口に戻ることができた。

 田辺くんの慣れきったペンチ術が炸裂し、コンテナが開閉される。

 むわっと既に慣れ始めた温風が流れ出す。

 いつもの通りに皮膚に汗が滲み出す。

 僕のつなぎは作業か終わる頃には脇とか太ももがずぶ濡れだ。

 しかし、僕は別のことで頭がいっぱいだったので今日だけは特別に暑いとは感じなかった。

 それは何か。

 思い当たるものはやはり一つしかない。

 あの隙間のことだ。

 あんなダンボール四つ分の空間なんて自然にできるはずがない。

 それにこの中は完全に鉄のロックがされていて、一旦おろしてまた詰め込みでもしない限りダンボールを抜くことなんてできない。

 誰がそんな面倒なことをするだろうかと考えるとともに、誰かがどうにかして抜き去ったのは事実だった。

 僕はその方法をずっと考えていた。

 それさえ思いつけば、僕を蝕む変な症状も解決するのではないかと思っていたのだけど…

 でも、一週間たっても答えは閃かなかった。

 何か怪しい陰謀に巻き込まれているかのようで、僕はどうにも嫌な予感しかしないまま、またこのコンテナを卸すバイトにきてしまったのだ。

 田辺くんとまた同じ作業をはじめる。

 もうそろそろ終わりという段階になると、谷澤さんだけでなく、事務の人たち数人までコンテナに集まってきた。

 さすがに二度あることは三度あるということだろうか。

 また、ダンボールが足りないなんてことになったら、そろそろ訴訟ものかもしれないからだ。

 そして、大勢のギャラリーがいる中で僕らが作業を進めていくと、僕の予想外の結果が生じることになった。

 コンテナの行き止まり、あと三列になったとき、またあの隙間が顔を出したからだった。

 前よりも一列だけ早い。

 今回は奥の四つとさらにその前の二列目の四つがなくなっており、合計してダンボール八つ分の隙間ができていたのだ。

 いつもの通りの絶妙なバランスをもって。

 漂う悪臭もいつもの倍はきつかったからか、目の奥かが針で刺されるように痛くなる。

「ちょっと待てよ!」

 谷澤さんが叫んだ。

 八つもなくなっていたらそれは誤差どころの話ではない。

 契約に生じる重大な瑕疵となって、ヘタをしたら債務不履行で損害賠償を請求されかねないレベルだ。

「おい、今度こそ、厳重抗議しろよ!こっちだって、運送品の紛失とかで責任を問われかねないんだぜ。毎度毎度何を考えているんだよ、あっちの連中はよ!」

「真面目に仕事する気あんのか?」

 癇癪を起こしている羽生さんたちを尻目に、僕はおそるおそる隙間の中をじっと覗き込んだ。

 ダンボール一つのサイズからすると、だいたい1立方メートルほどの隙間が出来上がっていることになる。

 サイズがどのぐらいかというと、だいたい人一人が体育座りをすれば十分に入るぐらいといえた。

 そのぐらいには、広いのだ。

 僕は見た。

 床に敷かれたビニールの上に、何か黒いものが転がっていることに。それは黒ではなく、紫色をしていた。ねずみの糞にしては大きすぎると思った。ただのゴミにしては少しおかしい。 

 指で触れてみた。

 柔らかかった。 

 そこで、僕には正体が分かった。

 それは、さきほど運転手さんが持っていて僕にくれたものと同じだった。

 そして、それは運転手さんが差し出してくれたものの半分のサイズ―――二センチ程しかなかった。

 最初は乾燥して小さくなったのかと思ったが、意を決して触ってみてわかった通りにまだ柔らかいのだ。

 僕は背中に走る怖気に震えた。

 なぜ、怖気が走ったかって?

 僕にはそのプルーンが半分しかないことの理由がわかったからだ。

 それは、きっと、誰かが齧ったからに決まっている…


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