一週目
倉庫内にある搬入口には、すでに四tトラックにつながれたコンテナが、今か今かと扉が開けられる時を待っていた。
僕は、愛用のゴム付き軍手を自分的にかっこよく締める。
誰も見てはいないが、こういう儀式をすると気合が入るというかなんというか…。
まあ、それでやる気が湧いてくるという点で僕は単純な人間だと思う。
でも、梅雨が明けてからというもの、毎日30度以上の気温と耐え難い湿度のせいで日陰から出るとすぐに汗が滴り落ち始める。
僕は新陳代謝がよいのか、頭に巻いたタオルが一時間もしたら絞れるほどに汗をかくので、夏は好きではない。
それなのにこんな肉体労働をするなんて、僕もなかなかM的なものだ。
「羽生さん、始めちゃっていいですかー」
「おお、ちょっと待て。パレットを準備するから」
フォークリフトに乗った運送会社の正社員である羽生さんが、慣れた運転で構内の端に積み上げてあったパレットを持ち上げて、僕の足元あたりに置いていく。
パレットというのは、大量の荷物を置くための台であり、サイズはほぼ平均して二畳ぐらいの正方形をしている。素材は軟式プラスチックか木材で出来ていて、側面に隙間が空いている。
重い荷物は、これに載せて移動することで労力が削減できるというわけだ。
もっとも移動させるのは、その隙間に、二又の上下する鋼鉄のツメを差し込み、浮かせて、移動させるフォークリフトという機械だ。
左手で車と似たハンドルを握って本体を運転し、右手で幾つかのレバーを操作してツメを動かすのが基本的な操作だ。
人力で作業するのに比べて遥かに効率がいいので、ほぼすべての運送会社や倉庫管理会社が使用している。
もっとも、パレットの上に品物を置いたり並べたりするのはさすがに人間の力が必要なので、それだけあれば十分という訳にはならない。
物品の積み替え・移動は僕らの仕事だ。
フォークリフトを運転するのは、たいていの場合、その会社の従業員に委ねられていて、僕らのような派遣されてきているアルバイトが運転することはまずない。フォークリフトでの事故は場合によっては命に関わる重大なものになりかねないこともあり、また、面倒で大変な作業に正社員を使ってすり潰すようなことはしないのがだいたいこのような会社の方針である。
そのため上下関係というものはわりとしっかりと存在するのだ。
とはいっても、派遣やパートの力がなければ今の仕事はほとんど成り立つことはないので、あまり露骨な派遣いじめとか軽視とかは、少なくとも僕の行った現場では見かけることはなかった。
「大竹ちゃん、今日は大学はないのかい?」
「水曜日はいつも午後からですから」
「なら、12時までかい」
「はい、そうっス」
「じゃあ、ギリギリまで頑張ってもらっちゃおうかな」
「この四tだけって話っスけど」
「おかわりを用意しておくから」
「パワハラだー」
いつものようにその場限りの楽しい会話をしてから、コンテナの尻にパレットを一枚並べる。
その間に、もうひとりの派遣バイトの田辺くんがでかいペンチを持ってきて、コンテナの扉を固めている鉄の仕切りをぶった切っていた。
田辺くんは、ちょっと濃い顔の線の細いイケメンだが、毎週、僕と同様にここ梶山倉庫に派遣されているのでもう慣れっこといった感じで、手馴れたものである。
簡単に開いたコンテナの扉の中には、ぎっしりと天井までダンボールが詰め込まれていた。
同時に内部にこもっていた熱気が雪崩のように吹き出してくる。
それだけで目が潰れるかと思うほど周囲の気温が上がる。
一瞬、蜃気楼のように空気が揺らいでいた。
今の気温がおそらく30度前後だが、締め切られた内部は50度ぐらいはあるのではないだろうか。
ついさっきまで、牽引するトラックとともにだだっ広い屋外駐車場で日光の直射を受けていたのだから、鋼鉄の壁や天井は火傷するぐらいに熱くなりすぎていて、密封された内部はそれこそ灼熱地獄そのものだ。
荷物のダンボールまで触ると痛くなるぐらいに熱い。
それと、妙に気になるのが鼻腔をヒリヒリとさせる異臭であった。
鼻毛(僕だって手入れぐらいはしているけど)の先を毛抜きでいじるような痒さを生じさせる臭いだった。少しだけえづいた。僕は嫌な香に弱いのだ。
カビか何かの臭いだろうか。
異国から長い旅をしてきたコンテナなのだから、これが送られた側の国の空気なのだろうと好意的に考えてみるが、結局のところ不快な刺激であることに間違いはない。
これを何時間も嗅ぐかと思うと吐きそうになる。
だが、僕は気を取り直して、ダンボールの腹を軽く叩いた。
仕事なのだからやらなければならない。
「またギチギチに詰めてあるね」
「そうですね。メンドくさいなー」
僕と田辺くんは、いつも以上に無理やり詰め込まれたというよりも、力づくではめ込まれたような無数のダンボールにゲンナリとしてしまった。
テトリスでさえ、もう少し隙間があるよね。
これからこれを卸すのか…。
「中身は何なの?」
「だいたいタオル系かな…。ハンドタオルと…フェースタオル? ほかにも幾つか種類があるみたい。結構重そうだよ」
50cm×50cm×50cmのほぼ立方体の箱で、重さは一つにつき5キロぐらいはあるだろうか。
数を考慮するとなかなかの厄介仕事だ。
表面を観察していると、僕はあることに気づいた。
貼ってあるラベルが知らない商号だった。
「…羽生さん、ここ、いつもの会社と違うんですか?」
「おお、中国で積んだってのはいつもと同じだけどな」
「それにしたってギュウギュウすぎません? 中国人が雑なのはいつものことだけど、ここまで押し込まれたら抜き出すのも一苦労ですよ」
「確かにな…。あとで谷澤も呼ぶから、悪いが二人共よろしく頼むわ」
「へいへい」
僕は一番上のタオルの入ったダンボールに指をかけ、ずらすようにしてなんとか一個を引きだす。
指の力だけでなんとかとっかかりを作って、片手が添えられるぐらいまで引き出したら一気に降ろすという感じだ。
それだけで二十秒近く掛かるということは、全体を考えれば12時までに終わるのか心もとない状況といえた。
派遣会社と梶山さんとの契約は、9時から12時までということで延長は認められていない。そのため、なんとかして人手があるうちにコンテナ卸しをしなければならないということで、羽生さんたちは無理にでも仕事を進行させるだろう。
単純で実りのない力仕事を代行させているとはいえ、金を払っている以上、非派遣会社だって深刻なのだ。
トイレや給水時間もなしかな、これは。
文句も言えずに僕と田辺くんはダンボールで出来た茶色の壁の攻略にとりかかった。
パレットには、「八並べで七段」で積めということなので、合計で56個づつ載せることになる。
一枚積み終わると、羽生さんのフォークリフトがそのパレットを構内の一角に置いてきて、新たなパレットを敷いてその上にまた同様にダンボールを載せることになる。
シンプルに表現すると、その繰り返しが僕らの作業だ。
僕は大学の講義の空いた時間に、こういう肉体労働を入れることで、小遣い稼ぎをしている。
水曜日に僕が履修しているのは四時限目のフランス語だけなので、丸々空いていることから、ちょくちょくこの梶山運送のコンテナ卸しへ派遣されている。
おかげでさっきのように従業員の羽生さんとも仲が良いし、他の人たちとも顔見知りになった。
仕事内容についてもかなり詳しくなっていた。
しかし、この新たなコンテナの送り主である会社のことはさすがに知らなかったが、どうも丁寧な相手ではなさそうだった。
箱の扱いがものすごく乱暴なのだ。おまけに表面にも色々と傷がついているし、どう見ても手についた油を拭いたような汚れも目立つ。
さっきの異臭も晴れることはない。
何か原因となるものでも奥にあるのだろうか。
「これ、箱不(傷のついたダンボール。箱の不良品の略だ)なんじゃないですか?横に弾いておきますか?」
「うーんと、よっぽどひどくない限り弾かなくていいとさ」
「マジっすか。これなんか、手形ですよ」
田辺くんが箱の一つを指し示す。
確かにどう見ても、人の手形としか思えない油汚れがついている。
普通の基準ならアウトだ。
「JANコードか製品シールが表に見えればいいってよ。その程度ならOK、OK」
「なんですか、その適当な会社。腹立つなあ」
田辺くんがぼやいた。
無口で真面目な彼からすると、いくら相手側が許可していたとしても手抜きのような真似は許せないのだろう。
かくいう僕も、普段はそんなに箱不を気にしない方だが、油手形のついた箱をそのままにするのはさすがに気が咎めた。
他国人に比べて、日本人は神経質すぎるとも思えるが、人様にお売りする商品なのだ。可及的大切に扱うのは当然だろう。
したがって、こういう大陸の人間特有のおおらかさには随分と腹が立つこともある。
コンテナの長さの半分まで掘り起こしたところで、従業員の一人谷澤さんが応援に入ってくれた。
これで、箱手渡しの中継が出来たおかげでスムーズに受け渡しができるようになった。
さらにコンテナの奥に進むとなると、山を崩して運ぶ距離が伸びるため、鋼鉄製のコンベアを敷いて移動を楽にすることができる。
そうやって黙々とダンボールの壁を取り崩し、手渡し、コンベアで転し、持ち上げ、積んでを繰り返しているとコンテナの先頭部分にあたる行き止まりが見えてきた。
「やった」
僕がガッツポーズを決めると、田辺くんも嬉しそうに呟いた。
普段の倍は疲れたような気がしていたから、なおさらだったのだろう。
あと少し、ということで僕らの仕事速度は上がった。
そして、ラスト一列前の壁を崩し終わった時に、田辺くんが僕のつなぎの袖を引っ張った。
「何?」
振り向いて尋ねると、彼はコンテナの片隅を指差した。
僕にもすぐに彼の言いたいことがわかった。
ダンボールが出来た壁の一角、その隅の部分がぽっかりと空いているのだ。
それが天井に近い部分ならわかるが、その空洞は、コンテナの床の部分にあった。
要するに、壁の土台となる下の二つが無くて、ネズミの巣穴のようになっているのだ。
今回の荷物は、抜き出すのが厄介なほどにきちきちに詰め込まれていたからであろうが、本来なら一番下の荷物が二つもなければ上からの重みに耐え兼ねて潰れてしまっていたはずのでっかい空洞だった。
覗き込んでみると、今までよりもずっと強烈な臭いがしたので、あまりの不愉快極まる刺激に喉から朝食が逆流しそうになる。
そのため僕はさっさと反対側の壁まで逃げ出した。
「よく落ちてこなかったな」
どうやら状況に気づいた谷澤さんがペシペシと落下もせずに保たれている箱を叩く。
谷澤さんはあまり臭いについては気にならないらしい。すげえ、と素直に憧れてしまった。
「二つ、足りないってことですかね」
僕は谷澤さんの肩ごしに尋ねる。
当然、鼻にはタオルを当て、嫌なものは遮断する。
「まあ、そういうことになるかもな。全部でいくつ出した?」
「さすがに数は覚えていないですよ」
「そうだよな。…おーい、羽生さん。ちょっとー」
呼び出された羽生さんもびっくりして、事務所に詰めていた営業部の人を呼び出して事情の説明を始めた。
営業の人は手にしたデジカメで何枚も証拠の写真を撮っていく。
揉めた時のための用心であるが、全部で十枚は撮っていた。
その様子から見て、今までなかった出来事であることはわかった。普段は、どんなに撮っても二枚程度なのだから、僕なんかでも十分に察することができる。
これは揉めるという予感がプンプンするのだ。
ちなみに僕らはというと、すぐに12時になったのでそのままお役御免になり、ちょっと気になったが途中で帰らされることになった。
まさか、この時のことが後々あんな出来事になるなんて夢にも思わずに。